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2015/7/22 「1789−バスティーユの恋人たち−」

★宝塚101周年めの新作海外ミュージカル

 昨年は宝塚100周年と銘打った大作と再演もののオンパレードだった。それが一段落した今年も歌劇団は意欲的に海外ミュージカルに取り組んでいる。フランス発の「スペクタキュル」を原作とする「1789−バスティーユの恋人たち」、演じるのはトップスター龍真咲率いる月組である。

 「スペクタキュル」とは耳慣れない言葉だが、フランス生まれの新しい娯楽のスタイルで、歌は歌手が、ダンスはダンサーがそれぞれ担当し、体育館のような広いスペースで公演するのが通例だそうだ。ミュージカルよりも大衆向けで、大人から子供まで楽しめるエンターテインメント、ということらしい。そんな作品をミュージカルのスタイルに翻案しての上演、となれば翻案・潤色のプロフェッショナル、小池修一郎の出番だ。

 小池演出のフランスミュージカルと言われて真っ先に思い出すのは「ロミオとジュリエット」だろう。斬新でモダンな衣装、ポップで覚えやすいメロディーの「世界の王」や「エメ」といったミュージカルナンバーが素晴らしかった。ロミジュリは三つの組で次々と続演されるヒットミュージカルとなったが、今回もそんな「新たな旋風」が巻き起こるのだろうか。

★トップスターとトップ娘役が組まない異例の配役

 では、主な配役から。

ロナン・マズリエ(農夫の息子)…………………………龍真咲
マリー・アントワネット(フランス王妃)………………愛希れいか
ルイ16世(フランス国王)…………………………………美城れん
アルトワ伯爵(ルイ16世の弟)……………………………美弥るりか
ペイロール伯爵(貴族将校)………………………………星条海斗
ネッケル(財務大臣)………………………………………光月るう
ポリニャック夫人(王妃の友人)…………………………憧花ゆりの
オランプ(王太子の養育係)………………早乙女わかば・海乃美月
デュ・ピュジェ中尉(オランプの父)……………………飛鳥裕
ギヨタン博士(ギロチンの発明者)………………………響れおな
フェルゼン(スウェーデンの貴族、王妃の恋人)………暁千星
カミーユ・デムーラン(ジャーナリスト、革命家)……凪七瑠海
ロベスピエール(弁護士、革命家)………………………珠城りょう
ダントン(弁護士)…………………………………………沙央くらま
ソレーヌ・マズリエ(ロナンの妹)……………花陽みら・晴音アキ
バティスト・マズリエ(ロナンの父)……………………有瀬そう
ラマール(アルトワ伯爵の手先)…………………………紫門ゆりや
ロワゼル(ラマールの手下)………………………………朝美絢
トゥルヌマン(ラマールの手下)…………………………輝月ゆうま
リュシル(デムーランの恋人)……………………………琴音和葉
マラー(医師、かわら版の記者)…………………………綾月せり
シャルロット(パレロワイヤルの落とし子)……………紫乃小雪

 トップスターの龍真咲は農夫の息子ロナン役。ロナンの恋人となるオランプ役は早乙女わかばと海乃美月のダブルキャスト。ロナンの妹ソレーヌ役も花陽みらと晴音アキのダブル。ちなみに私の観劇した7月22日はオランプが早乙女わかば、ソレーヌが晴音アキだった。

 トップ娘役の愛希れいかはフランス王妃マリー・アントワネット役に回っている。王妃の想い人フェルゼン役には若手の暁千星。トップ娘役の在団中にトップスターが別の娘役とカップルとなって芝居をする、というのは宝塚では相当珍しいケースだ。私が見始めた2001年以降の東京宝塚劇場公演で、このパターンは初めてだと思う。

★冒頭からいきなり佳境へ、そして発端へ

 物語の冒頭はバスティーユ襲撃の場面から始まる。ロナン(龍真咲)が一人でバスティーユの城壁を登っていく。最上部まで登りきると、彼は監獄に通じる吊り橋の鎖を断ち切る。歓声と共にバスティーユの門が開いていく………。

 クライマックスの一シーンを最初に見せるというこの演出には驚かされた。一人先頭を切って壁を登るこの青年が、ここに至るまでに何が起こったのかをこれからお話しましょう、という趣向だ。

 舞台上の時間はここで一年前に遡る。三人の農民が税金の不払いを理由にペイロール伯爵(星条海斗)率いる軍隊に逮捕される。ここで主人公ロナンが登場し、断固としてペイロールに抗議する。軍隊がロナンに銃を向けたそのとき、ロナンの父(有瀬そう)が彼をかばって撃たれてしまう。

 税金のカタに土地を没収されたロナンは新たな生き方を求めてパリへと向かう。龍ロナンは全編通して声のトーンが高めで、かなり若い雰囲気、年齢設定は20代前半といったところか。

★一人の青年と王妃を通して描かれる革命

 宝塚版「1789」では、ロナンという無名の青年を通して、庶民の目から見たフランス革命の姿が描かれていく。食い詰めて地方からパリにやってきた彼は、デムーラン(凪七瑠海)、ロベスピエール(珠城りょう)、ダントン(沙央くらま)らの進歩的な思想を持つ若者たちに出会い、次第に革命の渦に巻き込まれていく。

 物語のもう一つの軸は、王妃マリー・アントワネット(愛希れいか)である。孤独からギャンブルと贅沢の限りを尽くしていた王妃が、王太子の死や民衆の蜂起、貴族たちの国外逃走という事態を受けて、国王と運命を共にする覚悟を決めるまでを、貴族社会の人間模様を絡めて描きだす。

 ロナンの物語とアントワネットの物語は、パリの街と王宮を舞台として交互に進んで行くのだが、二つの物語は意外なところで交差する。そんなドラマを2幕もの、約2時間半のミュージカルに仕立てたのが宝塚版「1789−バスティーユの恋人たち」である。

★アントワネットと宮廷内の人間模様

 王妃マリー・アントワネット(愛希れいか)は登場シーンから強烈だ。舞台いっぱいに広がるルーレットをかたどった巨大なドレスが圧巻。コインを投げてギャンブルに興じる華やかで思慮のない姿がカラフルな彩りで大胆に描かれる。派手な演出は「スペクタキュル」由来だろうか。

 一方、国王ルイ16世(美城れん)は、ギヨタン博士(響れおな)が開発した新型の「人道的」処刑装置の模型に夢中である。後に彼がこの装置(=ギロチン)で処刑されることを思うと、なかなか皮肉が効いている。美城は穏やかで控えめな善人だがフランスの危機をなんとかするにはあまりに凡庸で地味、華やかな王妃とはまったく不釣り合い、そんなルイ16世という人物を実にうまく造形している。

 フランスは財政的窮地に瀕していた。大臣のネッケル(光月るう)が国庫が空っぽだと訴えるが、国王や貴族たちは「税金をあげればいい」とまったく聞く耳を持たない。

 そこへ王太子ルイ=ジョセフを連れて、養育係のオランプ(早乙女わかば)が登場する。国王夫妻には三人の子供がいるが、長男である
ルイ=ジョセフは病弱。車椅子を降りておぼつかない足取りで歩く王太子に、王妃は思わず母の顔を取り戻し、オランプの熱意ある指導に感謝する。

 愛希アントワネットは、フランス宮廷に君臨する王妃としての凛とした高貴さと傲慢な雰囲気を保ちつつ、この場面で母の情愛を見せてなかなかお見事。

 ルイ16世の弟であるアルトワ伯爵(美弥るりか)は、配下のラマール(紫門ゆりや)らを使って、アントワネットと愛人フェルゼンの逢瀬の現場を抑えようと狙っている。国王と王妃の評判を落とし、自ら玉座につこうという野心家だ。

 アントワネットが心を許すのはただ一人ポリニャック夫人(憧花ゆりの)のみ。そんな夫人を通じてフェルゼンからの手紙が届く。逢引の場所に指定されたのは革命家たちのたまり場パレ・ロワイヤル。躊躇する王妃の案内役としてオランプが付き添うことになる。

★巻き込まれ型主人公、ロナンの苦難

 デムーラン(凪七)のとりなしで、革命派の新聞を印刷するマラー(綾月せり)の印刷所で働くようになったロナンだったが、彼には宿がない。そこで夜は娼婦たちの集まるパレ・ロワイヤルで野宿を決め込む。ダントンが自分の情婦を紹介すると言ってロナンに引き合わせた女性は、田舎に残してきたはずの妹ソレーヌ(晴音アキ)だった。彼女もまたパリに出て、生きるために娼婦となっていたのだ。

 晴音アキという人を私はこの作品で初めて認識したのだが、顔の造作がはっきりしていてどちらかといえば男役顏。少ない出番で生きる道を選んだ女性の強さを見せていてなかなか良かった。夜の女性たちのダンスナンバーもかっこいい。

 その同じ夜、ロナンが野宿するパレ・ロワイヤルにフェルゼン(暁千星)に会うためアントワネットがやってくる。暁フェルゼンは身長こそ高いが、顔立ちはまだ幼く「若いツバメ」といった風情。ベルばらのフェルゼンを期待していると面食らうが、王妃がこの美しい青年貴族を愛人にするというのはアリだと私は思う。恋ってそういうものだろう。

 だが、二人の久しぶりの逢瀬に邪魔が入る。王妃のスキャンダルの現場を抑えようとやってきたラマール(紫門)一味だ。紫門ラマールと二人の手下(朝美絢、輝月ゆうま)は、職務には忠実だがどこか間が抜けていて、なかなか王妃の尻尾を掴むことができない。

 オランプは急いで王妃を逃すと、「この男に襲われた」と、偶然そこに居合わせたロナンを指差す。ロナンは革命派の新聞を持っていたことから憲兵に逮捕され、そのままバスティーユ送りにされてしまう。

 監獄ではかつてロナンの父を撃ったペイロール伯爵(星条)が待ち受けていた。ペイロール役の星条海斗は長身で声量があり、敵役となる軍人将校役が実にうまくはまっている。ロナンは拷問を受け、新聞の印刷所の場所を明かすよう迫られるが屈しない。ロナンがパリで最初に得たものは「仲間」。彼らを裏切ることなどできなかったのだ。

 無関係のロナンを巻き込んでしまったことを後悔するオランプは、父親でバスティーユの守備隊長を務めるデュ・ピュジェ中尉(飛鳥裕)の力を借りにバスティーユに赴く。父は娘の願いを聞き入れてロナンの脱出に力を貸す。

 地下道から逃げるオランプとロナン。二人きりの暗い場所で不安な心理状態に置かれた男女が恋に落ちるというのは全世界共通のルールらしい。別れ際に強引にオランプにキスをするロナン。龍&わかばという組み合わせは新鮮で、この場面は良かった。

★革命家たちと貴族たちの攻防戦

 一幕後半では、革命に向かう歯車が少しずつ動きだす。

 5月5日、国王の招集による三部会が開かれる。デムーラン(凪七)、ロベスピエール(珠城)、ダントン(沙央)らは平民議員として参加するが、第一身分(貴族)、第二身分(僧侶)、第三身分(平民)がそれぞれ一票ずつ投じる制度のため、平民の意見は通らない。

 三部会に臨む革命家チーム。凪七デムーランは見るからに育ちが良さそうだが、弁舌が立って熱い情熱の持ち主。カチャ(凪七)がこれだけ「熱をもった男」を演じているのは初めて見た。珠城ロベスピエールはとにかく押し出しが半端ない。ガタイが良いというだけでなく迫力もある。沙央ダントンは二人に比べると軽みのある人物に造詣していて、こちらも上手い。

 印刷所では新たな階級闘争が勃発していた。デムーラン、ロベスピエール、ダントンらはブルジョワの子息。彼らが学問していた頃、自分は「飢えていた」というロナンの訴えに賛同する印刷工たち。同じ「平民」でも経済的には厳然たる格差が存在する。デムーランたちが自分たちとは違うと悟ったロナンは彼らと袂を分かつ。

 印刷所に手入れに来た秘密警察から逃れたロナンは、シャルロット(紫乃小雪)の導きで地下水道を通ってサンドニ大聖堂へ向かい、そこで王太子の死を悲しむオランプと再会する。アントワネットはフェルゼンに思いを寄せたことへの神の報いだと悔い、ロナンとオランプは愛を確かめ合う。でも、革命派の平民と王妃の侍女は、いわば敵同然。二人は愛に苦悩する。

 国王の命令で平民議員は会議場への立ち入りが許されず、貴族と平民と武力衝突は避けられない事態となる。キャスト勢ぞろい、コーラスと人海戦術で盛り上げる一幕のラストの緊迫感はさすがの小池演出である。議場に入れないと分かった平民たちは、新たな会議場としてヴェルサイユ宮の球技場へ向かう。

 ここまでが第一幕である。小池先生らしい実にテンポの良い展開だが、フランス革命の歴史を意外なほどきっちりなぞっているこの物語。「決定的な事件」はまだ何も起きていない。心情的にも盛り上がりが少ないので、一幕は少々長く感じられた。

★球戯場の誓い、二つの恋

 第二幕は、テニスに興じる貴族たちを押しのけ、平民たちが球戯場に押し寄せる場面で始まる。歴史に名高い「球戯場の誓い」の場面だ。ここでは珠城ロベスピエールを中心とするボディドラムの迫力がすごい。

 ヴェルサイユ宮殿では、王太子の死とそれに続く平民たちの不穏な行動は、自分がフェルゼンとの恋に溺れたことへの神の罰だとアントワネットが怯えていた。何もかも自分を中心に考えることしかできない女性だ。アントワネットからフェルゼンへの別れの手紙を託されたオランプはサンドニ大聖堂へ向かう。アルトワ伯爵もオランプの後を追って大聖堂へ。

 アルトワ伯爵は貴族の陰謀や尊大さを体現する役だが、美弥るりかは凝りに凝った髪型、華やかなアクセサリ、いわく有り気な物腰とセリフ回しで見事にその雰囲気を作り上げていて、アントワネットの天敵としては申し分ない。オランプがアントワネットの秘密を握っていると知ると彼女を追い、あわよくば自分の女にしようとする執拗さはまるで蛇のよう。

 美弥アルトワの歌う「私は神だ」というナンバーが印象的。王族の血を引いて生まれた自分は特別な存在だという歌だが、実はアルトワ伯だけでなく、兄のルイ16世も考えは同じ。フランスの王であることは、神から与えられた使命であり特権であるから、自分の決めたことに国民すべては従うべきである、という思考回路の持ち主なのだ。どこかの国の総理大臣とよく似ている。

 再びサン・ドニ大聖堂に現れたロナンがオランプの窮地を救う。ここで、ロナンとオランプ、フェルゼン、アントワネットの四人が歌う「世界の終わりが来ても」のナンバーは「1789」を代表するラブソング。今回の上演のために新たに作られたナンバーだそうだ。

★そしてヴァスティーユへ

 (この先物語の結末に触れています。ご注意ください。)

 不満を募らせた民衆がヴェルサイユに押しかけると、国王は財務大臣ネッケルの言葉を退け、アルトワ伯爵の勧めに従って軍隊の力で民衆を弾圧する道を選ぶ。これを知った民衆たちは自ら武器をとって軍隊に立ち向かうことを決意する。

 ヴェルサイユ宮殿の内部では、貴族たちが続々と国外へ逃げ出そうとしていた。「君はどうする?」とルイ16世に聞かれ、「陛下とともにここに残ります」と答えるアントワネット。この場面での愛希アントワネットは、衣装も簡素になり顔色すら青白いのだが神々しいほどに美しい。覚悟を決めたアントワネットの強さがいい。

 アントワネットはオランプを呼ぶと、彼女に暇を出す。アルトワ伯がオランプを一緒にロンドンに来るよう強引に誘おうとするが、オランプはそれを振り切ってパリのロナンの元へ。

 武器を持った市民たちは、火薬庫のあるバスティーユに向かう。ここで4組のカップル(ロナン&オランプ、デムーラン&リュシル、ダントン&ソレーヌ、ロベスピエールの相手役はよくわからなかった)によって歌われる「サ・イラ・モナムール」というポップなナンバーが良い。

 ロナンはオランプに彼女の父親を真っ先に助けだすと約束する。壁をのぼり、監獄に通じる吊り橋の鎖を断ち切って、デュ・ピュジェ中尉をオランプに無事に引き合わせるが、そこへ軍隊が一斉に発砲し、ロナンは銃弾に倒れる。

 8月26日、憲法制定国民議会は人権宣言を制定、三人の革命家たちが人権宣言を高らかに謳い上げて、この「1789」という物語は幕となる。

 革命を描いたミュージカルの結末としては美しいが、「ベルサイユのばら」でどっぷり首までフランス革命に浸った(浸りすぎてもう指の先までふやけている、と言ってもいい)宝塚ファンとしては、国王一家のその後が描かれていないのはやや消化不良な感じも残る。

 「でも、そんなことはもう皆さんよくご存知でしょう」というのが、今回の「1789」で小池氏が出した答えなのだろう。厚みのあるフランス革命の歴史に、二つのロマンスを絡めて、宝塚歌劇らしい形に再構成した小池氏の手腕はやはり見事なものだった。

★呪縛から解放されたがらない「私たち」

 この「1789」が宝塚で再演されることはないと私は思う。原作は複数のキャラクターにそれぞれ見せ場のある群像劇だと聞く。宝塚版はロナンを中心に据えて手堅くまとめてはあるものの、トップスターを頂点としたピラミッドで構成される宝塚の「組」というシステムで上演するにはどうにも収まりが悪い。

 トップスター龍ロナンは最下層の若者には見えなかった。性格は素直そうだし、健康にも問題はなさそう。何より宝塚の衣装と通称トップライトと呼ばれる証明の恩恵でそこそこ小綺麗な若者に見えてしまって、階級意識に目覚め自ら先頭に立って闘っているようには感じられない。

 オランプ役の早乙女わかばは華のある娘役で、今回は演技も悪くないのだが、やはりどこか物足りない。龍ロナンもわかばオランプも、姿は美しいけれど、私の心に訴えるものはなかった。

 本来ならオランプをトップ娘役の愛希れいかがやるのが順当だが、アントワネットは娘役スター最大の役。ファンの頭にそれが染み付いている以上、愛希以外の娘役に当てることはできなかったのではないかと思う。実際、愛希の演じたアントワネットは素晴らしかったが、どこかベルばらのそれを見ているかのようなところがあった。龍・わかばとの違いは、身近にお手本があったかどうか、なのだろう。

 結局、宝塚歌劇は(というより、私たち宝塚ファンは)スターシステムとベルばらの呪縛から逃れられない。というより、その呪縛にとらわれることを自ら望んでいるのかもしれない。

★宝塚の枠の外ではどうなるかが見たい

 だが、作品が宝塚向きでないというマイナスを差し引いても「1789」は十分見応えのあるミュージカルだった。小池演出のキレはいいし、準主役格のスターを揃え、個々の役者の芝居へのこだわりの強い月組でなければ上演は難しかっただろう。

 この作品を別の形で見たい。できれば、ロナン役を普通の男性ミュージカル俳優が演じる姿を見て見たい、私はそう思った。男役でない本当の男性(こういう言い方もどうかとは思うが)が演じた方が、ロナンはより泥臭く、熱い主人公になるにちがいないのだ。

 ちょうど東京宝塚劇場での公演期間中に、「1789」の帝国劇場での上演とメインキャストが発表になった。ロナンは小池徹平と加藤和樹のダブル、オランプは神田さやかと夢咲ねねのダブル、アントワネットは花總まりと凰稀かなめのダブルというキャスティングである。

 なんというタイミングの良さだろう。しかも夢咲オランプ、花總アントワネットと、宝塚のトップ娘役経験者をキャスティングしているのも観劇意欲をそそる。まさかとは思うが、私のような観客が出てくるのを見越してわざわざ宝塚で先行上演したのだろうか。なんだか「してやられた」感は否めない。

 とはいえ、新たな楽しみができたのだから、これ以上文句は言わないでおくことにする。新たな楽しみといえばもう一つ。「1789」の最後に付いていた短いショー場面での、暁千星(フェルゼン役の若手スター)のダンスが見事にキレキレで、上級生スターを食いかねないほどであった。なるほどこの人が抜擢される理由はコレかと納得。宝塚はこれだから面白い。

【作品データ】「1789−バスティーユの恋人たち−」は、2012年にパリで初演されたフランス製「スペクタキュル」の日本バージョン。潤色・演出は小池修一郎。2015年4月24日〜6月1日宝塚大劇場、同年6月19日〜7月26日東京宝塚劇場で月組により上演。

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