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家事は「仕事」 正義のベーシックインカム

近年、AIのおかげで仕事が減ってきていると言われている。あるいは、雇用を作るために価値のないような仕事が作り出され、お金が右から左へ流れているだけの状態も増えている。

ベーシックインカムの正当性は、もうこれだけでも理解できる。無駄な仕事を作って、人を無用に働かせて一部の人が肥えるのを防いでくれる。ほんとうに要らないものは消えていく。

そこで、さらなる理論。大多数の人が必ず行っている「家事」を、仕事とみなしてしまおうという新しい価値観。

実は20世紀に入ってから、金銭報酬を伴わない仕事のほとんどが仕事とみなされなくなっている。労働市場でお金が動くもののみ、「仕事」とされているのだ。

もし、ある男性が家政婦を雇って、料理や洗濯をさせたらどうだろう?これは賃金が発生する。就労者が増えて失業者が減っている。経済統計上は、国民所得が増え、GDPも増える。だから仕事とみなされる。

でも、もしその男性がその家政婦と結婚し、その方が家事をやり出したらどうだろう?1人が職を失い、経済が落ち込む結果となる。あるいは、あなたが今日全く同じに行った家事や洗濯はどうだろう?これは仕事ではないとみなされる。

これって、よく考えたらだいぶ馬鹿げてるし、世の中にはこのような無給の仕事で溢れてる。無償で自分の子供の世話をする親は、雇われて他人の子供の世話をする人と同じくらい「仕事」をしている。無償でしてる方が生産性は高いのに、経済統計上では表れない。仕事とみなされない。

だったら、もう家事とかを仕事とみなして、みんな生きてるだけで何かしらの労働をしてるんだから、ベーシックインカムを配ろうよ、っていう価値観を広めたい。これが、資本主義や自由主義に変わる、あるいは捕捉する新しい主義になりうるんじゃないかと思う。

(特にお年寄りや子供、自分や家族ももちろん含む)人のケアを、仕事とみなそう。だからベーシックインカムは正義。これが新しい価値観。

これどうでしょう。


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