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2015/9/10 「星逢一夜」

★演出家上田久美子氏の大劇場デビュー作を見る

 本公演では久しぶりのオリジナル作品、宝塚お得意のコスチュームものですらない。そのうえ、若者には受けないと言われる日本ものである。だが、それでも雪組公演「星逢一夜(ほしあいひとよ)」を見ないわけにはいかない。ついに、演出家上田久美子氏が大劇場デビューを飾るのだから。

 上田氏はこれまでにわずか2つの作品しか発表していない。2013年の月組バウホール公演「月雲の皇子」と、2014年の宙組ドラマシティ・東京特別公演「翼ある人びと」である。が、この2作品でがっちりと宝塚ファンのハートを掴み、3作目の本作で大劇場デビューを飾ることとなった。

 宝塚歌劇団では演出家が脚本も書く。上田氏の作風を敢えて言葉にするなら、「静謐な中の美しさ、豊かな文学性」とでも言えば良いのだろうか。作品は美しい言葉で綴られ、物語の中ではどの登場人物もその生を息づいているように見える。登場人物の性格をエピソードの中で描き出すのに長けていて、物語性を大切にする作家である。

 そんな上田氏が大劇場デビューの題材に選んだのは「星を観る殿様と百姓一揆」。さてどんなお話になるのだろう。

★主な配役

天野春興(紀之介)…………………………………………早霧せいな
泉(三日月藩の、村娘)……………………………………咲妃みゆ
源太(泉の幼なじみ)………………………………………望海風斗
徳川吉宗(八代将軍)………………………………………英真なおき
貴姫(吉宗の姪)……………………………………………大湖せしる
浩(源太の母)………………………………………………梨花ますみ
美和(紀之介の母)…………………………………………早花まこ
鈴虫膳右衛門(晴興の養育係)……………………………香綾しずる
天野照興(三日月藩藩主、晴興の父)……………………久城あす
猪飼秋定(幕府天文方筆頭の青年)………………………彩凪翔
細川慶勝(熊本藩藩主)……………………………………月城かなと
氷太(三日月藩の民)………………………………………鳳翔大
汀(三日月藩の民、ちょび康の姉)………………………沙月愛奈
泰三(三日月藩の民、晴興の友)…………………………蓮城まこと
湧(三日月藩の民、晴興の友)………………………………透水さらさ
雨吉(三日月藩の民、晴興の友)…………………………真那春人
ちょび康(三日月藩の民、晴興の友)……………………彩風咲奈
滝(三日月藩の民、晴興の友)……………………………愛すみれ
清(三日月藩の民、晴興の友)……………………………星乃あんり

★あの人も、この人も、みんな「子役」?!

 時は江戸時代、八代将軍徳川吉宗の治世。物語は九州の小藩、三日月藩の藩主の息子である天野春興(幼名紀之介)の子供時代に始まり、そこから約20年にわたって繰り広げられる。

 ある日、蛍村の子供たちは、一人の見知らぬ少年が、星見の櫓(ろ、やぐらのこと)を作ろうとしているところに出会う。山深い三日月藩で、少しでも多くの星を観察するには、高い櫓が必要だという。協力して櫓を作り上げた子供たちは、その少年を通して星を観る楽しみを知るのだった。

 少年は藩主天野照興の次男、紀之介(早霧せいな)であった。だが、その名を聞くと村の娘泉(咲妃みゆ)は怒って悪態をつき、その場から走り去る。泉の幼馴染である源太(望海風斗)は、泉の父親が一揆を起こしたために領主に処刑され、彼女は幼い弟を養うために一人で働いているのだと紀之介に語る。

 ある日、蛍村に隣の熊本藩の悪童たちが水泥棒にやって来る。紀之介や泉、蛍村の子供たちの抵抗もむなしく関は切られ、水は熊本藩へ流れていく。「半月後にやってくる星逢の日までに水がなくなると稲が枯れてしまう」と嘆く泉に、紀之介は「今年の星逢は半月後ではなく今日だ、米は必ずできる」と言って励ます。紀之介は毎日星を観測することで、正しい暦を知る術を得ていたのだ。

 星見の櫓に腰掛けて「星探しの唄」を歌う紀之介、泉、源太。三人の間にはたしかな友情が芽生える。

 それにしても、宝塚のトップスターが自ら子役を演じるのは珍しいことだ。しかも早霧一人ではなく、咲妃も望海も、長身の鳳翔大や蓮城まことも彩風咲奈も皆子役である。学年の若い娘役さんなどが子役を演じることはよくあるが、キャスト表によれば10名以上が「三日月藩の民、春興の友」、熊本藩の悪童も6名、とんだ子役祭りだ。

 しかも、皆さんその子役っぷりが大変上手いのには驚かされる。中でも早霧の子役ぶりが良い。元気の良いやんちゃな子供ではあるが、妾腹の次男坊という不安定な立場。一人で星を見ることが何よりの楽しみというどこか孤独を抱えた少年が、村の子供たちと心を通わせていく姿に、私はどこかホッとするものを感じた。

★三日月藩から江戸へ

 だが、のんびりした日常は長くは続かない。3年後、紀之介の兄が急死し、彼をとりまく環境は一変する。紀之介は名を春興と改め、三日月藩の跡取りとして江戸へ向かうこととなる。祝福する蛍村の子供たち。でも、大名の跡取りが江戸に行くのはいわば人質としてである。三日月藩の重臣たちも、春興が跡取りとしての十分な教育を受けていないことを心配する。

 江戸行きを嫌がる紀之介に、「自分のことは自分で決めなさい」と言い放つ母親役を演じる早花まこの凛とした武家の奥方ぶりが良い。
泉は「山の向こうに行けば、もっと星が見える」と江戸行きをためらう春興を励ます。泉を演じる咲妃みゆは存在感が清らかで何より声がいい。故郷にこんな幼なじみがいたらそりゃ心残りだよね、と心から思える。

 思春期を迎えた少年は少女への思いを意識しつつも、自分の置かれた立場を理解し、与えられた運命を自ら受け入れる。去り際に泉に自分の小太刀を渡すと「泉を守れよ」と叫んで春興は旅立つ。その姿を櫓の上から見つめる泉。思春期の淡い恋と別れ、その甘酸っぱい感じが何とも切ない。

 江戸城では将軍吉宗(英真なおき)が大名たちを集めて月見の宴を開いている。秋の七草に扮した姫たちがあでやかに舞う。そこへやってきた春興と父天野照興(久城あす)。緊張のあまり話も出来ない父に代わって、春興は「兄が死んだので自分が跡取りになった」と堂々と言ってのけ、吉宗に「かかし」と呼ばれる。衣装だけは立派だが中身のない田舎者という意味だろうか。

 「まもなく月食が起きる」と言う春興の言葉に、宴に集う人びとは動揺する。当時月食は不吉の予兆とされていたのだ。幕府天文方の猪飼秋定(彩凪翔)は「月食は明日のはず」と言い、気の強い吉宗の姪貴姫(大湖せしる)は「もし、食が起きなければ切腹せよ」と春興に迫る。だが、まもなく月は欠けはじめる。「月食はただの天文現象。不吉だというのは迷信にすぎない」と笑う春興を見て、吉宗は彼を御用取次の役職に任命するのだった。

 恐れを知らず、思ったことを口にする春興の若さと無鉄砲さがなんとも好ましい。堂々と持論を述べる胆力、星の観察から得た正確な暦の知識。それを見込んで登用する吉宗という人物の大きさも見えて、なかなかよい場面だ。

★7年後、星逢の祭りの夜

 パッと明かりがつくと、舞台は祭りの衣装に身を包んだ三日月藩の民で溢れる。舞台上の時間は7年が経過し、星逢の祭りの夜となる。かつての蛍村の子供たちもすっかり大人になり、泣き虫のちょび康(彩風咲奈)も湧(透水さらさ)が自分の子供を妊娠したと言って喜ぶ。源太の母浩(梨花ますみ)も、ようやく源太が泉を嫁にもらうことになった、と村人たちに語る。

 そこへ、春興が天文方の猪飼秋定を伴って久しぶりに帰ってくる。二人の会話から、春興が江戸での7年間で得た友人は秋定ただ一人であること、幕府内で順調に出世した春興には貴姫との縁談が進んでいることが分かってくる。しかもそれは後ろ盾のない春興を心配して、貴姫の方から申し出た縁談であることも。

 懐かしい故郷での星逢の祭りの夜、春興がそこで泉と再会するのは、当然の成り行きである。二人の心に、ほのかな恋心が蘇る。美しい武家の若者と、祭りの晴れ着(にしてはちょっと豪華すぎるが)の水色の振袖を着た娘が二人きりで踊る場面は幻想的で美しい。

 そんな二人の姿を見た源太は「泉はお前にやる。姫さんとの縁談は断って、泉を嫁にもらってくれ」と春興に頭を下げるのだ。源太は心根の優しい素朴な男である。泉が春興を想っていることを子供の頃から気付いている。本当は源太も泉を愛しているのだろうが、二人に幸せになってほしい、何より泉の願いを叶えてやりたいという思いの方が強い。演じる望海も誠実な芝居で好演。

 だが、江戸での務めを持つ春興にとって、その願いを受け入れるなど到底できない相談だった。できるのはただ、二人の幸せを祈ることのみである。

★10年後、享保の改革

 さらに10年の歳月が流れる。享保の改革を進める吉宗の下で、春興は政治的手腕を発揮している。だが、民は重い年貢に苦しみ、改革を推進する天野春興の名は場末の夜鷹にまで嫌われている。橋の下で屋台を出す蕎麦屋で、登城中の春興を待つ鈴虫膳右衛門(香陵しずる)が蕎麦をすすりながら、夜鷹たちが話すのを聞く、という形で話が進むのが面白い。

 場末の夜鷹を演じるのは、江戸城で姫を演じていたのとほぼ同じ娘役の面々である。同じ芝居の中で、まったく相反する立場の役を演じるっていうのはどういう気分なんだろうか、と思うが皆、うまく夜鷹らしい雰囲気で演じている。見事な変り身だ。

 江戸城内では幕閣や大名を前に、春興が改革の必要性を説いていた。江戸の父とも慕う吉宗のため、春興はぜひともこの任務を成し遂げなければならないという決意に燃えている。だが、そんな春興に、三日月藩で一揆の動きがあると貴姫が告げる。彼女は夫に代わって国許の様子を伺っていたのだ。「一揆を平定し、もう一度江戸に戻ってこい」と吉宗に命じられ、春興は故郷、三日月藩へと向かう。

 この場面からは春興の髪形も月代に髷をきっちりと結いあげた形に変わっている。成人し、父から国を受け継ぎ、同時に幕府の要職を得ている。将軍吉宗からは厚い信頼を得て、妻となった年上の貴姫からも大切にされているのが伺える。

 そんな春興に吉宗は「最近星は見ないのか」と尋ねる。「忙しいのでなかなか思うようには見られません」と答える春興。この会話一つで、彼の心が三日月藩での昔の思い出を離れ、江戸で一人の大人、一人の幕閣としての地位を築いていることが伺える。どこか現代のビジネスマンの姿を見るようだ。

★三日月藩、蛍村での再会

 場面は変わって、三日月藩の蛍村。食べるものにもこと欠く源太と母、妻の泉、三人の子供たち。ちょび康の子供は飢えて死んだ。源太や村の男たちは蜂起を決める。父を一揆で亡くした泉は必死に止めようとするが、男たちの決意は固い。

 三日月藩に帰ってきた春興は、昔懐かしい星見の櫓を訪れる。使う者のない櫓はすっかり古びている。偶然そこにやってきた泉は「昔は星を見ることで、辛いことを忘れられた。でも、今のあなたは私の知らん人です」と、領主春興を責める。

 泉を迎えに来た源太に対し、春興は「一揆をやめさせて欲しい」と願うが、逆に源太から「一揆を止められるのはお前だけだ」と告げられる。だが、幕閣となった春興は「自分の藩のために政道は曲げられない」と答えるしかなかった。

 10年の歳月を経て大人になった三人は、それぞれの立場で背負うものがあり、かつての友情だけではそれを乗り越えて手を結ぶことができない。誰が悪いわけでもない。大人なら誰でも思い当たることがあるはずだ。そんな三人の姿が胸に痛い。

★一揆勃発、その結末は?

(ここから先、物語の結末に触れています。)

 ついに一揆が勃発する。農民たちは武器を持って立ち上がり、三日月藩の藩士たちに叶わぬ戦いを挑む。蛍村で幼馴染だった氷太は脚に傷を負い、ちょび康は藩士に討たれてしまう。大勢の死者を前についに春興と源太は一対一の勝負に挑む。だが、武士である春興に源太が太刀打ちできる筈もない。春興は源太を斬り、一揆は鎮圧された。

 だが、思い出深い三日月藩で、心を許せる数少ない友の命を奪った春興は、これ以上改革を進めることはできなかった。江戸に戻ると、吉宗に領民たちの赦免を願い出る。「代わりに自らがどのような罰でも引き受ける」と言う春興に、吉宗は「領民の蜂起を止められなかった罪は重い」として、三日月藩の改易と、春興の陸奥への永久蟄居という厳しい沙汰を下す。

 星逢の祭り、それが故郷三日月藩での過ごす最後の夜となる。懐かしい櫓に登った春興は、泉に出会う。春興にもらった小太刀を握りしめる泉。「こんな風になっても、泉はなぜあなたが好きなのでしょうか」という泉を春興はしっかりと抱きしめる。そして、ついに心に秘めていた望みを口にするのだ。「自分と一緒に陸奥に来て欲しい」と。だが、そこへ泉を探しに子供たちが現れる。春興は泉がこの村で子供たちと生きるべきだと悟るのだった。

 ラストシーンは昔の姿に戻った星見の櫓。子供の姿になった紀之介、源太、泉をはじめ蛍村の子供たちが集う。そこには死んだちょび康の姿もある。子供たちが揃って櫓に登り「星探しの唄」を歌うところで幕となる。

★ノスタルジーは宝塚歌劇のテーマになり得るか

 クライマックスは幼馴染同士の命を賭けた対決、哀しい結末と恋の終わり。そして、ラストシーンでは再び子供時代の幸せな姿を見せるという展開はお見事。このラストシーンで、心に重くのしかかる結末が、溢れる涙とともに清らかに洗い流されていく。

 「星逢一夜」という作品のベースには故郷への思い、郷愁がある。山深い三日月藩は、都会で暮らす誰もが思い描くふるさとの姿に重なる。主人公春興は江戸に出て出世の道を歩んでいるのだが、折に触れて故郷に戻るたび、故郷の姿と初恋の女性に心揺さぶられる。

 自分は自分の力で切り開いた正しい道を歩んでいる、そう信じていた主人公春興が、源太の命を賭けた姿に心折れて歩みを止める。物語はそこできちんと完結しているのだが、「宝塚歌劇」として見ると、この結末で良かったのかには疑問が残らないわけではない。

 宝塚歌劇、とりわけ本公演の演目は「トップスターを魅力的に見せること」が最終目的とする特殊なエンタテインメントだ。問答無用の格好良い姿が、観客に幸福感をもたらす。極論すれば、伏線が回収されなかろうが、心情的に破綻していようが、歴史的事実を吹っ飛ばそうが構わない。どこかそんなところがあるものだ。

 親友を斬り、長年恋した幼なじみの女性とは結ばれず、地の果て陸奥に落ちていこうとする早霧春興の姿から、観客は何のカタルシスも得られない。クライマックスでひたすら「悩める男」「我慢する男」を演ずる早霧を見たいかと問われれば、私は「No」と答える。早霧のファンならなおさらだろう。

 だが、上田氏は「カッコイイ早霧せいな」を見せる代わりに、敢えて「ノスタルジー(郷愁)」をキーに三人の少年少女、それぞれの人生を描いて、観る者の心のツボを突いてきた。春興、泉、源太の生き様は観る者の心をギュッと掴んで離さない。理不尽さや思い通りにいかない悔しさを抱えて生きている私たちは、彼らの姿に惹かれ、涙を流さずにはいられないのだ。

 ありきたりな表現だが、私は宝塚歌劇にこれほど「癒し」を与えられるとは思ってもいなかった。上田脚本・演出に応えた早霧をはじめ雪組のメンバーも素晴らしかったと思う。「星逢一夜」が客席にもたらした何とも言えず温かいぬくもりと余韻を私は忘れない。あのとき生で観ておいてよかった、いつの日か、そう振り返ることのできる作品になる。そんな予感がする。


【作品データ】ミュージカル・ノスタルジー「星逢一夜(ほしあいひとよ)」は、作・演出上田久美子。宝塚歌劇団雪組により2015年7月17日〜8月17日宝塚大劇場、同年9月4日〜10月11日に東京宝塚劇場で上演された。演出家上田久美子の大劇場デビュー作品である。

#雪組 #宝塚 #takarazuka

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