99点のテストを見て泣く小学生
今回は結構重い話になってしまうかもしれません。
苦手な方はブラウザバックをお勧めします。
僕は一度小学生の頃に、『もうこのまま死んでもいいや』
そう思ったことがあった。
僕の母は凄く厳しかった。当時の母は愛の裏に隠れた自分のトラウマに気づいていなかったのだろう。
そして僕もそれが母の愛だと思っていた。
小学校のテスト。『みんなが98点だった~』とか『あぶね俺92点』とワイワイテストの点数を語り合っている中、僕は99点の国語のテストを見ながら泣きそうになっていた。
何故なら僕に許された点数は100点しかなかったから。
前にも国語のテストで99点を取ったことがあり、そのテストを母に見せた。
僕は『惜しかったね。』『悔しいよね。』その一言があれば次も頑張れた。
でも僕が期待していたものとは違った。
『こんな凡ミスで100点取れなかったの?』『ちゃんと勉強見てあげたし、その時は出来てたんだからほんとは取れるはずだよね』『ちゃんと確認しなかったんでしょ?』
『たまには褒めてくれたっていいじゃん!僕だってこれでも頑張ったんだ。』
って言いたかった。
でも言えなかった。
母の愛に答えられない自分が悪いと思ったから。
幼稚園くらいまでは母親が家におらず、おばあちゃんに育てられていました。うちのおばあちゃんは世間体をとても気にするおばあちゃんでした。
そんなおばあちゃんを見て育った僕は、人の目に自分がどう映るかばかり考え、小二くらいの頃には立派に自分の心に嘘をつくことができました。
その頃の僕はとても小さく、非力でした。
そんな僕のことを、おばあちゃんはいつもうちの孫は一番小さいと笑いながら話していました。
そして女の子より小さいちびだと、よくおばあちゃんの友達に笑われていました。
そして僕も笑っていました。
そういうのが積み重なって外では猫を被り、家では母にずっと好いていてもらうために勉強を。次第に僕は自分が何者で何ができるのか分からなくなりました。
そんなある時、急に思いついてしまいました。
僕が死ねばって。
そうすれば母が怒る必要もない。自分に出来ることは勉強しかないのに。
それですら100点を取れない。
だからベランダから飛ぼうと思ったんです。
まあ結局飛ばなかったんですけどねw
その時に母親が見たこともないほど顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いて止めてくれたんです。
その時にようやく僕は、何かしていなくても生きているだけで愛されているということを知りました。
と、この後から親がどんどん変わっていって、今ではこの頃の話をすると母親はすぐ泣きそうな顔になって謝ってきます(笑)
色々エピソードはあるんだけど、これ以上書いたら文がまとまらなくなるのでやめておきます。
僕はたまたまこの日々から抜け出せたけど、きっとそうじゃない子だっている。
僕がビジネス家になってお金を稼いでやりたい一番の目標が、
夢と希望、そして自由を親に縛られている子に自由になってもらいたい。
あなたの価値を決めるのは親じゃないと。そう伝えたいんです。
そして実際に体験した僕だから知っていることがあります。
そうやって子供を縛っている親こそ苦しんでいると。
そんな親子がどちらも幸せになれる夢のような施設、もしくは環境を作る。
それが僕の人生をかけた目標です。
誤解されないように言っておくと今はとても母と仲がいいので安心してください!
お昼にカフェにいってお互いの悩みを相談したりするくらいに!
それに大変な夢だねといいつつ、いつも応援してくれています。
皆さんがいつまでも幸せでいられるように願っています。
長文になってしまいましたが読んでいただきありがとうございました!
(必死になりすぎて上手くかけていませんが大目に見ていただけるとありがたいです)