本当の自分はなにか
文章を書くこと
絵を書くこと
ヨガ・瞑想をすること
こういったことをすることは
玉ねぎの皮むきに似ているんだと思う
例えば文章を書くこと
ここ1年ぐらい、モーニングページというのをたまにやっている
ひたすら30分間、書き続けるということをやる方法だ
これによって、自分の頭に浮かんでくるものをひたすら書き連ねる
ある程度すると徐々に書くことがなくなってくる
書き続けて、書くことがなくなってきた中でも、
定期的に立ち現れてくるもの
それが自分の中でどうしても残ってしまう本質なのかなと思う
絵を書くこともどうだろう
最初はそこに今の気分、外部的に影響を受けた自意識が
そこに反映される気がする
ただ、それを書き続けることで
もっと表現はクリアになり
洗練されていき
自分自身の描きたいものが残ってくるのではなかろうか
ヨガはどうだろう
ヨガは身体性を獲得していくということの1つなんだと思う
ヨガは玉ねぎの皮むきをしやすくするための水に浸すとかなのかな
自分の心と身体の状態を感じていくということ
身体性が閉じていると感性が鈍っていく
だから外にいったときに、外部とつながりずらい
思考が優位になりがちになると
自分の思考の皮を向きづらくなっていく
そういったものを払い落とししやすくする
そういうことなのかもなあ
瞑想はどうだろう
瞑想中は色んな思考が頭の中に浮かんでくる
それ自体は悪いことではないとも聞く
その思考の頭の中に浮かんでくるものを
お風呂の湯垢をすくうように
徐々に思考を透明にしていく
そういう方法なんだろうなと思う
自分の表現を探求するということは
自分の外部から来た自我意識を
玉ねぎの皮むきのようにむいていき
最後に残ったものを
立ち表せる
さらにいうと
勝手に立ち現れていく
そういうことなのかなあとも思う
いくら本当の自分はなにか
自分ならではの表現はなにか
ここらへんを考えても
なにも出てこないきがする
文章を書くこと、
絵を書くこと、
ヨガをすること、
瞑想すること、
これらは日常の中で、
自我意識を溶かし、
余計な思考をすくい
研ぎ澄ましていく上で
大事なことなんだろうなあ