朗読キネマ「潮騒の祈り」に寄せて

2025年、いつもお世話になってる脚本家の高橋郁子さんの朗読キネマ「潮騒の祈り」を拝見させて頂きました。

当日パンフレット

で、今回は12人の方で3人ずつのチームを組んで臨まれるということだったが、敢えて3人が全員男性という「上弦」の部を拝見させて頂いた。

というのは、高橋郁子さんの描く脚本というのは、私にとっては吉田秋生さんの『吉祥天女』を読んだ後の気分を思わせる部分があって、ある種、女性が女性として生きる中での業をテーマに扱いながら、それを鋭利な脚本家の感性で丁寧に客観視するような冷静な目線を同時に兼ね備えた稀有なものだと思っている。私は、たまに高橋郁子さんが、どんなにシックな黒の衣装に身を固めておられても、その後ろに白衣を身に纏った医者や科学者に見える事がある。

限りない情熱をお持ちなのに、それをひたすら冷静に描くことを自らに課しつつ、その影から目先の背後の情念や情熱に溺れないようにしながら、それでも、その背後から様々な情念が滲みだしてくるような。

・・・なんて人の書く脚本を、男性三人で朗読させて描く、とか。それも彼女が時間をかけて磨いた、一番大事にしているであろう脚本で。これほどの意欲的な挑戦があるだろうか、と思ったので、敢えて、その一番難易度の高そうな『上弦』チームを拝見する、とか。自分も中々のマニアである。

配置は、左手に近内拓也さん、中央に宮瀬祐樹さん、右手に深田祐樹さんと並んでいる。多分、このチームのキーパースンは宮瀬さんだろうな、と、会場に行く前のリーフレットから勝手に想像して、実際の朗読キネマに向かう。

最初の20分くらいは、脚本や演出のパワーに支えられていたものの、お三方の言葉運びや発声がどこかばらついていて、少し急いていたような印象を受けていたし、少し硬さのある近内さんの上目な発声に微妙な違和感を感じていたのはあった。

まあ、じつはこっそり、テンポを手で取っていたのだが、自分がもし、この脚本を読むなら、もう一呼吸分だけ、後ろ目に取るのかもしれないなぁ、とか、ついつい余計な事を考えてしまったのはある。

とはいえ、すいません。私が何度も色んな朗読キネマを聞いてるせいで、少しマニア化してるかもしれないですが、当然、お三方、最初から素晴らしい朗読でしたよ。

これは恐らく、男性お三方も、このシナリオにどう向かうか試行錯誤されている中でのすり合わせの部分みたいな所もあったと思うし、敢えて高橋さんがこういう組み合わせにしたのも、半分は計算づくの所はあるのかなとも思った。元々、母子の感情のすれ違いからスタートしているストーリーではあるので、すれ違いの違和感が少しある位で、ちょうどいいのかもとか思いながら。

朗読を聞きながら、娘の言葉に、R.D.レインの「結ぼれ(knots)」の一節を思い出した。

My mother loves me.
I feel good.
I feel good because she loves me.
I am good because I feel good
I feel good because I am good
My mother loves me because I am good.

My mother does not love me.
I feel bad.
I feel bad because she does not love me
I am bad because I feel bad
I feel bad because I am bad
I am bad because she does not love me
She does not love me because I am bad.

私の母は私を愛している
私はいい気分なの
私はいい気分、だから彼女は私を愛してる
私はいい子、何故なら、私はいい気分だから
私はいい気分、だから私はいい子

私の母は私を愛してない
私は嫌な気分
私が嫌な気分だから、彼女は私を愛していない
私は悪い子、だって私が嫌な気分だから
私は嫌な気分、だって、私は悪い子だから
私は悪い子、だから彼女は私を愛してない
彼女が私を愛していないのは、私が悪い子だから

Knots - R D Laing

最初に感じていた妙な違和感が消えだしたのは、娘の過去の回想が入ったあたりだろうか。その辺りにふと、娘のモノローグに『結ぼれ』のこの一節が妙にかぶって、思い出された。

宮瀬さんが一番最初にスイッチが入ったかなぁ・・・いきなり彼が本物の ”綾子” になった。それにシンクロする様に、深田さんがスイッチ入って。

話者二人による、綾子の内的な声と、実際の綾子の声が重なりだす。
この辺が朗読キネマというか、言葉の楽譜の絶妙が動作する醍醐味だと思う。内なる声と、実際の声が、本当の意味でシンクロを始める辺り。

この辺りから、母役に近内さんを配したのも、計算づくだったのかなぁ・・・最初の辺りは、近内さんの声が物凄くよそよそしく違和感のある固さだったのが、ストーリーにシンクロしてくるにつれて、3人のハーモニーに聞こえだしてきた。

あ、醍醐味来た。

半分経過した辺りから、朗読キネマの真骨頂であった。
男性3人なのに、女性が3人いるみたいな気分になって来た。
(当然、これは、全てのストーリーを堪能した上で、それでもかつ、第三者目線の余計な事を考える私の音楽人的な悪癖です)

最後には、全く、女性3人が朗読をしているのと違和感を感じなくなった。
ああ、流石は idenshi195 の総合力だな、というか。

ついに朗読キネマは、性別を超越してしまったか、とも思った。

あ、海に入った辺りから、近内さんがガチの母親になったぞ。

まあ、そういうライブな流れも堪能して。ストーリーを終えた時。

この男性3人チーム、あと2回か3回もやったら、女性3人チームで聞くよりも妙味があって面白いのかもしれないなぁ、とか思ってしまった。

もちろん、他のチームのも比較して、いろいろな話者の表現も聞いた上で、それぞれの表現の妙味もあるのかと思うけど。

女性の情念の塊みたいなストーリーを、敢えて、男性3人で演じる、という形を取りながら、最後は、脚本、演出、話者の技量で一つの映画の様にまとめてしまいつつ、ライブ感も堪能できてしまった訳で。

あれ、80分が1時間も無かったような気がする。
そんな、奇妙な時空のねじれを感じていた。

体験した事ない人は、一度、体験してみたらいいんだと思います。
時空間がねじれると、実際の時間経過よりも、不思議と時間を短く感じるものなのです。


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