【神社】千葉・上総一ノ宮の「玉前神社」。1,200年以上の歴史を持つ上総国にまつられる古社を参拝する!
上総一ノ宮に来たのであれば、是非上総国にまつられる古社を参拝し、パワースポットを散策するのも面白いでしょう。そんな千葉は関東屈指のパワースポットが上総一ノ宮の「玉前神社」でございます。
平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮の格式を保っておりました。
こちらが「玉前神社」の鳥居。
早速行ってみましょう。まずはご神水を賜ります。
ペットボトルにて持参することもできます。ご利益を下さるのは、大地のパワーと女神様。私もそのご神水で身を清めます。
玉前神社(たまさきじんじゃ)は、千葉県長生郡一宮町一宮にある神社です。祭神は、玉依姫命(タマヨリヒメ)。
玉前神社内にある「三峯神社」。
秩父の三峯神社(みつねじんじゃ)から勧請した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀っています。
「玉前稲荷神社」。
由緒ある玉前神社を散策していきます。この鳥居を潜ましたら本殿がございます。
1,200年以上の歴史を持つ神社。一宮町は房総半島九十九里浜の最南端に位置し、一年を通して寒暑の差が少なく温暖な気候に恵まれた土地で、縄文弥生の頃から人々の営みがあったことが遺跡や貝塚などによって明らかにされています。
歴史の古いこの一宮町の名称の由来となった玉前神社は上総国にまつられる古社であり、平安時代にまとめられた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』では名神大社(みょうじんたいしゃ)としてその名を列せられ、全国でも重きをおくべき神社として古くから朝廷・豪族・幕府の信仰を集め、上総国一之宮(かずさのくにいちのみや)の格式を保ってまいりました。
しかしながら永禄年間の大きな戦火にかかり、社殿・宝物・文書の多くを焼失しており、ご創建の由来や年数また名称についてなど明らかにされていませんが、毎年九月十日から十三日に行われるご例祭には少なくとも千二百年の歴史があり、移りゆく時代に少しずつその形を変えながらも、古代からの深い意義を連綿と守り伝えてきたことを何よりの宝物として、この郷の人々と共に大切にしています。
「上総の裸まつり」「十二社まつり」と称されるこのお祭りは房総半島に多く見られる浜降り神事の代表として広く知られ、壮大な儀礼をひと目見ようと、関東一円から大勢の人々が集います。
社伝では、玉依姫命は海からこの地に上がり、豊玉姫命から託された鵜葺草葺不合命を養育しました。のち鵜葺草葺不合命と結婚し、神武天皇(初代天皇)らを産んだとされます。
「子宝いちょう」。
雌株(右)と雄株(左)の真中に実生(みしょう)の子どもいちょうが育っています。雌株→雄株→こどもの順に両手で触れて子宝を願うとよいと言われています。
玉前神社は、富士山と出雲大社を結ぶライン上にあり、このラインの上には寒川神社(神奈川)、竹生島(滋賀)、元伊勢にある皇大神社(京都)、大山にある大神山神社(鳥取)があります。
その中でも玉前神社は最も東にあるため、関東屈指のパワースポットと言われているそうです。
「招魂殿(しょうこんでん)」
大正十二年(1923)建立。日清・日露戦争以降第二次世界大戦までの一宮出身325柱の戦没者を祀っています。
「力石」。
力石は、祭礼の日などに力自慢によって競われた遊び道具で、別名、玩戯石(かんきいし)ともいいます。横綱・太刀山(たちやま、当時関脇)一行が一宮を巡業した折、八十五貫(約319kg)といわれるこの石を幕内力士の若さくらが軽々と持ち上げたと伝えらています。
如何でしたでしょうか。関東屈指のパワースポットで、縁結び、子授けなどにご利益が篤い上総国一宮「玉前神社」。神武天皇を生んだとされる玉依姫命を祭神に祀る由緒ある神社で、上総国の一宮でもあります。皆さまも一宮に来た折には、「玉前神社」を参拝し、ご利益をあやかってみては如何でしょうか。
written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方
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