なぜアンチだったわたしが、れいわ新選組・山本太郎を支持するのか
2024年衆院選挙が後半戦を迎えている。
投開票日は10月27日(日)。すでに期日前投票は始まっている。
わたしは、れいわ新選組・山本太郎をこの国の唯一の希望だと考えている。
なぜ、そのように考えるようになったのか。
2019年参院選挙、彼が小沢一郎とゆかいな仲間たちとか何とかいう政党を離党し、たった一人でれいわ新選組を立ち上げ、立候補したことを知ったことがきっかけだった。
天皇陛下に手紙を渡したり、一人牛歩したりする姿をテレビで見て、元タレントの目立ちたがり屋のパフォーマンス議員、というイメージを持っていた。つまり、アンチだった。
参院選が始まって間もない週末、偶然「れいわ新選組」を知る。
都内巡回バスに何となく気分転換で乗ってみようと思い、青山や渋谷などの街並みを車窓から眺めていているうち、いつの間にか日も暮れ、週末の人で賑わう渋谷駅前のスクランブル交差点に辿り着いた。
信号待ちをしている時、駅の方からRCサクセションの「スローバラード」が爆音で聴こえてきた。「清志郎だあ」と嬉しくなって音源のほうを見渡すとハチ公前で選挙演説があるようで、「れいわ新選組」とあるのぼり旗が見えた。「変な政党名だなあ」と思い、そのままバスはその場を通り過ぎた。
バスからの渋谷の街と清志郎の音楽。いまでもこの光景は脳裏に焼き付いている。
家に帰りネットで調べると、山本太郎の立ち上げた政党と知った。あの変な人が政党立ち上げたのかくらいの第一印象だったが、YouTubeで流れてくる動画を見ていくうちに、徐々に気持ちが変わっていった。というより、衝撃を受けた。
彼は、国会での6年間の議員活動の合間にたびたび街に立ち、人々からの質問に答えるという活動をしていることが分かった。時に、酔っ払いに酷く罵倒されていたり、右翼に絡まれたりしていた。
選挙時に一方的に演説をしている議員の姿は当たり前に見るが、選挙期日外で演説どころか質疑応答までしている議員は初めて見た。どんな質問がでるか分からないし、答えられなければ赤っ恥をかく。国会議員が街に立つということは、安倍元首相の事件でもわかるように生命にかかわる勇気のいることだ。もちろん、ボディガードはついていない。
質問は、憲法改正から安全保障、経済政策、社会福祉など多岐にわたるが、淀みなく回答している。付け焼刃でできるものではなく、彼が日々さまざまな分野について学び、街頭に立つことで政治家として必要な知識のアウトプットを続けてきたことが分かった。そこには単なるタレント上がりのパフォーマンス議員はいなかった。人はこれほどまでに成長できるものなのか、と感動した。
その後、1か月くらい取り憑かれたように彼やほかの候補者などの動画を見まくった。内容の詳細はここでは書かないが彼の言葉と政治への熱い想いに涙が止まらなかった。枝葉を見ればいろいろあるが、おおむねすべての政策に共感できた。政治家なんかみんな偽善者だと思っていたが、彼は本気で、ホンモノなんだと思った。
それを確信したのは、下記の北九州市・小倉駅前の演説。
動画の中の彼自身が述べているように、自分の政治家としての保身のためなら小沢一郎とずっといたほうがいい。でも、それではガス抜きにしかならない。本気でこの国を良くしたいから一人で政党を立ち上げた。力をかしてくれ、と涙ながらに聴衆に呼び掛けていた。確かに、職業安定という点において小沢一郎と一緒にいた方が安泰なのに、わざわざ一人になるメリットは何もない。
生まれて初めて政党に寄付をした.この参院選時、山本太郎にはわずか2か月足らずで1億6000万以上の個人献金が集まった(選挙終了時では約4億)。常人ができることではない。街頭演説には多くの人が集まり「れいわ旋風」が巻き起こったが、反原発を真正面から訴える彼を、選挙期間中取り上げるテレビはほぼなかった。
政策の主軸は積極財政。インフレターゲット2%を限度に大規模に国債発行して消費を加速、経済を活性化するというもの。また、消費税の廃止。社会保障に使われていると思われている消費税は、法人税減に多く使われている現実を指摘する(直間比率の是正)。
★衆院選2024 政見放送
れいわの経済政策は「ばら撒き」「非現実的」と批判される。
消費税の多くが法人税減税の穴埋めに使われていることは明確なデータがある。一方、れいわの金を刷りまくるという経済政策の是非は、正直経済学に深く精通しないわたしには明確に判断し得ないが、この高度に複雑化した現代社会においていかなる経済理論を持ってしても絶対的な正解など存在しないとも考えている。
大切なのは政策実行のスタンスが票田である大企業や組織に向いているのか、真に国民に向いているのかが大事なのではないか。
だとすれば、失われた30年を考えれば、この国の経済を託すのはもはや既存の組織、裏金、統一教会に牛耳られた政党ではなくれいわしか無い。かりに死ぬとしても山本太郎と死にたいという気持ちだ。
大きな組織、企業の支えなく、国民一人ひとりの草の根で支えられ、8人もの議員を国会に送り出したという事例は憲政史上初。
現在、永田町の空気を読まないこの少数政党は野党内でも脅威と考えられており、かなりエゲツないれいわ潰しのような目に合っている。野党共闘どころか野党内で潰し合いをしているという残念な状況だ。
前途は多難だが、この国にまともな良心が残っていることを信じることができる象徴としてのれいわ新選組、唯一の希望としての山本太郎をわたしは応援せずにはいられないのである。
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