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エッセイってお笑いがないとだめかな

お笑いのセンスがない。
人様のことを笑かすセンスがないのだ。

小学生の頃、人気者はやはり、面白い子。人のことを笑わせることができる子だった。
わたしも何か面白いことを言ってみたいと思ってみたけれど、全然言葉が出てこない。

中学になってからも、友達と会話で冗談を言い合って笑うことはできる。でもお笑いとは違う。道化師になって変顔とかは恥ずかしくて出来なかったし、いわゆるネタ的な話がまず思い浮かばない。

高校の時の男友達は、お笑いで人を楽しませることが大好きで、女装をしたりして、みんなを笑いの渦に巻き込んでいた。
その友達はその後、子供向けの番組などの放送作家になり、当時のお笑いのセンスを活かしながら今まさに活躍している。

社会人になって、朝礼をする立場になった時、部長に、
「朝礼ではどれだけ人を笑わせることができるかが大事だ。笑うと元気が出て、仕事を頑張ろうという気持ちになる。」
と言われた。なるほど、その部長の朝礼はいつも面白い話が必ず入り、みんなを笑わせている。

プレッシャーが過ぎる。無理。わたしにはそのセンスはない。小さい頃からお笑いに対するコンプレックスを常に感じていたのだ。
それは無茶ぶりというものだ。
お笑いを…と思えば思うほど、頭は真っ白になり、通常の業務連絡になってしまった。
それを見ていた部長はちょっとガッカリしたような顔をした気がした。
お笑いなんてなくていいから、とっとと終わる朝礼の方がわたしは好きだけど…
とちょっと負け惜しみを呟いてみる。

そんなわたしが、今、文章でまたコンプレックスを感じている。

人気のnoterやエッセイストはみなさん、必ずと言っていいほど面白おかしく笑いを交えて楽しい文章を書いている。

そのお笑いのセンス、どうやって磨いたの?
漫才とか、コントとか、芸人さんとか見て勉強した方がいいの?確かに芸人さんが書いたエッセイって面白いよなあ。

こちとら小さい頃からの根っからのお笑いコンプレックス持ちなのに、そんなにすぐにお笑いのセンスが磨かれる自信なんて全くないのだ。笑わそうとすればするほど、こちらの魂胆は透けてみえて、余計に白々しくなってしまう気がするのだ。

面白くないとだめかな。
笑いがないと読んでいても楽しくないかな。

でもわたしにはわたしのカラーがある気がする。

もしかしたら人の真似は出来るのかもしれない。でもそれはわたしの文章ではない。
カラーではない。

今、石田千さんの「窓辺のこと」というエッセイを読んでいる。

お笑いはないが、しっとりしみじみ、とても穏やかで、心に沁み渡るエッセイだ。
こんな文章書きたいなあ。


お笑いを、出来ないことは出来ないと潔く認めることも大事かもしれない。

お笑い担当はいつものように他の方にまかせて、わたしはわたし。
これからも自分の文章を探し続けよう。





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レモン
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