離婚は幸せになるための通過儀礼なのか?
私は結婚して4年目
子どもが1歳の時、
1週間で離婚をした。
あまりにも
突発的な行動に当然
周りや家族は驚いていたし、
何より夫は急に終止符を打たれたものだから
相当なダメージだったはずだ。
私自身も今となれば
なぜ離婚までする必要があったのか?
と思ってしまうほどだが
当時は、
夫が支払う家で
ワタシが夫の文句を言う自分に
フェアじゃないということで離婚した。
一旦別れて、
冷静になろうと(自分自身がw)
と解散したのだ。
もちろん手続き上の手間はかなり
あった。
親権は私だったが、
裁判所の手続きも必要となり
随分と手間取ったものの、
あの経験は
私を過去一たくましさせてくれたと思う。
役所の手続きなど
今まで全て夫任せだった。
全てのことを担い、
息子と2人で暮らす
世帯主となった
ワタシをまた好きになったという夫。
人間は不思議な生き物で。
と言うより
ワタシより夫の方が変わっているのではないかと
今は確信を持っている。
人を恨み続けたり、
憎しみ続けることの方が
簡単で、
ゆるしたり許されたりする
関係構築の方が難しい。
今の私が言えることはただ一つ
何もかも無かったことにしなくていいということ。
あの時のあれが・・・。
とわざわざ
思い出す必要はなくとも、
人生はブツきりではないということ。
苦しんだ過去も、嬉しかった過去も
全て今の自分の人生を作り出してくれている
エッセンスになっているのだから。
それを、
無しにはできないことに気づいた。
たくさん写真を捨て、思い出をすて。
過去を捨てた。
それは全部つもりだっただけ。
苦しみあったから。
そこまでしたから。
お互いを労わろうと思える今がある。
虎は愛しい我が子を崖から落とすというが
私は夫を突き落とした。
でもそれは同時に自分も
同じように落ちた・・・わけではないがw
見守っていた。
この先私と一緒にいられる覚悟のあるものだけ
ついてこい。
と思う自分の逞しさに驚いてしまうほど私は成長した。
いつも心のどこかに
亡き母親を求めている自分がいた。
そんなこと誰にも言ったことがなかったが。
街中で母親と娘が買い物したりお茶をしている姿が
羨ましかった。
結婚したことも、
子供ができたことも、
離婚したことも、
全部母に話したかった。
寂しさという感情に
ずっと蓋を閉めていたのだ。
そして、
今の寂しさは、
子供の成長を一緒に見守る相手がいないということだった。
元夫にそのことを
素直に伝えると、
彼もすぐさま私と息子の住む近くに越してきた。
1年前。
まだその時は一緒に住むまでの
勇気がなかった。
そんな私の気持ちを強引にまで
変えようとしないでくれたおかげでまた
今一緒に暮らせるようになった。
人生は短いというが、
実は長いのではないかと思う。
だからこそ、時間をかけても
時間がかかっても、
人生は何度でもやり直せる。
だからこそチャレンジすることを
諦めないでいること。
それは、自分と自分の大切な人が
より幸せになることを・・・・。