色つぼむ花月夜(ショートストーリー)
花粉舞う春。
僕は、ぐずぐずの鼻をもぎとりたくなる。
薬をのむと眠くなるから、終日「春眠暁を覚えず」だ。
早く夏になればいいのに。
けど、都花沙は問答無用で僕を外に連れ出そうとする。
「ねえ、蛍琉。天神山の頂上の緑地に行ったことある? それほど高いわけじゃないけど、桜林があるんだって」
「僕はパスだよ。天道を連れていきなよ」
「えー、天道は部活が忙しくて全然付き合ってくれないんだもん。ねー、お願い」
「……完全武装で行くからな」
「やった。ありがとう」
付き合っているのは、天道とのはずなのに。
あいつが部活にかまけているせいで、僕が駆り出されるのだ。
都花沙と僕と僕の双子の兄の天道は、家が隣同士のいわゆる幼馴染というものだ。
出会いは幼稚園。
僕らはバスのお迎えの場所が一緒だった。
母親同士が仲良くなったのは言わずもがな。
幼少の頃の都花沙はなかなか活発で、僕らの遊びに行くところに必ずついてきた。
キャッチボール、サッカー、虫取り。
家の裏に秘密基地を作ったこともあった。
それが変わったのは、中学に上がってからだった。
都花沙は女の子と遊ぶようになって、僕らは少し疎遠になった。
かと思えば、時々問答無用で僕を連れまわす。
でも、僕は中二の文化祭の後に、天道と都花沙が手を繋いで帰っているのを見てしまった。
仕方ないと頭で割り切っても、胸のあたりがズキズキした。
天道はスポーツもできて、人当たりもよく、人気があった。
僕はというと、頭のデキは良いが、人と関わるのが苦手で。
顔は同じなのに、太陽と月のようだとよく言われていた。
都花沙は天真爛漫な性格で、男子から人気があった。
誰が見てもお似合いのカップルだろう。
「都花沙。現代文の教科書貸して」
隣のクラスの天道が休み時間の間に顔を覗かせ、教室の女子はにわかに色めき立つ。
「天道くん。私の貸してあげるよ―」
「いや、隣だし。家帰ってから返すから」
「そっか―、残念」
「都花沙―」
「はいはい。ちょっと待って」
教科書を持って、都花沙は天道に駆け寄る。
ここ最近こんなやりとりが特に多い。
僕から借りた方が合理的なのにな。
実はこの間の席替えで、僕と都花沙は隣の席になった。
僕は窓際の眠くなる席だ。
「ねえ、蛍琉。教科書見せて」
「また授業かぶってたの? 何度目だよ。全く、あいつが隣に見せてもらえばいいのに」
「まあまあ仕方ないよ。見せて」
都花沙が机をくっつけてくる。
「しょうがないな」
普段より近い距離に、僕はいつも落ち着かない気分になる。
先生の声は右から左へ通り過ぎていく。
僕は時々こちらを伺う都花沙の視線をさけて、つい教科書から目をそらしてしまう。
隣の席は、嬉しくて苦しい。
「ただいま」
「おかえりー」
「母さんは?」
「なんか、醬油が足りないって買いに行った」
「そう」
最近は部活でいないことの方が多かったのに、久しぶりに天道と家で二人になった。
「天道。隣の人に教科書見せてもらえないわけ? 毎度毎度借りにきて迷惑だろ」
「仕方ないだろ。両サイド女子で、どっちかに見せてもらうと諍いが起こるんだ」
「この、モテ男が」
「はっはっは」
天道は腕を組んで、得意げに笑う。
「で、蛍琉。都花沙とはどうなんだ?」
「どうって、変わりないよ。幼馴染だろ」
「ふーん。蛍琉もオレくらい本能のままに生きてみればいいのに」
「嫌だよ。僕は理性的に生きていきたいんだ」
本能のまま考えなしになにかやるなんて、怖くてできない。
僕はゆっくりでも確実に、一つ一つ考えながらやっていくんだ。
天道みたいに、勢いのままなんでもかんでもやってたまるか。
眩しいからこそ、抗いたくなる。
焼かれてたまるか。
僕は太陽の光を反射してなんぼなんだからな。
土曜日。
黒のキャップとマスク、顔との隙間を覆う眼鏡。
ツルツル素材のウィンドブレーカーを着て改札の前で僕は都花沙を待った。
「めっちゃ不審者じゃん!」
そんな僕を見て、都花沙はおおいに笑った。
桜が咲くところは、もれなく花粉が多い。
花粉症患者にとって、花見は自殺行為である。
それなのに外に出たくなる「春」。
本当に恐ろしいやつだ。
地下鉄に揺られながら、僕らは隣に座る。
途中から、車両は外を走り出す。
列車と変わりない景色に胸が弾んだ。
春らしくところどころに地上には桃色が見える。
さっぽろ駅から八駅離れた駅の前は、こぢんまりとしていた。
スーパーと少しだけ飲食店があるが、蕎麦屋は閉店していた。
それ以外はほとんどアパートや民家で、僕らはスマホの地図を片手に進んだ。
天神山はちょっとだけ駅から離れているようだ。
進むと、なんとなく緑が茂っている山のようなものが現れはじめた。
さらに進むと、沿道にのぼり旗があり、鳥居の先に坂があった。
神社があるようだ。
坂の上は見えず、なかなかの上り坂だったが、矢印がそこを差していたので、僕らは諦めてその坂を上ることにした。
「はあ、きっつ」
「蛍琉。もっと運動した方がいいんじゃない」
「ほっとけ。運動がそんなに好きじゃないんだよ」
上から振り返ってこちらを見る都花沙。
太陽も僕を煽るように輝いてやがる。
上りきった先にあった神社で、お参りして、その先を探すが、周りには木が茂っていて道の先を伺うことができない。
「この道で合ってるのかな?」
そうこうしている内に、後ろから来た人が、神社の近くにある物置の先に進むのが見えたのでついていくことにした。
進むと整備された道があり、アートギャラリーの建物が見えてきた。
その先に、山の頂上の草原を囲むように見事な桜の木々が並んでいた。
犬をつれいてる人もいる。
「わーすっごい、すごいねぇ」
桜林とは、まさにその通り。
沿道に並んで咲いているのとは違って、見上げた空は重なった桃色に彩られ。
木から舞い落ちた花びらが、地面も桃色に染めていた。
「世界がピンクになったみたい」
「なんだそりゃ」
「見てみて、あそこの地面。花びらがハートの形になってる」
「おぉ、まさか自然にそうなる訳ないよな」
「かわいー」
都花沙はスマホのカメラを向けて、連写していた。
後で天道にでも送るのかもしれない。
「女子はハートが無条件で好きだよな」
「まあ、かわいいし。そうかもね。でもさ、ハートって心みたいじゃない?」
「心?」
「人の心の形は人それぞれかもしれないけどさ。なんていうかな。こう、人が恋してる時って、みんなハートな気がする」
「恋とは、限定的だな」
「そうかもね。だからずっとハートの形という訳じゃないかもしれないけどさ」
「うん」
「例えば今の天道の心はさ、たぶん星みたいな形なんだよね。部活が恋人みたいな感じで」
「部活が恋人って、二人は付き合ってるんじゃないの?」
「私たち付き合ったことないよ」
「嘘だろ?」
「そうやって、蛍琉が勝手に距離を置こうとするところすごく嫌い」「え?」
「私、天道と二人で出かけたことないし! 天道が好きな人、年下だし」
「はあ?」
「もう鈍感すぎてムカついてきた」
都花沙の手が、僕の耳に触れてキャップが落ちた。
さらにマスクの紐をつかんで引き剝がす。
「ちょ、なにする」
両頬を右手で挟まれる。
「ムカついたから、花粉吸わせてやるー! このぉ、苦しめえ。鈍感やろー」
押された勢いで、押し倒された。
一度離れた手は、今度は僕の胸倉を掴む。
その後で勢い良く、唇にやわらかい物が触れてすぐ離れた。
「帰る!」
都花沙は勢いそのまま駆けていく。
「は? はあああ?」
思考が全然追い付かない。
でも、ここで追わなきゃダメだ。
もつれそうな足をなんとか動かして必死で走る。
体育祭でさえ、こんなに真剣に走ったことはない。
こじらせ続けたハートが破裂しそうだ。
マスクは取られたままで、鼻のぐずぐずも存在を主張してくる。
苦しい。
口で呼吸するしかない。
こんな時にばっかり反応良すぎるだろ。
僕の身体。
桜林の奥にある階段を駆け下りていく都花沙を必死で追いかける。
恐ろしいくらい早いのを、見失わないように必死で、ただただ必死で。
「都花沙―!」
もう少しで追い付けそうというところで、急に都花沙が立ち止まった。
勢いが止まらない僕は、ぎりぎりのところで避けて、その先にある三段の階段を飛び、なんとか着地した。
どっどっど。
血液が身体を駆ける。
息もできないし、足も痛い。
「蛍琉。見て、すっごい大きな藤棚がある」
「ふあ?」
眼前には何本もの幹が、金属製の立派で大きい棚へ地面から枝を張り巡らせていた。
たくさん生えているように見えたけど、一本の藤みたいだ。
人が五、六人くらいいないと囲めないくらい大きい。
「こんなの、また咲く頃に来たくなるやつじゃん」
「そうだな」
ようやく心臓が落ち着いてきた。
相変わらず鼻は詰まってぐずぐずだ。
「また、藤の花が咲く頃に一緒に来ればいいだろ」
「いいの?」
「うん」
「やったー!」
都花沙が後ろから抱きついてきた。
普段と変わりない調子に、さっきのことはもしや僕の妄想だったんじゃないだろうかと思えてきた。
「走って疲れた。ね、このまんまおんぶしてよ」
「はいはい。仕方ないな」
都花沙を背負って、まだ咲いてない藤棚の下を歩く。
花が咲いたら、どんな景色が見られるだろう。
今度は紫の空が広がるのかな。
「そういとこが、好きなんだ」
耳元で、都花沙が言う。
「そういうとこって?」
「天道なら、面倒くさいって帰っちゃうのに。蛍琉は最後まで付き合ってくれるでしょ」
「そうだっけ?」
「そうよ。あいつは人を置いていく天才なんだから」
「ギラギラしてて目立つしな」
「本当に。どこから湧いてくるのかってくらい知り合いが多いよね」
「一緒にいるとたまに疲れるよな」
「本人に言ったら怒りそう」
「確かに」
「太陽もさ、悪くないんだけど。ずっとずっと照らされてるのはしんどいでしょ。私は月の方が落ち着く」
「そう」
「で、返事は?」
「え、えーと。僕は、その」
「煮え切らないなあ」
「てかさ、中二の文化祭の後。天道と手をつないで帰ってたのはなんだったんだよ」
「あー、あれは。実はもう一人天道の彼女がいてね。二人で帰っていると反感を買うからって仕方なく一緒にいたの。今は上手く隠し通してるけど、あの頃大変だったのよね。ちなみに敵を欺くのは味方からってことで、言ってなかったの。ごめんね」
「あいつー!」
ポンポン頭を叩かれる。
「それで、返事は?」
その時、桜の花びらを乗せた風が通り過ぎて、都花沙は反射的に飛んできた花びらを掴んだ。
開いた手のひらに、ぽつんと桃色の花弁がひとつ。
「桜の花びらってさ、ハートの形に似てるよな」
「うん?」
「これと同じだよ。今の僕の都花沙への心の形」
首に回された腕が、ぎゅーっと絞めてくる。
「ちょちょ、苦しい」
「男ならちゃんと言って、恥ずかしがるなー」
「僕はそこまで男前じゃない」
「言うまで絞める!」
ぎゅうぎゅうぎゅううう
「ぐぅう。好……きっ」
「全然聞こえないなー。もう一回!」
解放されて、ぐるんと向い合せにされる。
お膳立てされすぎて、もうどうにでもなれっていう気分になってきた。
「都花沙!」
「はひっ!」
「好きだ! ずっと、好きだった」
今度は都花沙の顔がみるみる赤くなっていく、あんな人のことを煽っておいてこれかよ。
僕は都花沙の顔をぐいっと上に向けて、勢い良くキスをけしかける。
カチッ
「ってぇ」
「ふふ。歯当たるとか、おっかしい」
あー全く、全然決まらないじゃん。
俯きかけた僕の頬を都花沙の両手が包む。
少しだけ背が高い影同士の口元が、今度こそゆっくりと触れあった。
なーんて、傍目には綺麗に見えたかもしれないけど。
僕の鼻はすでに限界突破。
目からは延々と涙が出てくる。
もう帰りたい。
僕はやっぱり春が嫌いだ。
苦しくて、しんどくて。
一人なら絶対外に出ない。
隣に君がいるから、大嫌いじゃないだけ。
その日の夜。
また天道と二人きりになった。
「天道。次から貸すのは僕の教科書だからな」
「お、ようやくくっついたか」
「は?」
「これでオレも教科書を借りる必要がなくなった」
ニマニマしながら去る天道。
共犯かよ。
「てか、お前彼女いたのかよ」
「ふふん。めちゃくちゃかわいいぞ」
ほんと、くっそ。
その時スマホの通知音がなった。
僕は明日死ぬのではないだろうか?
開いた画面には、二人で見た地面のハートが、何枚も送られてきていた。
※この作品は2024年10月6日「十勝毎日新聞の郷土作家アンソロジー」に掲載されたものを加筆修正しました。