常世と現世、聖と俗

シルバーウィークでの伊豆・伊東での時間から、京都での時間。

寄せては返す波のように、
様々な感情が立ち現れてきては消えを繰り返し、

夜景の中のジェットコースターのように、
きらきらした光が点滅しながらも、あっという間に過ぎ去った時間

伊豆・伊東と京都の合間にあった
娑婆の時間では
会社から大きな金額の追加の決裁を得ながら
その金額というもののリアリティを一切感じれず

今が常世(とこよ)なのか、現世(うつしよ)なのか、
はたまたその境界をうろついていたのか、
ふわふわと誘われるままに歩んでいた

京都の伏見稲荷大社の時間を思い出す、
あれは人だったのか、狐だったのか、
おぼろげに映る存在に化かされているのか
なんとかもくっきりはっきりしない時間
化かされて影響なのか、
その後の夜の鴨川で、久しぶりに泥酔しながら
鴨川の暗闇の中で友人の吐露を聞き続けた

京都の時間を終え、
泥臭く必死に目標達成に向けて必死で頑張っている部下との1on1が
急に娑婆に戻ってきた身としては辛く
暗闇から急激に光に当てられたような感覚を持ち
とはいえ少しずつ、
また娑婆にグラウンディングしていかねばというように
思いながらの一週間だった

必死で仕事に取り組んでいる部下を横目に
ふわふわとリアリティのないことを夢想しながら
どこか居心地の悪さを感じ続けた

山伏が、修行後に精進落としとしての遊郭で遊んだのも
俗への戻し方に苦しんだ結果編み出した方法なのかもなあとも思う

金曜日は雨だった
天候に左右される人間は、プロフェッショナルではない
そんなことを以前は思っていた気がする
雨の時間で物悲しくなった自分
それはそれで素晴らしいことかもとも思う
自分の感性が取り戻せつつあるのだから

日本の四季をもっと感じていたい
心の感情を流されながら
変に自然に抵抗することなく
一体化しながらも
その中で動いていければいい

システムの中に取り込まれる中で
その中で自然性、偶発性をどのように発揮していくか
常世(とこよ)と現世(うつしよ)を行ったり来たり
聖と俗を行ったり来たり
それをやり続けることが大事なんだろう
一方の世界に紛れ込んでしまうと、
それはそれで一瞬楽になれるのだが、
あるバランスが崩れた瞬間に
一瞬で闇に落ちていく

今日は少しの晴れ間を見せてくれた
午後は外に歩きにでかけよう
またどんな感情がうまれてくるか、
たのしみにしながら

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