2024レッチリ東京ドーム行ったよ
過日、5月18日(土)、レッドホットチリペッパーズの東京ドームライブへ。
1990年クラブチッタ川崎の初来日ライブから33年。きみまろ漫談のネタのような歳月を経て、自分自身の人生を振り返る意味もかね出かけた。
全盛期のパワーにははるか及ばないのはやむを得ないとして、はやり彼らのグルーヴ感はサイコー。踊り跳ねまくり。
あの頃、ルーズソックスを履いた女子高生は、U2やレニクラ、ストーンズなどを体験するも、大会場では演者の音楽性を掴み切れないような欲求不満感から駆け出しのミュージシャンの小規模ライブに時折足を運んでいた。
たまたま出会ったのがRHCP。
タワレコとかどこかのCDショップで『Mother’s Milk』を聴いてライブに行ってみようと思った記憶がある。
そのときは「新アルバム『Mother’s Milk』を引っ提げRHCP来る!友人の死の悲しみを乗り越えて…」みたいな宣伝文句だったような。
ちょうどメンバーのギタリスト・ヒレル・スロヴァクがヘロイン中毒死、新メンバーにジョン・フルシアンテを迎えたころだった。
ライブはとにかくはちゃめちゃで、明らかにラリってステージでちんソックスで暴れる彼らと“痛み”とは結び付かないように若かりし私には見えていた。
痛みと哀しみから多くの音楽が生まれる。
破天荒なライブパファーマンスが目を引くRHCPの楽曲の歌詞内容がどれだけ注目されているかはわからないのだけれど、格差社会の弱者の視点、孤独と哀しみ、反権力、商業主義、支配からの解放、平等を謳うものが多い。
散文的、隠喩的、シニカルな表現で実に繊細。これらの思想は黒人音楽から啓発されたともいう。
レッチリが最大級の敬意を表するジミ・ヘンドリクスの1969年ウッドストックでの伝説のライブパフォーマンス、ベトナム戦争への抗議との解釈があるアメリカ国歌の演奏を想い出していた。
ウクライナ戦争、イスラエル•パレスチナ戦争の終わりが見えない現在、レッチリには何らかの発信を期待してしまったけれど。