「拝啓ジュリエット様」
音楽理論は、最終的に美しくて心地よいフラクタル構造を、音の上に作るためのものだと思う。当然、音楽でカオスを作ろうとしてる人がフラクタル構造を必要としないのは当たり前なのだが。
1年に1回は時折、X上で「音楽理論無用論」が起こる。
ただ、そういう声が起こるのは、そんなカオスとフラクタルの対決の事ばかりではない。
正直言うが、今の日本の音楽には「音楽の物語を作る教育が欠落している」っていう問題が存在しているようだ。今の音楽に致命的な違和感を感じてる人が増えてきたのは、そのせいだろう。
その理論は「古典音楽」の側に眠ってる。
それを欠けば、音楽は数理な音楽の羅列でしかない。残念だが、明治時代に輸入された音楽理論は、壮大な音楽の歴史の叡智の前提が欠落してる。
言わば「現代の言葉で、相手に失礼のないビジネスレターを書く書き方」で「ラブレター」を書いているようなものに近くなる。
それが、どんな結果を生むか。
AIにラブレター書かせてみれば分かろう。
・・・こんな手紙もらったら、実際どうしていいか分からないだろう。
お気持ちは分かりましたが。
ある人の演奏を聴いて「上手いけど・・・」って言われてそれっきりになる原因。
学校では教えてくれない。教えられない。
それは、まだ、日本でほとんど知られていない。
まだ、音楽には未来も学びの余地もある。
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