2016/2/6 「舞音」
★名作小説の舞台を東南アジアに移したミュージカル
東京宝塚劇場の2016年幕あきは月組「舞音」から。アべ・プレヴォの「マノン・レスコー」を原作に、舞台を20世紀初頭のベトナムに移して繰り広げられるミュージカルである。脚本・演出は植田景子氏。
白いアオザイ姿で横たわるマノン(愛希れいか)、その横に座り憂いのある横顔を見せる、真っ白な軍服姿の主人公シャルル(龍真咲)。二人の後ろには白いハスの花が見える。ポスターはまるで映画のワンシーンを切り取った様で、エキゾチズムと淡いロマンスを予感させる。
雰囲気は満点。でも、それが舞台上でどの様に展開されるかはふたを開けてみるまでわからない。それが宝塚歌劇というものだ。ファム・ファタールものとして有名な原作を、宝塚歌劇でどう見せるのだろうか。
★主な配役
シャルル(フランスの若き海軍士官)……………………龍真咲
マノン(踊り子で高級娼婦)………………………………愛希れいか
クオン(マノンの兄、彼女のヒモ)………………………珠城りょう
もう一人のシャルル(シャルルの影)……………………美弥るりか
クリストフ(シャルルの親友)……………………………凪七瑠海
アンヌマリー(クリストフの妻)…………………………夏月都
カトリーヌ(ルロワ氏の娘、シャルルの婚約者)………早乙女わかば
ギョーム(警察長官)………………………………………星条海斗
ルロワ(インドシナ総督)…………………………………飛鳥裕
アンリ(フランス海軍士官)………………………………紫門ゆりや
レイモン(フランス海軍士官)……………………………千海華蘭
セルジュ(フランス海軍士官)……………………………煌月爽矢
リー氏(華僑の富豪でマノンのパトロン)………………綾月せり
マダム・チャン(賭博場の女主人)………………………憧花ゆりの
ディン・タイ・ソン(賭博場の支配人)…………………宇月颯
ロン・ボイ・ミン(革命家)………………………………光月るう
フェリ(ホイアンの海軍士官)……………………………輝月ゆうま
カオ(反政府運動の若者)…………………………………朝美絢
ホマ(マノンの小間使い)…………………………………海乃美月
トゥアン(反政府運動の若者)……………………………暁千星
配役でまず目につくのは「もう一人のシャルル」という役だ。主人公の影、というのは宝塚歌劇ではよくある役で、主人公の心情をダンスで表現することから、ダンスの得意な若手が抜擢されることが多い。ところが、今回これを月組の人気男役スター美弥るりかがやる、というのでファンの間では配役発表時から話題になった。美弥がやる以上、ただの影ではあるまい。
★愛の見えない恋愛物語
公演案内によれば、この作品は「将来を嘱望されるエリート青年が、自由奔放に生きる美少女マノンに魅せられ、その愛に翻弄されるドラマティックなラブストーリー」だという。だが、実際に観劇してみると、愛をテーマにしているのは確かなのに、肝心の「愛」なんてどこにも見えない。これは一体どうしたことか。「宝塚歌劇」にあるまじき問題だ。
いや、ミュージカルとしての出来は悪くない。印象的なナンバーも多いし、役どころも多い。物語の後半には気持ちを盛り上げるクライマックスがあり、そしてラストシーンはこの上なく美しい。音楽、装置、振り付けに外部の女性スタッフを招聘しただけのことはあって、見た目には実に美しい仕上がりなのだ。
にもかかわらず、どうしてそんなことになってしまったのだろうか。ストーリーを振り返りながら検証してみたいと思う。
★透明感のある美しいオープニング
物語は主人公シャルルが、赴任先の仏領インドシナ(現在のヴェトナム)に到着するところから始まる。白い軍服を着て最初に花道に登場し、銀橋に躍り出たののはシャルル役の龍真咲かと思いきや、それは「もう一人のシャルル」美弥るりか。やがて舞台中央に船のセットが現れ、その中央に龍真咲が立っているのが見えてくる。
新しい土地で気持ちが解放され、今までとは違う「もう一人の私が目覚める」という歌を龍シャルルが歌うのだが、歌詞そのままに舞台でもう一人のシャルルが見えるという趣向はなかなか面白い。
東南アジアの穏やかでエキゾチズムに溢れる音楽はJoy Sonさんという米国で活躍する女性作曲家によるもの。二人一役という凝った演出と、東洋を感じさせる音楽の魅力の相乗効果で、これまでに見たことのない美しく透明感のあるオープニング。装置は松井るみ氏。
★初めての出会いと最初の別れ
シャルルは現地の士官たちに連れて行かれたダンスホール「La perle」で、スコールの中で見かけた美しい女性(愛希れいか)と再会する。彼女は人気の踊り子でマノンと呼ばれていた。「金持ちの男たちの間を蝶のように飛び回っている」という評判にもシャルルは耳を貸さない。マノンが明日大富豪のリー氏(綾月せり)と共に船でマカオへ旅立つと聞いて気が気ではないシャルル。そんな彼を「今ならまだ終列車に間に合う」とマノンが誘う。
二人は旅先で甘いひとときを過ごす。舞台上で二人がダンスを踊っている……と思ったら、ここでもシャルルに見えたのは美弥、マノンかと思ったのも別の娘役さんだった。「もう一人のシャルル」は、どうやら舞台装置の転換や龍の衣装替えの時間稼ぎもするらしい。
フランスの大貴族の長男として厳しく育てられたシャルルにとって夢のような時間が過ぎる。マノンはフランス人と父とインドシナの母の間に生まれたハーフだった。農園主だったマノンの父親と細君の間には子供がなかったため、愛人との間に生まれたクオンとマノンの兄妹は父親に愛され、幼い頃は贅沢三昧の日々を送っていた。が、父親が不慮の事故で死んだ途端に家を追われたのだとマノンは語る。シャルルはマノンに本名を尋ねるが、彼女は答えない。
任官の日が迫り、シャルルがサイゴンに戻らなければと考え始めたちょうどその時、二人の滞在先をマノンの兄クオン(珠城りょう)と、シャルルの幼馴染クリストフ(凪七瑠海)が訪ねる。クオンは「マノンから迎えに来て欲しいと電話があった」といい、二人はリー氏の元へ向かう。クリストフは「あれはそういう女なのだ」と任務に戻るようシャルルを諭す。
と、ここまでが物語の発端の出来事である。
★物語の核をなす主な登場人物たち
金髪に白い軍服姿の龍はいかにも歌劇の主人公らしい風情。黒く長い髪で細身の愛希はそんな主人公を夢中にさせるエキゾチックな少女。シャルルはマノンを独り占めすることを望むが、マノンはそんな彼をあざ笑うかのように去っていく。
彼女が何を考えているのか、ここまでのシーンではあまり見えてこない。が、この逃避行のきっかけはシャルルが美しい若者であり、目の色が死んだ父親と同じだったからだとマノンは語っている。父親は彼女に取って特別な男性であるらしい。
マノンにとってもう一人の特別な存在が兄のクオンだ。クオンは美しい妹をめぐって争う男たちから金を巻き上げるブローカー兼ボディーガード(いわゆる「ヒモ」)である。珠城はガタイの大きさがあるので、こうした役をやると、有無を言わさぬ迫力があるのが良い。マノンは兄の言葉には素直に従う。
クリストフは、感情に流されるな、理性の声を聞けとシャルルを押しとどめる友達思いの常識人だ。凪七は見た目もお坊ちゃんぽく誠実で、理性的な若き軍人であり、シャルルの学校時代からの友人という役どころにはぴったり。ただ、低い声を出そうとするあまり台詞がくぐもって聞き取りにくいのは惜しい。
★マノンとの再会
シャルルがサイゴンに戻り、海軍の任務に就いて3ヶ月が過ぎた頃、インドシナ総督のルロワ氏(飛鳥裕)が妻と娘のカトリーヌ(早乙女わかば)を伴ってサイゴンにやってくる。目的はシャルルとカトリーヌの婚約。ダンスホール「La perle」でルロワ一家と過ごすシャルルの前に、リー氏に伴われたマノンが姿を見せる。
シャルルは動揺を隠せない。「あの女は高級娼婦で、あなたのような人が目に留める必要はない」とカトリーヌに告げると、逃げるように店を出る。だが、マノンがそのあとを追ってきた。彼女は「あなたの愛を押し付けないで」と言い、「愛とは何なのか教えて欲しい」と歌う。焼け木杭には火が点くものと相場は決まっている。シャルルは彼女と一緒に暮らせる道を探すとマノンに約束する。
男というものはこれだから……と思わないでもない。シャルルの愛は一種の所有欲である。如何あっても彼女を他の男に取られたくない、という思いが見える。マノンは彼にちょっとした興味はあるようだが、本気で好意を抱いているのかはわからない。
だが「舞音」の物語はこの後、意外な方向に進んで行く。
★舞台はホイアンへ
シャルルは士官たちが誰も行きたがらない古い港町ホイアンでの勤務を志願し、そこで屋敷を借りてマノンと暮らし始める。「マノンは金がなくなると不安になる女だ」と言って、クオンはシャルルを紅虎(ホンフー)家という賭博場に連れていく。
紅虎家のオーナーはマダム・チャン(憧花ゆりの)。クオンは彼女に取り入って、支配人のソン(宇月颯)にとって変わろうと企む。ソンは密貿易に手を染めていた。クオンはまずソンと組んでシャルルを罠にかける。賭け麻雀に負けて借金を背負ったシャルルは、ソンに負けを肩代わりしてもらう代わりに密貿易船の入港を見逃すことを渋々承諾する。シャルルの同僚、士官のフェリ(輝月ゆうま)は、「その程度の事は誰でもやっている」と意に介さない。
実は、賭博場の支配人ソンの裏の顔は反政府運動のリーダー。密貿易で稼いた金の一部を活動資金に流用している。ソンの狙いは反政府運動の若者カオ(朝美絢)・トゥアン(暁千星)らとともに、政府に逮捕された革命家ロン・ホイ・ミンを救出することにあった。
シャルル、フェリらホイアンの海軍士官の元に、警察長官ギョーム(星条海斗)が現れ、ホイアンにはソ連のスパイ「紅い蛇」が潜んでいると告げる。共産党の息のかかった紅い蛇は、貧しい者たちを扇動し、インドシナを統治するフランスへの反感を煽っているというのだ。
★物語の行き着く先はどこへ
賭博場で珠城クオンが「カネこそが力」と歌いながら銀橋を渡っていく場面がいい。クオンはお金の信奉者。あらゆる問題はすべて金で解決できる、そして金を得るためならどんな手段も厭わない。彼は底の浅いチンピラ野郎なのだが、珠城はクオンの育ちからくる人間不信とリンクさせて、誰も頼らず生きようとする気骨のある男として造形している。
紅虎家のマダム・チャンを演ずる憧花ゆりのの纏う妖しい雰囲気はお見事。観客の目からはどう見たって彼女が「紅い蛇」なのはバレバレだが、彼女の美貌と財力に目が眩んだクオンは、彼女の正体に気付かない。
ソン役の宇月はクオンとは対照的に信念のある大人の男。やさぐれ士官役の輝月ゆうまも、反政府運動の血気盛んな若者カオ役の朝美も実に上手く役にハマっている。珠城、宇月、輝月、朝美の並びはどこかで見た、と思ったら昨年日本青年館で見た「Bandito」だ。裏社会で生きる男たちという設定も似ているせいか、なんだか彼らが妙に生き生きしていて、とつぜん舞音の本筋とは別の芝居が始まったかのような印象だ。
★独立運動に巻き込まれる二人
一方、マノンはマダム・チャンと兄クオンが連れてきた政府の役人や海軍の士官たちと屋敷で戯れている。高価な指輪のプレゼントを当たり前のように受けとるマノン。だが、屋敷に帰って来たシャルルは二人の愛の巣を乱す者たちへの不満をあらわにし、彼らを帰してしまう。
二人きりになると、マノンは「この屋敷は子供の頃住んでいた家に似ている」とシャルルに語り始める。中庭の池に蓮の花がさいていたと聞いたシャルルは「ここにも蓮を植えよう」というのだが、突然マノンは「泥の中でしか咲かない蓮の花は嫌い」と強い口調で否定する。何でもない会話のようだが、これがラストシーンの伏線になっている。
その夜、物音に気付いたシャルルが起き出すと、誰かがマノンの宝石類を盗み出そうとしているところだった。泥棒はマノンの小間使いホマ(海乃美月)。「税金の取立てが厳しくて、このままでは家族が餓死する」と訴える彼女にマノンは「持って行きなさい」と宝石を手渡し「盗みをしなければ生きていけない人もいる」とつぶやく。だが、ホマが宝石を持ち出した先は家族の元ではなく、反政府運動の組織だった。
反政府運動の若者たちは、海軍の施設に放火して武器を盗み出す。若者たちをかくまうソンの姿を見かけたクオンは、「賭博場の支配人の地位と密貿易のルートを教えれば通報しない」と彼を脅す。が、気付いた若者たちがソンの危機を救う。「知ったものは生かしてはおけない」というマダム・チャンの言葉に驚くクオン。反政府運動の黒幕はもちろん彼女である。
シャルルとマノンの屋敷には警察が踏み込み、マノンはスパイ容疑で逮捕される。通報者はホマだった。赤い蛇を守るため、マノンはその身代わりとして罪を着せられたのだ。
★恐ろしい女たち
シャルルの思いとは裏腹に、マノンは相変わらず彼の愛に応えようとはしない。だが、ようやく彼女の本心が見え始める。「泥の中から咲く蓮の花は嫌い」という言葉の中には、蔑まれた貧しい暮らしを体験した彼女の悲痛な叫びが感じられる。宝石を盗んだホマを許すのも、その姿に昔の自分を見ていたからだ。そんなマノンが唯一信じられるのは兄クオンとの絆だけ。その死を知って取り乱し「クオンに会わせて」と嘆く姿に偽りはない。
クオンはイケ好かない男だが、殺され方があまりにも悲惨だった。カオに背中を刺された後、ソンに撃たれる。一発ではない。五発も打ち込まれるのだ。スターがこれだけ悲惨な殺され方をするのを見るのは宝塚では滅多にない。クオンの亡骸を抱えて「かわいそうな男」とつぶやくマダム・チャン。彼を殺すように命じたのは貴女でしょうに。
小間使のホマも怖い女だ。彼女は男たちにちやほやされ、美しく着飾ったマノンを本気で憎んでいる。最初から彼女に罪を着せるために小間使いとして入り混んでいたのだとしたら、用意周到すぎる。ホマ役の海乃はこういう「意志」を持った女の役をやらせると光る。
マノンにしても、マダム・チャンにしても、ホマにしても、男性の演出家はここまで女性を生々しく描かない。女性演出家の描きだす女性キャラクターは妙なリアリティと凄みがあるなぁと感心する。(反面、男たちが型にハマりすぎていて面白みに欠けるという欠点もあるのだが。)
★マノン奪還、そして新たな旅立ちへ
(ここから先、物語の結末に触れています)
警察署で「マノンはスパイではない」と釈放を訴えるシャルルに対し、警察長官ギョームは「必要なのは見せしめであり、真犯人の逮捕ではない」とうそぶく。インドシナ総督ルロワは海軍の体面のためシャルルを不問にする代わり、彼を本国に強制送還しようとするのだが、シャルルは軍を退官する道を選び、あくまでマノンの近くに居ようとする。
やがてマノンは島への流刑が決まる。一度島に流されたら二度と帰れない。だが、革命家のロン・ホイ・ミンも同じく島の収容所へ移送されることとなり、ソンたち反政府運動の若者らは、そのタイミングでロン・ホイ・ミンを奪還しようとする。
移送当日、囚人たちと警官らの前に、ソンを先頭に若者たちが立ちふさがる。一触即発という時、マノンがインドシナの古い歌を歌い始める。歌声は周囲の人々の間に広がり、あたりを包み込むばかりの大きな声となり、独立運動一派を後押しする。
民衆たちの勢いにひるんだ警官から銃を奪ってギョームに突きつけたのは、シャルルだった。その隙に、ソンらはロン・ホイ・ミン(光月るう)と捕らえられた仲間を逃がそうとする。シャルルもマノンを連れてかれらとともに船着場へ向かう。
船に乗り込み二人は新天地を目指すが、傷付いたマノンはシャルルに自分の本名がリェン、インドシナの言葉で蓮の花という意味だと明かしてこと切れる。呆然と「これからどこへ向かおう」とつぶやくシャルルに、もう一人のシャルルが答える。「どこへでも、心の赴くままに」と。
★クライマックスは一人ベルばら
囚人移送の場面はどこかで見たような気がする。ベルばらのバスティーユだ。権力の前に立ちはだかり、祖国の独立を叫ぶ貧しい人々、彼らに肩入れし、貴族でありながら権力に武器で立ち向かうシャルルは、まるでオスカルのよう。
ただ、彼が戦うのは自由と平等のためではなく、愛しいマノンのため。だから、民衆の側に立ってはいてもシャルルは孤独だ。彼はただ一人の女のために生きる。心情ではオスカルよりもむしろアンドレに近い。そういえば、龍真咲はオスカルもアンドレも演じたことがあるんだっけ、と思い出す。
シャルルが貴族という身分を忘れ、海軍士官という地位を投げ打ち、フランス人という立場さえも捨ててマノンに身を捧げた時、マノンの中でもう一人の彼女が目覚める。
マノンが嫌った蓮の花とは本名のリェン、すなわち彼女自身だったのだろう。家を追われ、人々に蔑まれ、深く傷ついた彼女はリェンという名とともに自分を心の奥底に封じる。そして、裕福な男たちに抱かれ、贅沢を極めても決して満たされない空虚を抱えた女、マノンになった。だが、どんな境遇に落ちぶれても、シャルルが変わらず自分を愛し続けるとわかった時、彼女は再びリェンに戻り、彼の愛をようやく受け入れることができた。
★巻き込まれ型の主役、という難しさ
シャルルはすべての装飾を取り払ったただの男となり、マノンは愛の意味を知る。あらためてストーリーを追ってみると、悪くない話だったのだな、と思う。これはシャルルの献身によってマノンが人を愛する心を取り戻す物語であり、愛が最後の一瞬にきらめく、そんな話だったのだ。
が、実際の舞台から私が受けた印象はここで紹介したストーリーとは違う。中盤以降、シャルルとマノンの影が驚くほど薄くなってしまっていた。私の目には、物語そのものがインドシナ独立運動を軸に展開されるゲリラたちに乗っ取られてしまったかのように映った。
思うに、龍真咲という役者は「巻き込まれ型」の芝居が苦手なのだろう。シャルルは若く純粋で、マノンのためならあらゆる犠牲を厭わないが、その思いが高まるほど龍シャルルの存在感は希薄になっていくばかりだった。
龍本人もそのことに気づいていたのかも知れない。彼女は気持ちを入れようとすればするほど、台詞まわしの独特のクセ、いわゆる「まさお節」がでてくる。今回はあらゆる場面で「まさお節」を炸裂させていた。トップスターに受身の芝居は難しい。演出家はそれがわかっていたからこそ、「もう一人のシャルル」という役を作り、一人の男を二人の役者が演じるという形をとったのではないか。
マノンというのも難しい役だった。愛希は彼女なりに健闘はしていたが、シャルルがなぜマノンにそこまで入れあげるのか、という説得力に欠けた。男たちを強烈に惹きつける魅力を放つファム・ファタールを宝塚の若い娘役に求めるのはあまりにも酷というものだろう。
★宝塚オリジナル作品の落とし穴
舞音という作品が今の月組トップコンビに合っていたとは私には思えない。やんちゃで元気な龍、芯のある少女が似合う愛希。二人にはシャルルとマノンのより他にもっと似合う役がいくらでもあるだろう。正直言って、シャルルはもう少しクラシカルな雰囲気を出せるスターに演じて欲しかったし、マノンは芝居巧者の娘役で見たかった。
今の宝塚歌劇団のシステムでは、演出家が提出した上演作品の企画が通った後で、それを上演する組が決まるという。今回は、ある意味、そのシステムの悪い面が出たのだと思う。「もう一人のシャルル」も美弥るりかには役不足だった。当て書きで脚本を書けばこうしたミスマッチは起きないはずだ。
今のままでは何のためにオリジナルを上演するのかわからない。宝塚歌劇団には、ぜひ当て書きの復活をお願いしたいと思う。
★変化するパワーバランス
最後に、余談だが今の月組の体制について感じたことを。
月組はこれまで、龍真咲というトップスターの周りを、相手役の愛希れいかと複数名の男役スター(凪七、美弥ほ、珠城、そして専科に異動した星条、沙央くらま等)が支え、それぞれが場面を分かち合いながら演じるスタイルを取ってきた。
が、今回の舞音からは、舞台の中で芯となるスターは龍と珠城の2人であることが明確になった。龍は次の大劇場・東京宝塚劇場公演で退団する。私がこの感想を書いている2016年2月初旬の時点ではまだ正式な発表はないが、おそらく後継のトップスターは珠城になるのだろう。
珠城はまだ若いが貫禄は堂々たるもの。何よりセンター役者としての自信に溢れている。見た目にも骨太なのは男役スターとしては有利。その若さゆえ、舞音でも上級生スターへの遠慮がない。それに引っ張られるかのように月組の若手スターたちが、存在感を示しはじめている。舞台上でのパワーバランスは明らかに変わりつつある。
「舞音」は2016年初頭の月組というカンパニーの「今」を映しだす鏡のような作品だった。月組は内側から変容を始めた。少々早すぎるきらいはあるものの、その胎動はもう止められない。
【作品データ】月組公演「舞音」はアベ・プレヴォの小説「マノン・レスコー」のミュージカル化作品。脚本・演出は植田景子。同時上演はグランドカーニバル「GOLDEN JAZZ」。2015年11月13日〜12月14日に宝塚大劇場、2016年1月6日〜2月14日に東京宝塚劇場で上演。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?