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人として、誰かの記憶に残ること
梅雨が明けたというのに気候の迷走が著しい。人間以上のバグを起こしている地球の気候はもう少しバグの修正のアプデくらいしてほしい。バグ倍増アプデは不要だ。優しい気候になってくれても良いんじゃないだろうか
私は今より考えが幼く、自分のことで手一杯だった時に
『人間として生きてたくない』
『皆んなの記憶に残りたくない』
そんなことを考えていたことがあった
その時は積極的に生きようと思えてない時期だった、"ワンチャン"死ねることができたら、なんて思っていた
だから、誰かの記憶に残りたくなかった
記憶に残ること、それは死後の美談アイテム要員としてもだし、後出しじゃんけんかのように時すでに遅すぎる悔やみや都合の良い綺麗事を並べられるという個人的な卑屈思考も含み、なによりも私の存在の記憶があることでその人の感情を揺らがせてしまうのが、時間を割いてしまうのが嫌だったからだ。死んでも尚、私の為に悲しむという感情エネルギーを使わないで良い、と思っていたからだ
そこまでして
私に時間も労力も悲しみなども費やすに値しない
しなくていいだから記憶に残りたくなかった、いない存在として、いなかった存在として。だからみんなの記憶から消えれば、残らなければ、両者ともに未練と悔いがなくなる。忘れられる悲しさよりも未練を、感情と時間を割いてほしくなかった。それが本望だった
でも、今は誰かの記憶に残っている事は “ 嬉しい ” と思っている。ありがたいし、私も誰かの記憶に心に残る存在になれたことに喜びを、嬉しさを感じる
自分を肯定するまではできても、その存在価値は自分では計り知れないけれど、存在に価値は見いだせることでもなくても、存在を、価値を自他で認めることは、地に足をつけてこの世界を生きている事なのだと思う。1歩1歩踏みしめて足跡をつけている、残していること
その足跡がいつか消えても、自分は地に足をつけて生きていくから、だから、足跡の残り方以上の自分らしい1歩を踏みしめていきたい
そう思った22歳の夏、7月。私の足跡はここにもあるよ
2022/07/17 By。いろどり
P.S. このブログ読んでくれている病院スタッフさんいたら今度感想教えてね、読んでくれてありがとう、いつもありがとう