74.野良猫のたい焼き
その日、お店はあまり混むことがなかった。
ママはお客様が来るたびに、
「今日初めてでお手伝いに来てくれたれなちゃんです」と紹介してくれた。
わたしは緊張してこういう場所ってどういう会話をすればいいんだろう…
笑うってどんな感じだっけ。と、もはやぎこちない人間初心者になっていた。
お客様も常連さんが多く、落ち着いたトーンで普段は何をしてるの?だとか
若いねえ。だとか気さくに話しかけてくれた。
終電までの勤務時間はあっという間に過ぎて行った。
わたしはこの日グラスの磨き方だけはしっかり習得した…という程度だったと思う。
制服から私服に着替え、
カウンターの前に挨拶に行くと
「じゃあ、来週から木曜日お願いできるかな?」とゆっくり言った。
わたしはこんなに何も出来ないのに、いいのか?と疑問に思いながらも
口が勝手に「よろしくお願いします!」と音を出していた。
こんな流れでそれまで無縁だった
銀座の8丁目で働くこととなった。
何度か出勤を重ねて、仕事内容にこそ慣れたものの
自分よりもずっと長く生きている人生の先輩方との会話はうまくいかなかった。
1番大切なのが会話なのにね…
わたしの方が人生相談を聞いてもらったり、
お酒の濃さはこのくらいが良いなと教えてもらったり…
どちらが接客しているのやら。
でもママはわたしが引っ越しを決めて退職を切り出すまで
毎週木曜日に必ずクリーニングから帰ってきた
わたしサイズのパリパリのシャツをクローゼットに置いていてくれた。
わたしには何もかもが新鮮な場所
当時のわたしは何処にいても
帰る場所がないような気持ちを抱えていた
カラオケ店と懐石料理店とバーのアルバイトを掛け持ちして、なるべく外に居続けた。
朝早くに家を出て、一つ目のアルバイトを終えて
銀座に移動して終電まで働き
足が痛いのに、それでも帰りたくないなと思った。
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