Cemetery Gates(墓場の入り口)
“『自分たちも、テレビ局ごっこをするんだ!俺の名前を世界の歴史に刻んでやる!だって俺の人生一度きりだもん!やりたいようにやる!』とばかりに、自分の墓石作りに余念がない。”
こういう文章を書くと、ついつい、それを使って悪ノリしてみたくなる。
『そういえば、あの人は、派手な衣装で踊るのが好きだったわねぇ・・・。』
チーン
女はそう言って、鈴を鳴らす。
想い出の中の10年前のYoutubeの前で。
その映像は良くできてはいたが、何故か、今の最新技術の映像の中では、一際、色褪せて古ぼけて見えた。
懐かしい日々の想い。
あの人と共に歩んだ頃。
・・・あの頃、未来がこんな風に変わっていくとは思わなかった。
その遺影の中で、煌めく様な青春の日々の中を駆け抜けようとしていた、そのあどけない子供っぽさを残した若者の、笑顔で楽しそうに笑う、そのYeah! の前で静かに手を合わせた。
『・・・今見るとダッサ。』
自らも中年の坂を昇ろうとしていた、その少しくたびれた女の鳴らした、一際、涼やかに鳴るその鈴の残響が。
カーン!
何故か、古き昔のNHKのど自慢の。
途中まで歌わせてもらえずに、気持ちよさそうに歌ってる失格者を遮るように鳴らされる。
あの。
『・・・残念でした!』の侘しい余韻に、何故か重なって聞こえたのであった。
バタン!
玄関のドアが開いた音がして
『今、帰った。飯、何?』
・・・と、かつては若かったであろう、そのあどけなく子供っぽさを残した童顔の、些か無理して若作りをしているが、どうにもそれを隠せそうにないほど、くたびれた男が、汗と泥まみれになった汚れた作業着に身を包んで自分に近づいてくるのが見えた。
『・・・なんで、こんなのに引っかかっちゃったんだろう。アタシ。』
溜め息一つ。
空気に融けて消えた、溜め息一つの夢の果て。
若かった。何もかもが。
あの映像の足元の、ド派手なケバケバシイ赤のスニーカーは、もう捨てたかい?(完)
しかし、こんな派手なサビ作っちゃうと、俺も、その前後どうしたらいいか、扱いに困ってしまうと思うw
何か、申し訳ない程度に付け足しても、すこしチグハグな感じがするんだよなぁ。かといって、この印象的なフレーズをひたすらループさせるのもなぁ。
”青春”とは、どうしても切なくて、その鮮やかさと重さを持て余す。
煌めいた青春が鮮やか過ぎるほど、その日々の終わりを認められず、そこにしがみつこうとするものであるのは、世の常なのだろうか。
墓場の入り口に立って。僕らは様々な人の人生に思いを寄せる。
青春の『消えない光』を追いかけて、君のそばで死ねるのが幸せだと思ったあの頃の日々を。
僕らは、懐かしく、思い出すのだ。
若者とは、いつの世も、そんな生き方しかできないのだ。