2015/12/9 「新源氏物語」
★なぜ「あさき……」ではなかったのか?
2015年最後の宝塚観劇は花組「新源氏物語」とレビュー「Melodia」の2本立て。源氏物語といえば日本最古、いや世界でも最古の長編小説。が、この舞台の原作は小説家の田辺聖子氏。つまり「新源氏物語」は田辺氏による現代語バージョンの舞台化なのだ。
なぜ「あさき」でなかったのか? 私が最初に引っかかったのはそこだった。花組といえば大和和紀のコミック版源氏物語「あさきゆめみし」を愛華みれ、春野寿美礼ら近年のトップスターが演じているのに、なぜ今回に限って「新源氏」なのだろう。だが、少々考えてみれば理由は明白だった。「あさき」を担当した演出家の草野旦氏は2011年に退団している。そこで代わりに引っ張りだしてきたのが、柴田侑宏氏の脚本「新源氏物語」だったのではないだろうか。
初演は1981年の月組で光源氏役は榛名由梨。1989年の再演も再び月組、この時の主演は剣幸。宝塚の歴史に残る男役が演じてきた役を、月組出身の花組トップスター明日海りおが演じるわけだ。演出は日本物の芝居を得意とする大野拓史氏。さて、どんな源氏物語になるのだろう。
★ヒロイン役は藤壺
ではいつもの通り主な配役から。
光源氏(桐壺帝の第二皇子)…………………………明日海りお
藤壺の女御(桐壺帝の妃)……………………………花乃まりあ
弘徽殿の女御(右大臣家出の女御)………………………京三紗
桐壺帝(光源氏の父)………………………………………汝鳥伶
朱雀院(桐壺帝の第一皇子)…………………………高翔みずき
左大臣(頭中将、葵の上の父)…………………………紫峰七海
葵の上(光源氏の妻)………………………………花野じゅりあ
明石の入道(明石に住む元国司)………………………夕霧らい
頭中将(左大臣家の息子)……………………………瀬戸かずや
左馬頭(宮廷に使える貴族)………………………………鳳真由
右大臣(弘徽殿の女御の父)…………………………天真みちる
夕霧(光源氏と葵の上の息子)……………………………鳳月杏
惟光(光源氏の随身)……………………………………芹香斗亜
紫の上(藤壺の女御の姪)………………………………桜咲彩花
冷泉帝(光源氏と藤壺の子)…………………………舞月なぎさ
朧月夜(弘徽殿の女御の妹)……………………………仙名彩世
六条御息所(前東宮妃)……………………………………柚香光
柏木(頭中将の息子)………………………………………柚香光
女三の宮(朱雀院の娘)…………………………………朝月希和
雲井の雁(柏木の妹)……………………………………城妃美伶
若紫(紫の上の娘時代)………………………………春妃うらら
藤壺の女御は花乃まりあ。二番手男役の芹香斗亜は源氏の腹心の家来である惟光に回り、源氏のライバルであり良き友人でもある頭中将は瀬戸かずやが演じる。三番手男役の柚香礼は前半では六条御息所、後半では柏木という二役をこなす。
私の観劇した日は、紫の上役の桜咲彩花が休演。代役には城妃美伶が入り、雲井の雁は若手の音くり寿が演じていた。
★父と子の源氏物語
明日海りおで源氏をやる以上、絶世の美男子であり貴公子たる光源氏の恋愛遍歴を中心に据えるのだろうなぁという漠然とした先入観が私にはあった。何しろ明日海という人は、女性観客には大変人気のあるスターだ。「彼女に何としても源氏をやらせたい」と歌劇団の偉い人たちが思っても仕方ないだろう、そんな風に思っていたのだ。
だが、蓋を開けてみると私の予想は見事に裏切られた。これは「男と女」の話なんかじゃない。明らかに「父と息子」の話なのだ。光源氏がどれほど女たちの間を彷徨っても、彼の心の奥底を父親である桐壺帝が支配する。これは、父という存在を超えようとする、一人の男の成長物語なのである。
と、私が主張しても簡単には納得してはもらえないと思う。そこで、膨大な源氏物語の中から何をどうすくい上げて90分のドラマが構築されているのか、まずはその説明を試みるところから始めてみようと思う。
★光源氏を取り巻く人々
幕開きは華やかな平安絵巻の総踊りから。(第1場 プロローグ(源氏絵巻))。物語は惟光(芹香斗亜)と宮廷の女房たちが帝の皇子に生まれたが臣下に降った源氏の聡明さ、輝くばかりの美しさについて噂する場面から始まる(第2場 光源氏の君)。
続く第3場は「雨夜の品定め」。雨の夜の退屈しのぎに頭中将(瀬戸かずや)、左馬頭(鳳真由)らが、自ら思い描く理想の女性像を語り始める。そんな源氏(明日海りお)の脳裏に一人の女性の面影が浮かぶ。それは藤壺の女御(花乃まりあ)だった(第4場 ただ一人の人)。亡き母に似た美しい義母に憧れる源氏はその想いを抑えきれずに御簾の内へ。藤壺もこの美しい貴公子を拒むことができず、二人は道ならぬ恋に落ちるのだった。(第5場 藤壺の女御)
ここからは源氏を取り巻く様々な人々と、源氏との関わりが描かれて、大まかな登場人物紹介といった趣となる。まずは前の東宮妃であり、年下の源氏を愛する六条御息所(柚香光)が登場し、年下の源氏への執着とプライドの高さを見せる(第6場 六条御息所)。
つづいては右大臣家の人々。右大臣(天真みちる)の娘である弘徽殿の女御(京三紗)は左大臣(紫峰七海)家の隆盛に我慢がならず、父親に当たり散らす。他方左大臣家の葵の上(花野じゅりあ)は婿となった源氏に心を開こうとしない。あまりの愛想のなさに兄である頭中将が侘びを入れるほど。そんな源氏の元には藤壺の女御が懐妊したという報せが届く(第7場 左大臣・右大臣)。恋しい人への想いを募らせる源氏は幻想の中で藤壺と踊る(第8場「天の川幻想」)。
★花組主要キャストのハマり具合はまずまず
個性的な源氏物語物語登場人物たちを演じる花組の面々、慣れない平安・日本ものに苦労してはいるものの、明日海りお以下メインキャストのハマり具合は悪くない。
明日海の光源氏は「若く美しい貴公子」の風情は十分。今回新調されたであろう藤の模様を紫で描いた衣装が素晴らしく映える。明日海は月組時代に宇治十帖を原作とした「夢の浮橋」という作品への出演経験があるだけあって、衣装の着こなしも所作もまずまず。惟光役の芹香は長身で立ち姿が映える。
藤壺の女御を演じる花乃まりあは面長で、源氏の若い義母という役にも無理がない。でも、ことの成り行きにオロオロする流され系の女性に見えたのは、舞台の経験が浅いせいだろうか。源氏の永遠の想い人としてはもう少し芯の強さと母性を見せて欲しいところ。
雨夜の品定めの口火を切る左馬頭の鳳真由は達者な芝居で笑いを誘う。頭中将の瀬戸かずやは貴公子にしてはややワイルドだが、悩み多き明日海源氏とは真逆のサバサバした感じがなかなか良い。六条御息所は若手男役の柚香光。パッとした華やかな美しさとその心の奥に潜む情熱を感じさせる。
敵役のポジションを担う弘徽殿の女御役は京三紗。キィーっと声をあげてヒステリックに怒る姿が、下品にならずちゃんと平安の女御に
見えるのはお見事。その父、右大臣役は天真みちる。飄々としていて
つかみどころがないのだが、女御とのやりとりがなんとも可笑しい。
★運命の歯車が回り始める
さて、物語に戻ろう。源氏は、都のはずれ北山に住む一人の少女(春妃うらら)に恋しい藤壺の面影を見出す。少女は藤壺の姪で、訳あって両親と離れ祖母である尼君(高翔みずき)と暮らしているとわかる。光源氏は惟光とともに彼女を密かに連れ出し、自分好みの女性に育てようと決意する(第9場 若紫)。
藤壺は男の子を出産する。皇子誕生の祝いに招かれた源氏は父桐壺帝(汝鳥伶)から弟を抱くように言われ、「さすがによく似ている」と言う帝の言葉を聞いて、罪の意識に囚われるのだった(第10場 我が子との対面)。
賀茂の斎院の御禊の日、葵の上と六条御息所の牛車がかち合って争いとなる。左大臣家の権勢の前に車争いに敗れた六条御息所は、源氏の子を身ごもった葵の上の元に生き霊となって現れる。葵の上は本当は昔から源氏に憧れていたという言葉を残し、男の子を産んで世を去る(第11場 車争い)。
源氏の心を慰めるのは北山で見つけた少女だけ。彼女は美しく心優しい女性(城妃美伶)に成長する。そんな彼女を源氏は妻として迎える(第12場 紫の上)。
★源氏を巡る女たち
藤壺の面影を求めてその姪を連れ去る。たとえそれが見目うるわしき源氏の君の所業であったとしても、立派な誘拐。少女を育てて理想の女にしようという思いは男性の中にある願望の一つなのかもしれないが、私には到底理解できない。明日海はこの場面をさらりと演じているのだが、それでもあまり見ていて気持ちの良いものではなかった。母に死なれ、愛した義母にも遠ざけられた男の心の闇、見たくないものを見てしまった感は拭えない。
そしていよいよ物語の核心となる父子対面の場面。ここでは桐壺帝を演じる汝鳥の芝居がいい。不安そうな顔の藤壺とは対照的に、我が子の誕生を心から喜び、お気に入りの源氏の君にその子を抱かせて実に満足そうな顔を見せる。この場面の源氏は、父帝が子の出自に疑いを持っているとは思っていないのだが、観客は物語の結末でこの場面の帝の姿をもう一度思い出すことになる。
源氏の妻である葵の上と、年上の愛人である六条の御息所の間に勃発する車争いの場面では、舞台上の左右にそれぞれ一台ずつ御簾の下りた車のセットが用意され、従者の男たちが言い争う様子が舞台上で繰り広げられる。なかなかの見ものだった。
辛い思いをした六条御息所が生き霊となって葵の上を苦しめる場面は、能の演目(葵上)にもなるほど有名だが、今回は舞台後方で六条御息所役の柚香が踊るという形での表現だった。昔見た「あさきゆめみし」で貴柳みどりがものすごく怖かったのを覚えている私としては、ちと物足りなかった。
★危険な恋、そして都落ち
第13場から18場は起承転結の「転」に当たる部分。父桐壺帝が退位して朱雀帝(源氏の義理の兄で母は弘徽殿の女御)の治世となり、源氏の運命にも大きな転機が訪れる。
帝は代替わりして朱雀帝の世。宮中で催された花の宴で見た美しい女房(仙名彩世)と夜の宮殿で再会した源氏は、名も知らぬその女房と踊る(第13場 花の宴)。だがその女(朧月夜)は右大臣家の姫だった。二人の噂を聞いて弘徽殿の女御は怒りに震える。(第14場 弘徽殿の怒り)。
危険な逢瀬を重ねる二人はついに右大臣らに証拠を掴まれてしまう(第15場 朧月夜)。入内の決まってた朧月夜と通じることは帝への反逆に他ならない。右大臣らは源氏を追放しようと意気込むが、源氏は先手を打って、惟光ら数人の供だけを連れて旅立っていく(第16場 都落ち)。須磨の海辺で佗しい日々を送る源氏の元を頭中将が訪ねて来て都の噂話を聞かせるのだった(第17場 須磨の浦)。
ある夜突然の嵐が訪れ、亡き父桐壺帝の幻が源氏の前に現れて「お前はこんなところにいてはいけない」と叱責する。嵐の海を船で渡ってきた明石の入道(夕霧らい)という男が「住吉明神の夢のお告げがあった、明石にお連れしたい」と申し出て、源氏はその言葉に従うのだった(第18場 嵐)。
★桐壺帝再び
源氏の元に、父が亡霊となってその姿を見せる。私は源氏物語のおおよそのストーリーは理解していたつもりだったが、夢枕に立って須磨を出るように語る父帝が、これほどの存在感で舞台上に現れるとは思ってもみなかった。桐壺帝には第10場とこの第18場でしか台詞がないのだが、これを演じる汝鳥の存在感の大きさ、重さが舞台を引き締める。無為に日々を送る息子にガツンと喝を入れるのだ。
人が生きるとは誰かのために何かを為すこと。他人を避けるように暮らしていた源氏は明石入道に導かれ、再び人となる。だが、舞台上はここから先に大胆な省略があったのは残念だ。本来の源氏物語のストーリーでは源氏は須磨から明石に移り、明石の入道の娘(明石の君)と結ばれる。やがて源氏は都に呼び戻されるが、その頃明石の君は身ごもっていた、という話が入るはずだが、今回の舞台ではバッサリとカットされている。
まぁ源氏物語のストーリーなんてご存知でしょ?と言われれば確かにそうなのだが、やはり90分で光源氏の一生を漏れなく舞台化するのは難しいと見える。
★源氏の栄華と巡る輪廻
そして物語は新たなステージに入る。(以下はストーリーの結末に触れています。ご注意ください。)
源氏は朱雀帝の許しを得て京に戻り、月日は瞬く間に流れる。ある日、源氏を呼び出した朱雀院は、自分が出家するにあたり、娘である女三の宮を源氏に嫁がせたいと頼む。源氏はその願いを受け入れる(第19場 源氏の栄華)。
源氏と葵の上の間に生まれた息子である夕霧(鳳月杏)は内大臣(かつての頭中将)の娘である雲井の雁(音くり寿)と惹かれあっていた。娘の入内を望み、二人の仲に反対していた内大臣もついにこれを認める。他方、女三の宮に憧れていた柏木(柚香光)は、彼女が源氏に嫁ぐと知って気が気ではない(第20場 夕霧)。
六条院では源氏が女三の宮の降嫁を受け入れた理由を紫の上に語っている。紫の上は嫉妬する素振りも見せず、立派に女三の宮を迎え、源氏はそれを誇らしく思う(第21場 雪ころがし)。他方、女三の宮への想いを断ち切れない柏木は、半ば強引にその想いを遂げ、宮は柏木の子を身ごもってしまう(第22場 密通)。
柏木と女三の宮の密通を知り、源氏は怒る。が、かつての父と同じ立場となった源氏は、父が自分と藤壺の仲に気づいていたこと、藤壺の生んだ皇子が源氏の子だと知っていたことに初めて思い当たる。苦しみを胸に収めつつ、華やかな行列と共に宮中へと向かう源氏の姿を描いて、舞台は幕となる(第23場 恋の輪廻)。
★父の心を知り、自らの宿命を生きる
第18場と第19場の間には時間的に大きな隔たりがある。源氏も頭中将も年を重ね、夕霧と柏木という二人の息子の世代の話に移っていく。そんな中で女三の宮の降嫁という厄介な問題が持ち上がる。
女三の宮が皇女である以上、源氏は彼女を正妻にしなければならない。だがそれは、ただでさえ親族の後ろ盾のない紫の上から正妻の地位を取り上げることになる。自分で育てた妻だけあって物分りが良く、態度も立派だと感心する源氏は、紫の上の心にどれほどダメージを与えているかに気づかない。
第23場のタイトル「恋の輪廻」の通り、源氏は父桐壺帝が経験したのと同じ憂き目に遭い、そうなって初めて父を理解する。源氏と藤壺は桐壺帝の怒りを買うこと、その庇護を失うことを恐れた。だが、桐壺帝は二人の仲を知りつつも二人を愛したのだ。第10場で源氏が皇子を抱く姿を見ていた桐壺帝の笑顔がフラッシュバックする。
だからこそ源氏は耐えて生きねばならない。柏木の子を自分の子として育てることが、亡き父から課された彼の宿命なのだ。傍目には変わらぬ栄華を誇りながらも、源氏の決意を秘めた姿が胸を打つ。苦いがそれでいて余韻の残る結末だった。
★「男」としての光源氏に焦点を当てた物語
見終えた後、隣の席で見ていた二人組の女性客が「これってどういうこと?」「源氏はこの後もこれまでと同じように暮らしました、ってことだよ」と話しているのが聞こえた。幾分あっけない結末に、戸惑った観客は結構いたのではないかと思う。
かつて花組で見た「あさきゆめみし」の様な華やかでショーアップされた舞台を想像してきたら、そういう反応になるのは仕方がないだろう。「あさきゆめみし」は光源氏と紫の上の関係を中心に描いた作品で、二人は死後もあの世で再び幸せな再会を果たすという美しいエンディングだったと記憶している。
ところが、今回の「新源氏物語」はひたすら光源氏という男性の心情に焦点が当てられていた。理想の女性は父の妻、その面影を持つ女性たちをいくら追っても心は満たされず、因果応報で最後に柏木から強烈なカウンターパンチを食らってよろめき、父の偉大さを知る。源氏物語がこんな暗くて重い話だなんて、誰が予想しただろう?
★悲劇の似合うトップスター、明日海りお
初演を見たことのある友人は「脚本の改悪」が原因だと主張していた。かの大地真央が惟光を演じ、軽妙な演技で笑いを誘っていた。もっとメリハリのある作品だったというのだ。確かに脚本変更の影響もあるだろうが、私はむしろ、トップスター明日海りおの持ち味のせいではないか、と思う。
明日海はその愛らしい顔立ちとは裏腹に、人生のダークサイドを描いたら右に出るもののないスターだ。光源氏は華やかで美しい永遠の貴公子、女性たちの憧れだが、明日海りおというフィルターを通すと、その孤独と苦しみ、心の中の闇の深さが必然的にクローズアップされてしまう。そこが彼女の役者としての類まれな資質であり、魅力なのだと思う。
★再演物は難しい
明日海は光源氏の演技で平成27年度文化庁芸術祭賞の演劇部門新人賞を受賞した。明日海に光源氏をやらせてみたいという劇団の思惑は見事に当たったのだと思う。興行的にもチケットはよく売れたと聞いている。
でも、だからといって、源氏物語を「男の話」として上演するのは如何なものか。柴田脚本の雰囲気、余韻のある結末そのものは宝塚の財産だとは思うけれど、女性観客のニーズにはもう合わなくなってきている。新源氏物語が私の苦手な「男の生き様」的な主題の作品となってしまったことは残念だ。
光源氏と恋に落ちる女性たちそれぞれが、生き生きと美しく個性的に生きる、そんな21世紀の源氏物語が見たかった。いつか必ず新しい源氏物語を紡ぎ出す演出家が登場することを祈っている。
【作品データ】「新源氏物語」は1981年に脚本・演出柴田侑宏、主演榛名百合、月組初演された作品の再々演に当たる。今回の演出は大野拓史。2015年10月2日〜11月9日に宝塚大劇場、11月27日〜12月27日に東京宝塚劇場で花組によって上演された。並演のショーは「Melodia −熱く美しき旋律−」。
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