能登一国持ちになった前田利家築城の小丸山城 [石川県七尾市]
(2022年10月攻城)
能登半島で行われるトレランレースに参加するついでに城攻めしちゃおうとやってきたのが七尾駅。
能登半島の入り口とはいえ、なんか道のりが遠かったなあ。
何を思ったのか、富山空港からローカル電車の乗り継いできちゃったもんだから尚更遠く感じましたよ。
で、本当は七尾城攻めを行いたかったのですが、如何せん、七尾についたのがちょっと遅くなってしまったので、今回は諦め、次回の楽しみにすることにしました。
その代わりに、七尾駅から歩いてすぐの小丸山城趾へ。
利家とまつさんがお出迎えくださいました。
槍の又左こと、いや加賀百万石の藩祖である前田利家により築城。はじめは小姓として織田信長に仕え、その後は柴田勝家の与力として北陸方面攻略を担っておりましたが、信長から能登国を拝領し、大名となるんですよね、
最初は七尾城に入っていたのですが、山城であったため、経済活動とか城下町築くのにはちょっとなあ、ってことで港に近い小丸山に築城します。
さて、現在の小丸山城趾はというと、、
遺構は曲輪、石垣、空堀。
ということで、まずは本丸へ向かいます。
緩やかな坂道を登ると、、
本丸跡地は公園として整備されていました。
本丸の片隅に何やらあるようですね。
なるほど、櫓台跡でした。
本丸は広々とした公園になっていて、
庭園まで作られています。市民の憩いの場になっているんでしょうね。ランニングコースにもなっているようで、ジョギングする人を何人か見かけました。
櫓台跡の対角線上に、丑寅の展望台がありました。
ここも櫓台跡だったんでしょう。
七尾市の海や街並みを少し見渡すことができました。
この城は七尾南湾に面した平山城で、海城に分類される場合もあるそうです。
さて、本丸を後にして、天性丸へ向かいます。
当時も曲輪と曲輪の間に橋がかかっていたんでしょうか?
天性丸も現在は公園として整備されていました。
片隅には土塁が少し残っているようです。
天性丸の片隅には、、
戌亥の展望台がありました。
これも櫓台跡だったんでしょうね。
天性丸を後にし、
宮丸へ。
ここは相撲場、そして奥には遊戯場になっていました。
利家はこの城には2年間くらいしかおらず、加賀に移った後は利家の兄などの身内が城代として居住しますが、江戸時代に入り一国一城令により廃城となります。
ということで、小丸山城攻城終了です。