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【散歩】たみ散歩(リモートワーク編) 一宮拠点 Vol.1 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!
千葉県の外房にあるJR東日本の外房線の「上総一ノ宮駅」。私は散歩が趣味で、別のブログで散歩記事を書くくらい散歩が大好きです。その名もたみ散歩。小生の大好きだったちい散歩に因んで名付けたぶらり散歩の名前ですが、ADDressでせっかくの多拠点居住の生活を送っているため、各拠点の散歩記事をnoteで起こしてみました(別のブログ記事で纏めた内容をnoteに起こしています)。
そんな今回のたみ散歩(多拠点生活編)の初回は千葉に舞台を移し、サーファーの聖地や別荘地としても知られる上総一ノ宮駅周辺を散策致します。
上総一ノ宮がある一宮街の釣ヶ崎海岸は2020年東京オリンピックのサーフィン競技会場でもあります。
上総一ノ宮駅は、外房線の運行上の拠点であり、快速運転は当駅までとなっているほか、普通列車の半数が当駅で折り返します。今回の散歩マップ。
18.3kmを8時間17分27秒かけてぶらり散歩致しました。途中ランチを食べたり休憩をしたりしていますので、実際に歩いた時間は4時間弱です。ですので、拠点まで数キロの徒歩の移動は僕にとっては全く無問題です(笑)
たみ散歩はその最寄りの駅周辺にターゲットを絞りぶらり散歩を楽しみます。ですので、お隣の東浪見や八積付近には足を運びません。まず上総一ノ宮駅から一宮海岸に向かいます。
駅前にある「タカラ亭」。
安くて美味しい駅前鮮魚店でございます。新鮮なお刺身とお吸い物がおすすめなんだそう。
こちらは駅のすぐ隣にある「イチ バーガー」さん。
ハンバーガーのテイクアウト専門店です。ADDressさんの一宮拠点に持って帰ろうかと思いましたが、また次の機会にいたします。
上総一ノ宮すぐ近くにある観光協会お隣にあるのは角打ちカフェ「エキスタ」さん。
ちょっとぶらりとお酒を呑むにはうってつけのお店ですね。
外房線の踏切を渡り、一宮海岸を目指します。
ちょうど電車が上総一ノ宮に泊まっていました。房総半島をぶらりと電車に揺られながら回るのも楽しそうですね!
都内だけでなく、これからは色んな拠点でのぶらり散歩をお届けしたいと思います。
「役場下」の交差点。
この日は生憎天気は曇りでしたので、写真が見づらくてすみません。
見渡す限りの散歩道。
小生が育った福岡県田川市も、長閑な田園風景が広がります。
いちご狩りの看板がありました。
苺を箱一杯とりたいところですが、全部食べると糖尿病になりますかね・・・。
新鮮な魚介を提供する「のいち」さんに着きました。
今日はここで御昼のランチを食べます(記事はこちら)。大将の作る酒の肴がとにかく美味しいんです。
一宮海岸にやってきました。
この日はリモートワークの仕事前に朝日を見に一宮海岸に来たんです。
本当に何十年ぶりだろう。こんな清々しい気持ちになったのは。
時間が早かったので、ほとんど一宮海岸を独り占めです。
生きる道は人それぞれ。
別に誰がランボルギーニをぶいぶい言わせようが、タワーマンションに住もうが別にいいじゃないかと小生は思うんです。
人の価値感はひとそれぞれ。車にお金をかけたい人は、車にお金をかければいいと思うし、家にお金をかけたければかければいいと思うし。人に嫉妬をするってことはその人に、余裕があるからだと思うんです。本当に自分のことで精いっぱいだったら、人様なんて見ている暇がない。ただ、自分の価値観を人に押し付けるのだけはやめて欲しいと思います。
一宮海岸にあるイタリアン「Mare」。
一宮海岸線沿いはかなり面白いお店が沢山ありますね。
そう、価値観は人それぞれ。人と比べるなんて全くナンセンスなこと。サーフィンが好きな人は、海に移住してサーフィンライフを満喫すればいいですし。
「昨日の自分と、今日の自分」
「今日の自分と、明日の自分」
「去年の自分と、今年の自分」
「今年の自分と、来年の自分」
喫茶店「ピピ」。
僕ですか。成長してるなんて誰にも分りません。
ただ、昔に比べるとちょっとやそっとの事では物怖じしなくなったことはたしかでしょうね。
素敵なビストロもございました。「ラ・リシェス」
こりゃ、昼も夜も来ないといけませんね。
カフェレストラン「Emi」
一宮海岸線沿いには沢山面白いお店がございます。
ここは「風船爆弾打ち上げ基地跡」。
風船爆弾は、旧日本軍がアメリカ本土への攻撃のために開発したもので、和紙をこんにゃく糊で張りあわせて作った直径10mの気球に、爆弾や焼夷弾を吊り下げて飛ばした兵器です。この計画は「ふ」号作戦と呼ばれ、一宮、茨城県の大津(北茨城市)、福島県の勿来(いわき市)の計3カ所の打ち上げ基地より、昭和19年(1944)の11月から翌年にかけて合計で約9000個が打ち上げられました。そのうち300個弱がアメリカ本土に到達したといわれ、オレゴン州では民間人6名が犠牲になりました。
一宮の打ち上げ基地は打ち上げのためのコンクリート台が数基据えられたといい、風船爆弾の資材の運搬のために、打ち上げ基地に向かった上総一ノ宮駅より引込線(線路、現在の一ノ宮停車線に沿う)が敷かれました。戦後、基地は旧日本軍によって破壊されたため、現在は当時の面影は残されていません。
今は軍事技術も格段に向上しているし、SFの空想の世界だったレーダー砲も開発されていますよね。「ロンギヌスの槍」なんてのも開発されてきますし、世界大戦になったら大変なことになります。
ここは「加納藩台場跡」。
江戸時代後期に、アメリカやイギリスなどの外国船の渡来が増え、幕府はそれらの国からの外圧対策を重視。一宮藩主の加納久徴はそれに応じ、大砲を鋳造し、この辺り5ヶ所に砲台を構築したそうです。
この砲台は幕府が築いた品川砲台より八年も早い、天保十五年(一八四四年)八月の完成で、藩主加納久徴の見解と実行力が高く評価されました。尊王攘夷と開港論渦巻く混沌たる幕末において、加納久徴こそ日本国土防衛の先駆者と称すべきであろう。
あの時代は尊王攘夷論は吹き荒れましたからね。そうはいっても異国に砲撃を放ったのは長州藩だけでしたので、ここから砲撃を打つことはなかったんでしょうか。
三軒茶屋の大人気店「オオモリヤ」の千葉店浜茶屋「オオモリヤ 一宮海賊店」。
サーフィンした後にここで飲んだら気持ち良さそうです。ここから「一宮川」方面に歩いて行きます。
千葉外房フカヒレと新鮮な地元野菜や旬の食材をふんだんに使い、 果物をアクセントにした薬膳中華を頂けるお店です。また上総一ノ宮に来たらここで中華を食べよう。
一宮川沿いを歩いて行きます。
芥川龍之介ゆかりの宿ホテル「一宮館」がありました。
このお店はなんだろう。
この辺り、地味に良さげなお店沢山あるんだよなあ。一ノ宮川を渡ります!
一宮川は、千葉県の九十九里平野南部を流れる二級河川。流域は夷隅郡大多喜町、長生郡長柄町、長南町、茂原市、長生村、睦沢町、一宮町の1市6町村にまたがります。
これ台風前だったんですけど、もしかしたら・・・
一ノ宮川を渡って今度は「天道跨線橋通り」を歩きます。
どこへ向かっているかと申しますと、駅方面に向かっているのであります。
素敵はカフェを見つけました。上総一ノ宮の「ハレ」でございます。
ここでちょいとおじカフェ(おやじカフェ)することにいたします(記事はこちら)。
「船頭給」の交差点。
只管一宮海岸から上総一宮駅を目指します。
上総一ノ宮は、文字通り上総の国の一ノ宮「玉前(たまさき)神社」の門前町。
これからその「玉前神社」にも向かいますよ!ここからだと、JR東日本の外房線がよく見えます。本当に電車にゆられて房総半島を一周したい。
千葉県の食料品スーパー「せんどう」。
千葉県民にとってはなくてはならないスーパーなのではないでしょうか。ここから東へ行くと「茂原」。東へ行くと「勝浦」。
どちらも甚大な台風の被害を受けた地域ですので、早期の復興が望まれます。「宮原」の交差点まで来ました。
ブログで書くと簡単ですが、実はかなりの距離を歩いてございます。
「いちのみやはし」を渡ります。
コンビニで一休憩でもしますか。
いやここまで来たら最後まで歩き倒したいと思います。
「千葉県道128号日吉誉田停車場線」を駅方面にあるいていきます。
なにやら唐揚げが美味しそうなお店。「からあげ処 石福」
ここで腹ごしらえしたいところですが、上総一ノ宮を歩き倒すため、頑張ります。
老舗のお土産屋さんが並んでいます。
江戸時代に上総一の宮で和菓子店を創業した現在唯一の和菓子老舗「かねきち」さん。
江戸時代 弘化4年(西暦1847年) 第121代 孝明天皇(こうめいてんのう、1831年7月11日 - 1867年1月30日)、12代将軍 徳川家慶(とくがわ いえよし、1793年5月14日 - 1853年6月22日)の時代に、 菓子職として京都嵯峨御所御墨付をいただき、なお精進し、現在まで和菓子司として玉前神社参道に店舗を構えております。お墨付きを頂いてから、更に172年間、ご愛顧いただいているとのことです。
こちらが「玉前神社」の鳥居。
玉前神社については別記事に詳細を記載しました。こちらの記事を読んで頂けましたら幸いです。
なにやらお洒落なラーメン屋さんがございました。「うみかぜ (Umikaze)」
メニューは、「真鯛だしラーメン」、「濃厚真鯛だしラーメン」、「ベジポタラーメン」どれも美味しそうでございますが、流石に小生もジャイアント白田ではありませんので、そこまでの胃袋は持ち合わせておりませぬ。
古民家居酒屋「創作料理ほしみや」さん。
この日はこちらのお店で一杯を楽しみました。記事はこちら。
地元のお魚屋さん「タカラ鮮魚」さん。
驚くほどお魚が安い。こういうお魚屋さんが近所にあったらなぁ。「一宮小学校」。
どこへ向かっているかと申しますと、この小学校の裏手にある「城山公園」へ向かっているのであります。
ここは「一宮城址」。
一宮城は天然の地形を利用した標高約30mの台地上にある要害の山城。築城時期は南北朝時代から16世紀とされるが詳細は不明。通称 「城山」と呼ばれ、周辺には守護神として寺院や神社が配置され、城に関する地名(城之内、追手、院内、陣屋、櫓前など)も残っています。
一宮城については、永禄5年(1562)9月に一宮城主内藤久長が館山城主里見義頼、 万木城主土岐頼春、 大多喜城主正木盛賢らに攻められ落城、或いは同年7月に一宮城主糟谷大炊助が勝浦城主正木時忠・ 時通親子に攻撃され数ヵ月後に落城、また永禄8年2月から6月頃に落城と、諸説あり史実は判然としていません。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城した房総の48ケ城の中で一宮城も本多忠勝ら数万の軍勢に攻められ再び落城しました。
文禄元年(1592)、本多忠勝の支配する大多喜領となった後、領主の変遷を経て明暦3年(1657)には脇坂淡路守安元、また文政9年 (1826)には加納遠江守久儔によって陣屋が作られたが、明治維新によって取り壊されました。『現地説明板より』
なるほど、あの豊臣秀吉の小田原征伐のときに落城した城でもあるわけですな。あとこの城山公園は桜の見所スポットとしても知られています。
こちらは「加納公紀徳の碑」。
一宮町長としてたくさんの仕事を行なった加納久宜公の功績をたたえて、生前の大正7(1918)年に石碑が建てられております。一宮町立振武館の裏手には「加納公墓地」がございます。
行ってみましょう!ここからは一ノ宮小学校、しいては一宮の街が良く見えます。
一宮の隠れスポットといってもいいでしょう。
この先にお墓があるはずなんですが、かなり鬱蒼としております。
本当にこの先にお墓があるのでしょうか。これもたみ散歩。知らない土地でもがんがん歩き倒しますよ!
ございました。「加納久宜公の墓」。
加納久宜公(1848~1919)は嘉永元年に陸奥国 して生まれました。 (現福島県)下手渡藩主・立花種善の弟の子と 慶応3年に一宮藩の加納家の養子となり、藩主となりますが、直後に明治維新を迎えてしまいます 以後新潟学校長や大審院検事などを歴任、明治27年(1894) に鹿児島県知事に就任すると 積極的な政策を進め、今の鹿児島県の基礎を築いた「勧業知事」として活躍しました。 明治45年(1912)に一宮町民の熱望で一宮町長に就任。耕地整理や名士の別荘誘致、農業振興や教育政策等多数の事業を推進し、一宮町を全国の「模範村」と称されるまで発展させました。 久宜公は大正8年(1919)に療養先の大分県別府で亡くなります。この墓は大正11年(1921) に久宜公の功績を称え、遺徳を慕う町民多数の懇請により、分骨を納め建立されました。墓前の 離嵐岩扉「二苅は、鹿児島県加納知事顕彰会から昭和18年(1943)に献灯されました。
加納久宜(『加納家史料」 (一宮町教育委員会所蔵)より)
余程民に愛された名君だったのでしょう。ここからは一宮の街が一望できます。
駅方面に戻ります。
上総一ノ宮駅に戻ってきました。
散歩マップ。
18.3kmを8時間17分27秒かけて歩きました。もちろん途中で休み休みしていますので、ぶっ通しで歩いたわけではありません。念のため・・・。タコメーターを見ると、途中時間がなくて完全に走っていますよね(笑)。
如何でしょうか。上総の国の一ノ宮「玉前(たまさき)神社」の門前として栄えた上総一ノ宮。外房線の運行上の拠点となっており、都内からも電車で1時間半ほどで着いてしまう隠れた憩いスポットでもあります。皆様も、一宮海岸の海を見に、一宮を訪れてみては如何でしょうか。
written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方