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毒だから抜けば良いってもんでもない〜食べ物のお話〜
Xをのぞいたら、こんなポストがあった。
「四毒という話」by岡本よりたか
— 内海 聡 (@touyoui) February 17, 2025
小麦の知識はこの人が一番だよ。
最近、四毒抜きという言葉を良く聞く。
吉野先生が言い出したことで、別段それ自体はいいんだけど、僕はなんか違和感を覚えてて(笑)…
最近というか、すごくずっと思っていたことと、ほぼ同じだ。
毒だから食べない。
ある意味正しいのかもしれないけれど。
ものの本質を見たときに、ちょっと違うような気がしたし、私は賄いでもなんでも食べなきゃいけないことがあった。
別に断ってもいいのだが。
ときにそれは食べたくもなるものであって。
四つ脚でさえもグランディングだと思いつつ摂取している。
まあ四つ脚を食べたあとはお風呂に入るときに、四つ脚食べたなぁというにおいはする。
話をポストに戻すと、私はこの四毒の考え方を最近どうも宗教っぽくもあるなぁと感じていた。
これを言うと、きちんと四毒を抜いて良い暮らしをしている人に怒られるかもしれない。
けれど、マックのセットを食べている人が、なぜ幸せそうに食べているか、なぜ高齢者まで生きながらえているか。
もっとちゃんと考えてみた方が良いのかもしれない。
選ぶものが必ずしもプラーナ(いわゆる栄養)になるかは分からないけれど、最近私が選ぶものはオーリングチェックでもしっかり私に合っていたりする。
四つ脚でさえも、ビート糖さえも、すごく久々に食べるマックでもである。
視座の高い場所にいたあと(?)に必ず食べたくなるのである。
これはもう、受け入れろということで。
平たく言うと「カラダが欲する好きなもの食べてたら良いんじゃないの?」ということだった。
小麦を食べたらアレルギーになるのは、小麦に使われている農薬やその類のものが悪いのであって、小麦に罪はないのだ。
(毒だと思ったらレイキで抜いちゃう/笑)
ことこれに関しては、広く一般的な答えなんてないのだろうけれど。
私はこのポストで腑に落ちた。
そう、偶然引き寄せたマルミヤパンのパンがめちゃくちゃ美味しいように!
これはもう一般の美味しいと言われるパンの質とは違うから、お近くの方はぜひ食べてみてください。
私は学生時代パン屋さんで働いたことがあるけれど、パンのイーストを測ってるとにおいが好きじゃなくなった。
っていう話をマルミヤパンの人(笑)としていたら、「焼けた瞬間が一番美味しそうなにおいで、本当に美味しくて、そのときのために焼いているってことで、ものごとってなんでもそうだよね。」みたいな話になった。
確かに、苦しいこととか、あったとしても、一番良い瞬間が必ずある!
何度も言うけど、食べることは「生きることを許される」ということで。
食べたいという氣持ち、美味しく食べれるという日々。
なんでも食べることは絶対に罪なんかじゃないってことだと思う。
もちろん命に関わるアレルギーたちに関しては、職業柄がら特別な配慮はしている。
やっぱりすべては循環の中にある。
すべての循環に感謝!
ついに仕入れが本格的に動く!!
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