子供たちへの心のこえはいつか花咲くはず
子供たちが二人とも小学校低学年だった頃、毎日心配していた。
まだその時は、時短勤務で日々働いていた。
小学生になったといえども、まだまだ幼い2人。学校の準備も手伝ってあげないと無理だし、宿題も見てあげないと難しい。先生から言われたことはうろ覚えで、しょっちゅうママ友同士で、それぞれの子供たちから話を聞いて推測し合っていた。
特に次男は発達障害で多動だったり、衝動的だったりして、学校だけじゃなく、学童からもよく連絡が入った。
長男もしっかりしてるけど、友達にちょっと意地悪されたりして、放課後泣いて帰ってくることもあった。
本当に心配!こうやっている今も何か起こっているのではないだろうか。
仕事どころじゃない。今すぐ帰って側にいてあげたい。でも永遠と家に閉じ込めておくわけにもいかないし、毎日横にいて助けてあげられるわけではない。
たまたま何かの本を読んでいた時、子供から離れていても、心で念じていれば、その思いが届く。と書いてあった。そうか、それはいい。やってみよう。
そこから毎日、通勤時間や休憩時間に2人へ向けて思いを念じるようになった。
どうか、困っていませんように。
誰かに助けてもらっていますように。
楽しいことがたくさんありますように。
心穏やかに過ごせていますように。
届け〜わたしのこえが全て届いてくれ〜
それから2人が高学年になる頃には心配ごとは少なくなっていった。たまに念じていたけれど。
あの時のわたしのあの思いは伝わっていたのだろうか。
ねえ、小学生の時って楽しかった?と聞いてみた。
長男「うん。楽しかった。あまり覚えてないけど。」
次男「毎日死にたいって思ってた。でももちろん楽しいこともたくさんあった。お母さんには感謝してる。」
あんなに心配して祈って念じていたのに伝わってない⁈
まあ、そんなものかもしれない。
今はまだ思春期で親への反抗もあるだろし、そんな親の気持ちを考える余裕もないだろう。
でもあの頃の祈りのこえは、心の奥底に種となって残り、そのうち芽吹いて、大人になってから小さな花を咲かせるようになるのではないか。今はまだ気づいていないだけで。
子供たちが大人になった時、その花で、人のことを自然と思いやることができ、惜しみなく愛を与えることができるようになっているといい。
そして、彼らの愛する人たちの心の中にもこえの花が咲くといい。
これからもわたしは懲りずに念じ続ける。
きっとずっと心のこえを届け続けるだろう。
祈ることは愛すること。
そう教えてくれたのは子供たちなのだから。