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親指のないおじさん⒈

親指のないおじさんには妻がいた
娘もひとり
親指のないおじさんの妻はよく祖母の家に泊まりに来ていた
娘を連れて1週間から十日、長いときは2週間くらい
車で1時間半ほどかかるけど、毎回彼女は
タクシーできていた。帰るときも必ず決まったタクシー会社の
お気に入りの運転手さんを指名して
「また 来るね」とどこか名残惜しそうに帰る

今、私があの頃の彼女の年齢になって旦那の実家に
娘をつれて何週間もいるなんて拷問でしかない
祖母をとても慕っていたのでこのような関係がうまれたのかもしれない
私達も彼女が好きだった。普通に家族だと思ってくるくらい親戚でも近い関係だった。彼女の事をみんな、「美紅さん」と下の名前で呼んでいた。

当時、祖母が内職をやっていたため、美紅さんも一緒に夜中まで
テレビをみながら世間話をしながら楽しそうに内職を手伝っていた
週末は私達孫は祖母の実家にお泊りが恒例で夜更かしを楽しでいたのでそこ光景は何度もみていた。
夜鳴きそばがくるとラーメンの器を持ってラーメンをみんなで食べた
とても遅い時間で楽しみな時間だったが昭和の子供の遅い時間なので20時頃だったのかもしれない

親指のないおじさんは美紅さんが実家に居る時には必ず一度は顔を出した
でも 親指のないおじさんが実家に泊まることは一度もなかった
いつも通り来ると数時間でたまに一緒に外食をして帰っていった
それをみなだれもが当たり前に感じていた

親指のないおじさんには他にも 子供がいた
遠く離れたところに住んでいて交流はあったようだ
私の知る限りで時期はかぶっていないが奥さんは数人いたので
祖母には孫が沢山いた
二十歳前後でそれを知った私は親指のないおじさんは女性にだらしないんだなと知っていたが 私には関係なく普通の親戚のおじさんとして好きだった
幼少期から優しくいつも周りに人がいた人たらしなところがあったと思う

親指のないおじさんと美紅さんの生活はとても華やかにみえた
年に一度 大きなレストランを貸し切り芸能人を呼んでディナーショーを
開催したり、美紅さんはスナックをオープンした。
まさに昭和のバブル期。食べ放題の立食パーティーは食べ盛りの反抗期の私達にもとても魅力的で毎回足を運んだ。
芸能人は今もテレビで活躍してる人たちだった

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