三人寄れば、核融合炉
はて。
躁人格と私で、一体、バンドを志してから何曲書いて来たんだろう、と思ってみた。過去幾つかのバンドをやってきた中で、一番最初にやったバンドってのは、コンポーザーが別にいたので、自分が1曲しか書いてないのは分かるんだが。
で、ネオアコやってた時は、メンバーが3人揃って曲を書く挙句、
私単独
ギターA単独
ギターB単独
私とギターA
私とギターB
ギターAとギターB
という、それぞれのメンバーが1人で書くどころか、2人組のソングライティングチームが3組あった訳で・・・DOUBLE KNOCKOUT CORPORATIONを3倍搭載した状態。
この辺のネタが分かる人は、俺の友だ。
デビューもしてないペーペーのインディバンドのくせして、楽曲が100曲近くある挙句、メンバーが自分の書いた曲を、ソロアルバムみたいに仕立てて、バンド内で互いに、しこたまディスカッションしてるみたいな異常な状態になってたのだが。
あの時間ってのが、物凄い、今となっては貴重な時間に思うのよな。作曲の事を本気でまじめに考えたという事について。
大体、そのソングライティングチーム自体が、チームAはザ・スミス とか アズカメみたいな曲を書いたかと思うと、チームBは R.E.M.とかヴェルベッツとかニール・ヤングみたいなのを濫造するわ、チームCは、XTCとかそういうひねくれたポップソング書き出すわ・・・。
しかもソロで書いてる曲とも違うし。
私が一番、ソロ作るのは少なかったけどね。
だって、何だかんだで私が全部の曲の歌詞書かなきゃいけないから、私に最終的な仕上げが回ってくるわけで・・・どんだけ歌考えなきゃいけないんだよ・・・と悩みまくった。
何せ、出来上がってくる曲が多いだけに、自分のボーカリゼーション一つで曲の全てというか、それが生きるも死ぬもがかかる訳で。
しかし100曲近く前にすると、自分の力量の無さとか不足以前に、歌詞のネタに困るようになるんだよな。
あと、そういう曲を並べて聞いているうちに、自分のボーカリゼーションのパターンやバリエーションの無さが目立ってくる。
どの曲聴いても、どっか似たような歌い方や歌い回しや、歌詞まで同じにしか聞こえなくなってしまう。
それに自分で気づけない様だったら、もうダメだと思った。自分の能力の無さに早くの段階で行き詰まったからこそ、本気でその打破を考えたんだが。
そこから、もう一度、自分の好きなボーカリストたちの歌い方を徹底分析して、1000曲近く歌いこんでは、その人たちの歌い方を模写しては、声の出し方そのものを研究した。
その中から、自分の武器に使えそうなものを磨きこんで武器に変えようとした。
これが、たかが、年に1曲か2曲の新曲書いてる程度の寡作なバンドなら、結構な期間、自分もいっぱしの歌い手気取りで、いい気になれてたかもしれない、と思うと、ゾッとした。
けど、私の隣にいた強力なコンポーザーチームたちのおかげで、私は自分がボーカルとしてはまだまだ技量が足りない事を思い知らされたんだよね。
22歳の頃。私は仲間たちの才能のおかげで、自分の弱点に気づかされた。
今の私のボイシングなんて、その中のいくつかを、曲に合わせて作り込んでるだけで、武器なんかまだまだあるがね。一度も使わぬうちに出せなくなってしまったものはあるが。
老いて死ぬ間際まで使えるものも含めて・・・遊べるまで遊ぶさ。
あの時の私には・・・作曲を共に学び、自分の弱点を教えてくれた両翼がいた。
二人ともチャキチャキの江戸っ子で・・・片方は「東京に来ながら、東京の人間を冷たいとかって言って悪口で商売してる奴らの歌など誰が聞くか!」と長〇剛を蛇蝎のように嫌っていたけどな。
クソダセェものは大嫌い!と轟然と言い放つ、ジェントルパンクス。
だから、彼は私の隣でリッケンバッカーのギターで、ザ・スミスのジョニー・マーも真っ青のギターを奏でてくれた。
全く、ベースとドラムがキッチリ見つかってくれてたら、と思うと泣けてくる・・・。ピーター・バックとジョニー・マーが俺の隣にいたのに・・・
まあ、キッツイ言い方すると。
東京という場所に1000万人が住み。 残りのエリアに1億数千万がいて。
東京を悪者にしてdisる歌の方が、地方の人たちの東京への反感の歓心を買えるんだろうけど。そして、それは、東京という場所に住む1000万人に向けて歌われる歌よりも、遥かに巨大なエンターティメント産業なのだ。
それを聞いて、本気で激怒してた江戸っ子たちがいた事を。そして彼らと最初から出会えたことを、私は幸運に思ってる。
よくよく考えたら、自分はその頃、本当に、東京生まれ東京育ちの友達とばかり仲良くなってて、逆に、地方の人たち同士で群れて集まるのが大嫌いだったんだよね。
そして、その頃、同じ山形から来た私の同級生連中は、こっちに来てまで、ずっと田舎の友達とつるんで、そのまま一緒に山形に戻って行ったようだが。
私は、田舎に切なくて哀しい想い出ばかりを置き去りにしてきたから。私は、そんな東京の暖かさに育まれて。今、ここに根を下ろしてる。
こっちで出会った人に、人騙そうなんて奴いなかったね。
寧ろ、穏やかで優しくて、人情に厚い。田舎のギスギスした関係とは違った、純粋で成熟した大人の関係がそこにあったんだよな。
俺ら、騙されまくってたんだな。メディアの策略に。
エコバニをカバーした時。
”何であんなブレスの使い方まで、完璧にイアンを再現できるんだ”って言われて。
当たり前だよ。20代の頃、脇目も振らず歌いこんで、身体に染みさせるほどに身につけて、それを極限に絞り込んで。
自分の声に合わない奴を除外して・・・喧嘩に使える武器に磨いたんだ。
何回も録音しては、こう歌うと、こんな風に録音される・・・なる程。
その過程で歌ったものは、自分の声は合わないけど、歌詞見なくても歌えるくらいまで諳んじて歌い込んだ。
最近は、もう、そんな事はやらないけど・・・ 歌が好きという割には、随分と・・・。
やめとくか。俺は自分の美学でやり続けただけで、そんなくだらないことを、俺こんなに頑張りました自慢みたいに喋りたくなかっただけだ。
それに、それは他人のモノマネであって。
自分だけにしかない必殺技の歌い方を見つけたのは、結構、後の事になる。
爺になってから、喧嘩に付き合わなきゃいけないなんて、随分なハンディキャップマッチだな。このまま見つかんない方がよかったかもしんねぇや。
本当に田舎から出ていて、貧乏で何も持たない自分が。
金すら持たず、楽器も買えず。戦う武器は歌しか無かったよ。
けど、東京の友達が俺の横で楽器を弾いててくれたから、田舎から出てきて、ようやくバンドを始めた連中よりも、遥かに圧倒的な速度でバンドを固めて勝負に行けた、ってことも。
今だから、明かせる。
何せ、16歳の頃から、ライブハウスでライブやってるような奴ら。
田舎から出てきて、ようやく楽器手にして始めて、バンドがどうとかギャーとかやってる奴らよりも、遥かに熟練した腕前を持ってるのは当たり前で。
バンドで喧嘩などさえした事無かったけどね。
君らは、マスコミのばら撒く”東京の人間のパブリックイメージ”に騙され、それを過剰に敵視して敬遠するあまり・・・本当の信頼できる優しくて頼もしい東京の友達まで敵に回したんだ。
3年で鉄壁のバンドを組めるような貴重な仲間たちにまで、喧嘩を売ったに等しいんだ。
私はあの時、貴重な教訓を得たんだ。
東京に出てきた自分と似たような境遇とつるんでも、何らの学びも無いってね。それは今だって、そんなに変わってないんじゃないの。
敵にする奴と味方にする奴を間違っちゃだめさ。
「あ、レーベル見っけてきた。」
「マジ!」
流石は、早稲田実業のギタリスト2人・・・やる事為す事そつねぇし。
的確に情報仕入れて、作戦たてて実行するんだもん。こりゃかなわんわ。
地の利を生かして、遊びもお得な店も、ぜーんぶ彼らに教わって。
で、奴らは、さっさと、田舎者のばら撒いた幻想東京に破壊されて、住みにくくなった本当の故郷の東京から逃げて、ちょっと離れた郊外で悠々自適で暮らしてる。
「小田原だから遊びに来てー。今、釣り三昧。」
「あれ、上北沢の実家、売っちゃったの!?」
「遺産相続とかメンドクサイだけだし、ここなら音楽するのも釣りするのも楽だしさー。」
相変わらず、頭が良くてそつねぇんだもんなぁ。
と、今でも、私とコンタクトはあるのよねw
何せ一時期、親戚にもなったので。で、世田谷に移住した後で、情報を集めると・・・調べれば調べるほど、確かに彼らの判断は、的確で先を見据えすぎたもので・・・。
とある仕事に携わってた時に
「この辺も、住みにくくなったからって、リタイアすると土地売って、郊外に移住する人たちばかり増えたのよねぇ。」
賢いというのか、なんというのか。年取ってから移住しても、生活がしんどくなることを見越して、先に新天地で自分の足掛かりを作って備えるつもりなんだろうな。それで、さっさと見切りをつけて東京を去るって。
何から何まで、勝てる気がしないw
子供の頃から、都市に溢れまくる情報の群れに振り回されずに、その現実対処を知ってる人達を相手に、地方から来たばかりの「これから勉強します」なんて言ってるような奴らが、まともに勝てるわけがない。
俺も小田原あたりに逃げたいw
こういうのを
3人寄れば文殊の知恵
言います笑
いや、自分、コンプレックス持つ前に、彼らと自分の間の地力の差を素直に認めることが出来たってだけで。虚勢を張る必要がなかったからこそ。
真の天才たちに歯向かったって仕方ない、ってことをよく知ってるんだよ。