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神君伊賀越えの旅 Day3 小川城→白子 60.8km

(2021年3月のブログ記事を転載)


この日は信楽駅からスタートになるのですが、ホテルからここまで電車移動に1時間半もかかり、到着したのが10時半頃になってしまいました。
少々高くても信楽駅周辺の宿にすれば良かったと後悔しかありません。

寝坊したのも痛かった


昨日から思っていたのですが、信楽の町の大半の家の玄関に信楽焼のたぬきの置物が置いてあるんですよねえ。沖縄でいうところのシーサーみたいなものなのでしょうか。とにかく地元愛ですよねえ。

一家に一つ以上はあるな


前日は車の往来がバンバンある道を歩いていたのですが、本日はこの通りのどかなところをひたすら歩いています。

車も人の気配もない


車の往来がなさすぎて、コンビニも自販機も何もない山道をひたすら歩きます。
たまーーに車が通りますけど、ほとんど一人ぼっちです。


前日は電車で一旦、宿泊のために三重県入りしましたが、今日は徒歩で三重県入りです。ニンニン!

夜は通りたくない


三重県に入ってもこんな感じで、車の往来が少ない県道をとぼとぼ歩きます。

誰にも会わない


ようやく「伊賀の里」と呼ぶにふさわしい、のどかで美しい日本の田舎の風景が広がります。

やっと人里らしく場所に出た


そういえば、
家康達は伊賀越えと言っても、伊賀の中心部を避けるように行ったとか。


というのも、本能寺の変が起きる前の年に、織田信長が第二次天正伊賀の乱で村や寺を焼き払い、住民を殺害して、伊賀を制圧しているんですよね。そんな織田方の家康が通った日には何が起こるか、、、と懸念し、避けたとか。



と、休憩に立ち寄ったという徳永寺に到着しました。


私もここでお手洗いをお借りし、水を補給させていただきました。感謝。



徳永寺の前には大和街道があり、ここからは大和街道をひたすら歩きます。


のどかな風景に癒されます。


大和街道はついに東海道と交わり、宿場町の関に到着しました。

1kmほど、このような感じで、タイムスリップしたかのような街並みが続きます。
ここに到着したのが17時過ぎだったためか、残念ながら、関宿のほとんどのお店が閉まっていました。



はぁ....伊賀越えつらい。
人通りや車通りが少ない道をここまでずっと歩いていて、自販機や飲食店、コンビニがほとんど見当たらず、ご飯がなかなか食べられず、、、


美味しくいただきました


やっとご飯にありつけました。
この後は、ひたすら暗い道をテクテクとゴールまで歩き続けます。



ゴールの白子駅には22時頃に到着です。

めちゃくちゃ疲れました


家康達はここから舟で岡崎城へ帰ったとのことです。



ということで、伊賀越えの道、なんとか踏破しました!

お茶の京都DMOより

家康伊賀越えの道KYOTOガイドマップを作成しました!|お知らせ|お茶の京都|京都府南部(山城地域)の観光情報サイト(お茶の京都DMO)


後から気がついたのですが、御斎峠をすっ飛ばしてしまいました.....orz
とはいえ、また伊賀越えをする気にはなれず、まあ、またいつの日か、、、。


本日の3日目が約60kmと、舗装もされてない山道を草鞋で歩き、しかも落武者狩りを相手にしながらって絶対無理なのでは?と思いながら歩いていたのですが、徳永寺を後にして、なるほど、、と思いました。


徳永寺のそばには大和街道が関宿までつながり、関宿は大和街道、東海道、伊勢街道が交わります。ある程度、整備された道に入ってからペースが上がったのか、もしかしたら馬が調達できたのかもしれませんね。



この3日間、家康達の足跡を辿り、色々な発見がありました。

Garminの記録


とはいえ、今までの疲れも蓄積され、3日目は脚がマジで棒になりました。
60kmが限界でしたね。


駅そばのホテルに駆け込み、お風呂に入って、即爆睡でございました。
翌日はもちろん電車で名古屋まで出て、新幹線で帰りましたよ!


(終)


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