2023/9/17 idenshi195 "やわらかな鎖"雑感

当日配布されたパンフレット

2023/09/17 高橋郁子(https://twitter.com/ikuko_t)さん脚本・演出の朗読キネマ「やわらかな鎖」を拝見して来た。そこでつらつらと思った事。

音楽の中の雨を表現したとして

・ギターのミュートノイズや、エフェクティヴな空間で、雨の日の質感を醸す

とか

・パーカッションで雨の擬音を作り出す とか演奏上の工夫で、より音楽に密接に現実の臨場感としてのリアルな演出を付加する。

それをやってるやってないでは、表現の説得力が当然変わってくる。

「雨の日の歌です。 」

と言って、歌詞で雨の日の情景を説明するよりも、そうした音楽的効果で、様々な視点から雨を描いてみるということをトライしてみるのも、自分の表現を磨く一歩なのではないかと思うけど。

例えば、雨の何について表現しようとしてみたかとか。 それは「コンクリートを叩く雨」「水たまりを跳ねて進む何かの音」なのか。

その情景表現が、歌詞の世界とリンクした時に、歌を聞いた人が、よりその世界観を身近なものとして親身に感じやすくなるというだけの事だと思うのだけど。 もし、それから一歩先にやれる人などは、その雨の中で凍えてる声などを醸すことが出来るというだけの事だ。

idenshi195の朗読劇で、そういった演出や表現への挑戦が見られたのだが。

電話の向こうで、相手が喋っている声を、自分の肉体だけで表現しようという試みだ。これは実に素晴らしい試みだ。音楽の録音物なら、イコライザーを使って帯域を削れば、そんな効果は簡単に作れるが、ライブ中の表現に、そんな効果を、ある箇所に狙って付けるなどできはしないのだしね。

もし、歌の中で「電話の向こうの相手が喋っている声」で、Aセクションを歌い。 Bセクションでは「電話のこちら側の相手が話して聞かせている」というボイシングを、エフェクターなど無しに聞かせることが出来るとしたら、それは落語を超えるレベルの声の使い手であり、名手であると思う。

それもまた音楽だ。

ま、演者が足元でエフェクター踏み変えて、電話の向こうの人間の時には自力でイコライズカットするようにするとか、2つのマイクを使い分けでボイシングの変化をつけるとか、そういったやり方もあろうけど。

肉体の表現の中で、それを行おうとした、高橋郁子さんの朗読劇の狙いや演出に、私は拍手を送りたいのだ。

言葉一つの放たれ方にまで、演出家と演者が、あれほどの磨き抜かれた表現を行おうとしている事に、同じ声のパフォーマーとしては身が引き締まる想いだった。

私は歌の表現と言いながら、今まで何をやってきたのだろうか?

そこまでの気づきを人に与えかねないほどの可能性を秘めているという事だ。

多分、高橋郁子さんは、誰に教わった訳でもなく、他人の朗読劇や、様々な演劇や・・・そして、とても音楽の好きな方と伺ったので、そうしたボーカリゼーションを様々聴き込む中から、そうした彼女なりの独自の視点で朗読劇にアプローチするようになったのだろう。

その視点にこそ斬新さを感じた。

プロとして幾多の脚本を手掛けて、演出にも携わってきた彼女の声へのアプローチというのは、流石、プロの現場で磨きこまれてきた叡智が宿っている、と感じた。

出演されている俳優さんや声優さんも、本当にそれを体現し、理解した人たちが一体となって、その場を作り出そうという情熱にあふれていた。こんな光景を音楽の現場が喪って、何年経過するんだろう、と思ったの。

そこから先、彼女の表現は、今、現役のアニメ声優や俳優が表現しているものの一歩先を見据えた表現に移行しようとしている。そこで育った声優さんや俳優さんたちが、アニメや演劇の現場にそれを持ち帰り、自分たちの表現に新たな一歩を加えようとしているのだろう。そこでの更なる飛躍が期待されるのだ。

もし。 この演出の及んだ表現が、アニメや演劇に加わって、より臨場感や感情表現に優れた声の表現を提示するようになった時。

ぶっちゃけ、その瞬間、音楽のボーカリゼーションなど、ゴミレベルの拙さと言われかねないほどのものになり、歌声の表現など、顧みられなくなるだろうと思う。

技術と表現力の拙さに於いて。

もし、その演出やボイシングを正しく身につけた人が、きちんと音程を取って歌えるなどの音楽技能を身につけた瞬間。 今、音楽の現場の人間たちがエモーショナルと言ってるような表現は、何の説得力もない・・・

それは形骸である!敢えて言おう!カスであると!

位になってしまうだろうな、とさえ思う。

正直言うけど。 音楽の現場にいる事が、これほど情けなくなった事は無いよねぇ。日々、声の表現に向かう情熱の深度。自分たちのシナリオの中の言葉一つ一つを磨き上げる精緻を求めるひたむきな姿勢。

それでいて、ライブの偶発性や臨場感まで備えた空間がそこにある。 ああ、こりゃ、歌としては音楽が消えかねんね。

黙って、高橋郁子さんの朗読劇に一度触れてみたらいいんだと思う。あれを聞いて、声の表現というものに何らかの気づきを感じないのだったら、それは声の表現に携わっても、仕方ないものだとさえ思える。君たちがテレビで見ているアニメの演出家や声優が、一体、どこまで本気でやっているのか。

それを身近に感じて、何も思わないような人だったら、元から言うほどのセンスがないのだとさえ言いたくなるよ。

高橋郁子さん。私はあなたの仕事に最上級の敬意とエールを送りたい。

音楽や演劇やアニメの枠を超えて。 声の可能性の未来図を、あなただけが見つめてる。

私は、あなたの狙おうとしてる声の表現のファンです。
これからのidenshi195の益々の発展を応援しています。

しかし、あなたの突破力には負けるよ・・・w

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