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【散歩】たみ散歩(リモートワーク編) 伊那拠点 Vol.2 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!
10月中旬にADDressさんの伊那拠点がある伊那市を訪れましたが、ここでもぶらり散歩を楽しみました。この拠点にいるときには散歩だけでなく、駒ケ根ドライブも楽しみましたので、それは後程またご紹介します。
伊那市駅は伊那市の中心駅として機能し、商店街も活気がある魅力盛りだくさんの街でございます。1991年に公開されたオリジナルビデオアニメーション「究極超人あ~る」では、東京の高校生(OB)たちが飯田線のスタンプラリーに挑戦し、ゴールの伊那市駅を目指すというエピソードで広く知られています。その舞台となった飯田線の田切駅や伊那市駅は、アニメの聖地の元祖として、今も多くの愛好者が訪れる場所となっています。
ようこそ伊那市へ。伊那市駅は東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅でございます。この日は仕事終わりに新宿から20時発の特急あずさにのり、岡谷で乗り換え飯田線で伊那市駅へ。ADDressの伊那の拠点で南アルプスの街並みを散策し、伊那市を楽しもうという訳でございます。
今回の散歩マップ。
13.0kmを3時間29分57秒かけて歩きました。今回も他の地域と同様にたみ散歩では伊那市駅を中心に散策しますので、お隣の伊那北や下島方面には足を運びません。
皆様に伊那市駅周辺の見所スポットをお伝えするために、おススメコースを作ってみました。
こちらからコースマップをダウンロードできるようにしました。
駅前広場。
知らない土地を探索するのはワクワク致しますね!伊那市駅のロータリ目の前にある和菓子屋さん「越後屋菓子店」。
伊那のまゆと言うお菓子を販売しているそう。
美味しそうな和菓子ですが、早朝でしたのでしまっておりました。商店街ぶらり散歩編も余裕がありましたらお届けしますね!
駅前にある「いなっせ」。
新刊書店や、ブティック、飲食店、八十二銀行伊那市駅前支店、伊那市教育会、荒井区事務所、伊那市生涯学習センターなどが同じ建物に入っており、駅前のランドマークとなっております。
いなっせにはいっている書店「ニシザワ」さん。
地元の人はAmazonよりここで本を買うのかもしれません。
早朝なので、商店街はしまっています。人口は6.8万人ながらもかなり活気がある街です。お昼度時に駅前を歩くと本当にいろんなお店があるので楽しめます。
まずは朝食を取るために訪れたのが、日替わりのサンドウィッチのほか、ホットサンドやトーストも楽しめる伊那市駅前にある「コーヒーとサンドイッチ おかもと」さん。
この日は伊那市の拠点と言えどもリモートワークに精を出さねばなりませんので、伊那の拠点の家守さんおススメのおかもとさんでモーニングを取ることに致しました。おかもとさんはこちらの記事で紹介していますので、是非皆様もモーニングを楽しんでみてください。
「通り町」の交差点。
どこへ向かっているかと申しますと、国道361号を通り、伊那公園に向かっているのであります。この日は生憎雨模様。
晴れていたら、もっと明るい街並みを皆様にご紹介できたのに残念です。こればかりは仕方がありません。今の時刻は商店街はシャッターが閉まっていますが、決して伊那の街はシャッター通りではない明るい街並みなんです。これにはびっくりしました。
というのも小生が育った福岡県田川市は人口5万人をきりましたが、ほとんどシャッター通りなので、この差は一体なんなのかを、考えていたんです。
セントラルパーク。
「バラまちフェスタ バラ咲く街角」。
本当にこのような町おこしのイベントが沢山あるんです。そう私が思うのは、その街に住む方が自分の街を愛していて、関心があるかないか。住んでいる町の方が、あまり自分の住む街に関心がないと街にも活気が無くなりますよね。
「いなばし」を渡る前に。
「あの水この水の天竜となる水音」 by 種田山頭火
種田山頭火(たねだ さんとうか、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人です。自由律俳句の代表として、同じ「層雲」派の自由律俳人で、山口県生まれ。
幕末から明治初期の放浪俳人。井上井月の生き方に共鳴し昭和14年5月3日伊那に来て俳友・前田若水の案内で井月の墓参りを果たし、二泊しその時の俳句だそうです。
私も俳句を詠んでみましょう。
「我が人生 天竜流れの如く 暴れ川」 by たみと
50代の美魔女こそ前田典子さんが伊那市を紹介しておりました。
出典:旅スルおつかれ様 ハーフタイムツアーズ
あまりの美しさにマエノリさんに目が釘付けになりました。マエノリさんに後ろ髪を引かれつつも、さらに伊那市を散策致します。
小沢川を渡ります。
井上井月と種田山頭火との出会いが描かかれていました。なになに。
山頭火はついにやってきた。昭和14年5月3日であった。昭和9年から数えて丸6年ぶりの井月墓参の実現であった。
前回は木曽から峠越しの伊那谷入りで、藤村の『夜明け前』の舞台、馬籠をも訪ねることが出来なかった。飯田での急性肺炎に懲りてか、豊橋から飯田線利用での伊那入りであった。山頭火は井月の生き方に心酔しており、「いつも考えるのは、井月のことである。彼の酒好きや最期のことである」と日記に残している。
この度は、各地の旧友知己の温情にすがっての旅であり、今回は目的をはっきり井月墓参に絞っていたのであった。墓参が終った夜、伊那の予地から木曽へと帰っている。さて、井月と山頭火が実際に出会ったことは無いが、もし出会っていたら、二人とも無類の酒好きであったので、「千両、千両」と酒を酌み交わしたであろう。
明日知らぬ身の楽しみや花に酒 井月
寝ころべば信濃の空の深いかな 山頭火
果てしなき喉の渇きに越百の水 by たみと
さて一句詠んだところで、旅の続きと行きましょう。
夜は何を飲もうぜよ。「いろはにほへと 伊那駅前店」
夜の伊那も探索したいと思います。だいたい飲むところは渋いお店がいつも必然的に多くはなります。
伊那名物ローメンの垂れ幕がありました。もうばれちゃいましたね。お昼はその伊那名物ローメンを味わってみますよ。
「がブリチキン。」
都内にも店舗がありますが、ここ伊那にもお店がございました。都内でも食べれるものは地方では食べないと決めているんです。
これはよかストリートがあるじゃなかですか。
最近いろいろと地方に行くもんで方言がごちゃごちゃになってきました。この国道361号をまっすぐ行くと、高遠町に行きます。
「入船」の交差点。ここから天竜川を渡りますがその前に。
「天竜川舟着場跡」
漂泊の俳人井月は天竜川上流の通舟を「春風に待つ間程なき白帆哉」と歌い残しました。
江戸初期、角倉了以により川筋の見立てが行われたが、天竜上流では、通船が就航したのは文政の頃で、同六年神子柴の孫市、木の下の弥四郎等が通船を公認されたが、 木曽十ーケ宿、中馬業者等からの故障のために就航は難航しました。
明治四年伊那県の調べでは伊那谷に、五十般の船があった。同五年、平野村の尾沢辰之助等により岡谷ー掛塚 間の通船が行われたといいます。
要約すると、天竜川ではたびたびの洪水があったため、通船を定期的に行うのも非常に難航し、ついには途絶えたと書かれています。それがこの天竜川。
普段は穏やかな川ですが、流域は急峻な地形のため古くから「暴れ川」「暴れ天竜」として知られています。
赤石山脈・木曽山脈という日本の屋根に挟まれながら流れる天竜川水系は、その急峻な地形ゆえに古来より水害に悩まされた。古くは701年に天竜川最古の水害記録が残されています。特に伊那谷の出口に当たる天竜峡付近は川幅が急激に狭隘となることから、伊那谷は特に洪水の被害が顕著でありました。天竜川最大の洪水は1715年の「未(ひつじ)満水」と呼ばれる洪水で、伊那谷はあたかも湖水のようなありさまだったと記録に残されています。これに対し、流域の住民は様々な方法で水害に対処していたようです。(Wikipediaより)
さきほど紹介した伊那地方の郷土料理「ローメン」。ラーメンとも焼きそばとも言い難いちょっと変わったB級グルメでございます。蒸した太めの中華麺に、マトンなどの肉と炒めた野菜(炒肉)を加えた長野県伊那地方のソウルフードで伊那市界隈だけで約90店舗もローメンを出すお店がある程です。
ここで伊那駅から徒歩2分と言う場所にあるローメンの超有名店「うしお」さんに行ってみます。
ここで大きな太目の中華麺が特徴のローメンを頂きました。うしおさんの記事はこちらで紹介しています。
高速で伊那市に行く場合はこの伊那I.Cから来るとよいです。
伊那公園方面に向かって進みます。
割烹料理のお店「鶴家」さん。
うなぎですか。スッポン料理も気になります。
「中央区」の信号交差点。
国道361号と「伊那生田飯田線」が交わる交差点ですので、車通りも多いです。ここから「伊那公園」へ向かいます。
中央区の交差点方面から登ると結構鬱蒼としています。
しかし眺めは抜群でございます。
木曽山脈が見渡せます。そう、今回は台風の影響で「千畳敷カール」へは行けませんでした。それはまたの機会にしようと思っています。そのときはまたADDressさんの伊那の拠点でお世話になります!
伊那公園へ上ると「伊那東大社」がございます。
伊那東大社は明治時代の神社合併策により竜東地区にあった69の神社が合祀されたものです。
その中でも最も大きな(氏子の多い)神社が「伊那東大社」なんです。
年間を通じて、初宮詣(お宮参り)、安産祈願(帯祝い)、交通安全祈願、七五三、厄除、神前結婚式など諸祈願を執り行っています。
伊那東大社のお隣には二つの義勇軍碑がございます。
満州国開拓青少年義勇軍は昭和十二年我が国の国策にして、満州国の広大にして肥沃なる未開の原野を開拓し 食糧の増産と友好国大満州国建設の夢に強健なる体力と精神力を得た青少年による移民団であり、又の名を鍬の戦士と呼ばれました。昭和十二年先遣隊渡満以来、終戦まで数百万の青少年が大望を懐いて渡満した。然るに昭和二十年八月十五日終戦により日本引揚を余儀なくされました。この間異郷にありて大理想郷建設の為日夜激務精励し、其の尊き犠牲となりん、又不幸にして病魔に仆れ、又は大東亜戦争に出征し命を戦場に散した全県下の拓友の尊い数多の御霊を慰めんがため、戦後三十一年を迎えた今日生還せし同志相集いて此処に碑を建立し、其の聖霊を祀る。(碑文より)
「満蒙開拓青少年義勇軍」の「慰霊碑」は全国に見られますが、「満蒙開拓青少年義勇軍」の送出数のトップは長野県なんです。まだ幼い子供を、「軍」が満州に来たと思われるために、「満蒙開拓青少年義勇隊」と呼ばれたんです。こうした事実があったことを我々は後世にも伝えていかないといけません。
「伊那節発祥之地」。
伊那節は長野県伊那地方の民謡。祝儀歌・盆踊り歌としてうたわれ、地域の方にとってはなじみが深い踊り歌なのではないでしょうか。
ハァー天竜下れば しぶきに濡れる(ハオイヤ)
持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠(ハ ソリャコイ アバヨ)
「伊那公園」を散策していると、なんとSLがあるではありませんか。なにかの見間違がえでしょうか。
いいえ、そうではありません。「D51-209号」通称、デコイチ。この蒸気機関車は209番目に作られ34年間にわたって活躍してきたSLですが、全国の蒸気機関車ファンを代表して伊那市が国鉄からあづかったものだそうです。
デコイチを伊那市で見ることができるとは。盛り上がってまいりました。伊那公園はとても広いので、「伊那スタジアム」や、
「伊那市民プール」もございます。市民プールには大きな滑り台があり、滑るととても楽しいでしょうね。
カナヅチのわたくしは、昔地元の市民プールで溺れたことがあることは、この際恥ずかしいので伏せておきます。
さて伊那公園を楽しんだので、今度は、「太陽通り」に出て、「三峰川」方面に歩いて行ってみます。
マクドナルドがあります。マックファンの私ならば伊那市に住んでたらかなりの頻度で利用していると思います。
素敵な酒屋さんも御座いました。「西村酒店」。
のん兵衛の私ですが、へべれけになるのが嫌だと嫁はんから私の目の前では飲むなときつく言われているのでございます。ですので、飲むときは嫁はんがいないところで、ちびちびやっております。せんべろ~!!と行きたいところでございます。
伊那市民に愛される地元スーパー「ニシザワ」さん。
このスーパーが素晴らしいのは、閉店間際になるとほとんどの品が品切れになるほど、地域の皆様に利用されているスーパーらしいのです。なにか商売の秘訣があるんでしょう。小生も見習いたいところでございます。
「新子」交差点まで来ました。
まだまだ道のりは長いので、ここらでへばるわけにはまいりません。TSUTAYAもあります。
そういえば、TSUTAYAのディスカスから最近はDVDを借りてないなぁ。最近はAmazon PrimeやNetfix等で手軽に映画も見れるようになりましたので、余程マイナーな映画でなければ、Amazon Primeで見てますねぇ。。。
生憎本日はしまっておりました。ここらで小休憩をしたいところでした。
こちらは「炭火亭 櫓」さん。
信州の赤身肉のブランド牛「信州白樺若牛」が食べたいですぞ!!「竜王橋北」の交差点。ようやく「三峰川」の側まで歩いてきました。
ここからさらに「ナイスロード」を通り、「天竜川」の方面に歩いていきます。
カフェ「Wa花 (わか)」さん。
本当はここでお茶する予定でしたが、生憎閉まっておりました。つくづく雨男だなぁ。
ヤマダ電機もございます。「ヤマダ電機 伊那店」
最近愛用のVAIOのノートPCを新調しまして、SX14を購入しました。コンパクトで画面も大きくで使いやすいです。
「ナイスロード」を只管「天竜川」に向かい歩きます。
ナイスロード~♪この道~♪。あれは歌はカントリーロードか・・・
「UNIQLO」がございました。
皆様はどこで洋服を買っていますでしょうか。
こんなところに「天満宮」が。
やはり天竜川の氾濫を鎮めるために建てられたものでしょうか。「伊那市役所」前までやってまいりました。
ここから「毛見橋」を渡り、「春日公園」方面に歩きます。
これが「暴れ川」「暴れ天竜」として知られる「天竜川」でございます。
天竜川(てんりゅうがわ)は、諏訪湖の唯一の出口である長野県岡谷市の釜口水門を源流とし、長野県上伊那郡辰野町から始まる伊那谷を形成し、一部愛知県をかすめ、静岡県へ抜ける一級河川です。流路延長は213km(日本全国9位)、流域面積は5,090km2(日本全国12位)。日本第9位の川なので、大きな川でございます。
「春日公園」に行く前に「小黒城跡」に行ってみます。
いつもながら体内GPSを頼りに歩いていきます。
この上にあるはずなんですが・・・。
この階段の上でしょうか。行ってみます。
これが「小黒城跡」です。
小黒城は、伊那市西町小黒にある比高30m程の河岸段丘崖縁にある丘城です。複郭であったようですが、綺麗に残っているのは南東隅の曲輪で周辺は宅地や神社境内となっています。規模はおおよそ一辺50m程の大きさであったようです。
この辺りからは伊那市が一望できます。
「宗良親王歌碑」。
ちらぬまにたちかへるべき道なれば
みやこのつとに花もをらまし
宗良親王は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族で、後醍醐天皇の皇子に当たります。信濃の宮、大草の宮、幸坂の宮(庇護者となった香坂氏に由来)と呼ばれたことでも知られています。歌道の家であった二条家出身の母から生まれたことにより、幼い頃から和歌に親しんでいたようです。
元弘の戦で後醍醐天皇が北条に敗れ、隠岐島に流されたとき、宗良親王も讃岐へ配流となりました。しかし、その後、鎌倉幕府が滅んで建武の新政がはじまると、ふたたび天台座主に返り咲くことになります。
宗良親王歌碑のお隣には、「割烹いづみ」がございます。
ここでちょっとリッチなランチを頂いてみてもよろしいかと。
「伊那部宿跡」がございました。
伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し東は高遠城下、西は権兵衛峠を越え木曽へ通じる交通の要衝でした。天竜川右岸の第一段丘に位置し、南北330mの直線の町並みである。その初見は天正十九年(一五九一)太閤検地帳に十六軒の町並みが記されています。
この宿場の特徴は春日城・春日神社などが宿場と接続していることからその一画と見なすことができます。春日城の築城は発掘調査などから、室町前期から南北朝時代にさかのぼるといわれ、同宿はこの城及び神社と常に深くかかわってきたものと思われます。
また宿場の南端にある尾花ヶ崎は、南北朝時代宗良親王が遠征の途次この地に立ち寄られ、桜花に感嘆し次の歌を詠まれたと伝承されています。「散らぬまま 立ち帰るべき道ならば 都のつとに 花も折らまじ」。また戦国時代武家屋敷の伝承があり、更に天明四年(一七八四)伊那部宿に逗留した菅江真澄は「尾花ヶ崎は桜の名所であり県の御司が毎年訪れた所」の一語を残しています。なお宿場の背後の台地には伊勢並古墳群があり、一帯は古代遺跡の宝庫です。
江戸時代中期頃には宿場も整備され、本陣・問屋は勿論のこと街路の中央に角川が流れ、柳や樫などが植えられ、旅籠の他に酒屋・薬屋・荒物屋などがあり、中央に髪結いと銭湯がありました。明治時代に入り最初に郵便局が置かれたのもこの地です。また明治二十四年八月登山家ウェストンは木曽から西駒ケ岳を一日で踏破して伊那部宿に泊っています。
明治二十七年に開かれた三州街道が下段に開通したため、当宿場町は完全な形でのここりました。宿場機能を果たす多くの遺構が残る「伊那部宿」は江戸時代の形態を今に伝えるものとして県下でも貴重なものとなっています。(以上「伊那部宿の由来」説明文より抜粋)
ここから「春日公園」に行ってみます。
春日公園は春日城址公園とも呼ばれ、戦国時代の城址です。桜やツツジの見所スポットとして知られています。
入口には「春日神社」がございました。
春日神社の創建は室町時代の天文年間(1532~1553年)、春日神社春日城を築いた伊那部新左衛門が産土神としては春日城の一角に勧請したのが始まりと伝えられています。
天正10年(1582)の織田氏の信濃侵攻の際に、伊那部氏(春日氏)は当時の当主春日河内守昌吉が仁科盛信に応じて高遠城に立て籠もり討死した為に滅びますが、春日神社は西町村と荒井村の産土神として現在まで篤く信仰されています。
これを登ります。さあてもう一段ギアを入れます。
最近散歩に慣れてきたのか足腰が丈夫になってきましたよ。
境内入口に立つ二の両部鳥居を潜ると、拝殿がございます。
拝殿は大正9年(1920年)に改築されたもので、木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間軒唐破風向拝付き。祭神は、天児屋根命です。
境内には天満宮がございます。
左手の森の中にはこの天満宮を初めとして多数の境内社が祀られています。
「春日城本丸址」の方向に歩いていきます。
何やら見晴らしがよいスポットに出てきました。
ここからは伊那の街が一望できます。
「伊那の勘太郎碑」。
伊那の勘太郎は伊那市では誰でも知っている名前で、「戦時中に大ヒットした映画の中のヒーロー」なんだそうです。第2次世界大戦中の昭和18年に東宝で封切られた映画「伊那節仁義」(副題として“伊那の勘太郎”)は、軍事一色の当時の日本映画の中で大ヒットを記録したそうです。
軍部の締め付けが厳しい社会事情の中、この映画は史実として幕末に伊那谷を通行した水戸藩の勤王党「天狗党」を、勘太郎が手助けをするという筋立てで辛うじて検閲を通過したといわれています。
しかしその内容は、ふるさと伊那に帰った勘太郎が義理と人情の狭間で揺れる日本人好みの勧善懲悪時代劇でした。
本丸へと抜ける「本丸橋」。渡ってみましょう。
こちらが「春日城本丸址」。
春日城は信濃国の滋野氏の三家根津氏の支族である春日氏が築城したといわれ、戦国時代には伊那の豪族伊那部大和守重慶の居城でした。
重慶の子重親・重国兄弟は、武田信玄の信濃侵攻に背き、代わって春日昌吉が城主になりました。天正10年(1582年)、織田信忠軍の甲州征伐に伴い本城の高遠城ともわずかな守備兵で徹底抗戦を貫く。しかし高遠城落城後に春日城は火を放たれ落城、そのまま再建されることなく廃城となったんです。
現在は、この春日城址公園(春日公園)として整備され、桜の名所となっています。
伊那市から望む南アルプス。南アルプスは長野・山梨・静岡の3県にまたがる南北120km、東西40kmの広大な山脈で、ここに3,000m級の山が10峰、2,500m以上の山は実に36峰を数え、日本の屋根と言われています。また、四季は変化に富み、美しい原生林や深く切れ込んだ無数の渓谷と滝、高山植物の群落など、自然が豊かな山として人気があります。
ここから望む仙丈ヶ岳は、山容の美しさや雄大さでひときわ目を引きます。また、アルプスの清流を源とする三峰川は、渓谷を流れ落ち美和ダム、高遠ダムによって人々に大きな恵みを与え、市内で天竜川と合流し、やがて静岡県恩遠州灘で太平洋にそそいでいます。
皆様南アルプスの山々は上ったことがありますでしょうか?
「雲雀野(ひばりの)や はるかに仰ぐ 駒ケ岳」
「二の丸橋」を渡ってみましょう。
鎮魂碑がございます。
二の丸橋があれば「三の丸橋」もございます。
春日公園に出てきました。
生憎雨模様なので子供の遊ぶ姿は見られません。あの滑り台滑ったら気持ちいだろうなぁ。
この春日公園は高遠城址公園につぐ伊那の桜の名所。きっと春は桜が満開になるでしょうね。
春日城址公園(春日公園)のお隣には、「長野県伊那文化会館」がございます。
プラネタリウムなどもあり、伊那地方の文化の拠点としてこの地の文化活動を応援支持し、子供たちに最高の芸術文化を体験させるをコンセプトに運営されているようです。
今回は反対側から公園へ入りましたが、車だと通常は伊那市駅から県道202を通り、公園へ入ります。
喫茶店「フローラ」さん。
この日のランチは、伊那市の名物、ソースカツ丼を提供する昭和33年創業のソースカツ丼と中華料理の店「田村食堂」さんにお邪魔しました。
8割の人が注文するという田村名物「ソースカツ丼」は、特製ソースがクセになるボリューム満点のメニュー。その他「馬肉煮込み定食」など7種類の定食はじめ、伊那谷名物スープローメンなども人気の定食屋さんでございます。
田村食堂さんについてはこちらで食べ歩きレポを紹介しています。
「荒井神社」。
この日は例大祭が開催されていました。
昔の伊那街道を通り、駅方面に向かいます。
この辺り、昔の景観がまだ残っていますね。
「伊那市創造館」
歴史的建造物を文化財として保存し、市民の生涯学習の場として活用するとともに、教育、学術及び文化の発展に寄与することを目的とした社会教育施設です。
「しみずや」さん。
別の日に伊那の拠点の家守さんおススメのしみずやさんで定食を頂きました。
新宿から伊那まで高速バスが出ているので、バスを利用しても便利です。
伊那市駅前まで戻って参りました。
この日の夜というと伊那市駅から徒歩で1分の距離にある精肉店併設の焼肉屋さんが「焼肉のいたや」さんでお食事。南信州伊那の郷土食といては「馬刺し」も有名です。
長野の飯田、伊那地域では、食用といえば馬肉を指していたくらいに、当時から日常的に馬肉を食べていた文化がございます。先日馬のもつ(腸)の煮込み料理おたぐりもご紹介しましたが、それほど伊那地方には馬肉文化が根付いています。
いたやさんついてもこちらの記事で紹介しています。別の日には戦国時代から伝わる名物「高遠そば」を天下第一の桜の名所として有名な 長野県高遠町の「壱刻」さんでお蕎麦を楽しみました。
3種のそば粉をブレンドしたもので、生粉・平打ちの麺です。コクと甘みが特徴のしっかりと噛んで食べる十割そばです。
旅スルおつかれ様 ハーフタイムツアーズに伊那市が紹介されていました。
出典:旅スルおつかれ様 ハーフタイムツアーズ
如何でしょうか。今回は長野県伊那市にある、JR東海飯田線の駅「伊那市駅」を中心にぶらり散歩してみました。飯田線の県内駅で、1日あたりの乗車人員が最も多い駅で、アニメの聖地の元祖として、今も多くの愛好者が訪れる場所となっています。
皆様も是非、一度伊那の街を訪れ、南アルプスの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、自然に囲まれた写真旅を満喫してみては如何でしょうか。
written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方