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2016/3/5「For the people」

★轟悠、大統領になる

 ミュージカル「For the people −リンカーン 自由を求めた男−」はアメリカ合衆国第16代大統領リンカーンの生涯を描いた作品だ。主演は専科の轟悠。タカラジェンヌがリンカーンを演じるということ自体大きな驚きだが、ポスターのビジュアル完成度は驚愕のレベル。もはや轟がリンカーンなのか、リンカーンは実は轟だったのかという見事なまでのはまり具合である。

 私が初めて轟悠を見たのは、雪組トップ時代ラスト公演「愛燃える」(2001年)で、彼女が呉王夫差を演じた時だったが、当時から舞台上での重み、存在感は群を抜いていた。専科に異動してからは年一、二回の出演だが、独特のオーラは年々その凄みを増しているように思える。

 いや、轟悠を「彼女」と呼ぶことすら礼を失する。よく通る低い声、鋭い眼光、立ち姿、手の動かしかたひとつとっても、舞台上では男性にしか見えない。

 そんな男役のスペシャリスト轟がリンカーンを演じる。しかも、轟悠の当たり役のひとつは、あの「風と共に去りぬ」のレット・バトラー。同時代の北部側の人物、それも実在の大統領役にを挑戦するというのも面白い。

 実在の政治家の伝記ものは宝塚では珍しいが、轟なら一見不可能に思える題材すら宝塚歌劇に仕上げて見せてくれるかもしれない。何しろこれまでにも岩崎弥太郎や白洲次郎、ユリウス・カエサルにエフゲーニィ・オネーギンまで演じてきた役者なのだから。

★主な配役

エイブラハム・リンカーン(エイブ)………………………………轟悠
メアリー・トッド(エイブの妻)………………………………仙名彩世
ジョン・スチュアート(エイブの法律事務所のボス)……高翔みずき
ウィリアム・ハーンドン(エイブの法律事務所の同僚)………鳳真由
エルマー・エルスワース(エイブの助手)……………………水美舞斗
ロバート・リンカーン(エイブの息子・2幕)………………亜蓮冬馬
ボビー(ロバートの少年時代)………………………………聖乃あすか
スティーブン・ダグラス(民主党の上院議員)……………瀬戸かずや
エリザベス・トッド(メアリーの母)…………………………芽吹幸奈
ロバート・トッド(メアリーの父)…………………………冴華りおな
コレッタ(メアリーの乳母)……………………………………鞠花ゆめ
フレデリック・ダグラス(黒人の解放運動家)…………………柚香光
アンナ(フレデリックの妻)……………………………………桜咲彩花
ライラ(黒人奴隷)………………………………………………梅咲衣舞
エマ(黒人のメイド)…………………………………………菜那くらら
ジャスミン(黒人奴隷)………………………………………菜那くらら
アンソニー(黒人奴隷)…………………………………………千幸あき
ダニエル(黒人奴隷・1幕)……………………………………矢吹世奈
ブランドン(黒人奴隷・1幕)…………………………………亜蓮冬馬
ロバート・E・リー(合衆国陸軍大佐)……………………英真なおき
ジェファーソン・デイビス(連合国の大統領)……………航琉ひびき
ケネディ(リンカーン大統領の秘書)………………………舞月なぎさ
ジェームズ・ポーク(米墨戦争時の大統領)………………和海しょう
ロバート・アンダーソン(北軍の軍人・2幕)………………矢吹世奈
アレクサンダー・スティーブンス(連合国の副大統領)……紅羽真希
ジョージ・W・ランドルフ(連合国陸軍長官)……………飛龍つかさ

 今回、轟悠と共演するのは花組のメンバーである。リンカーンの妻メアリーは中堅娘役の仙名彩世、リンカーンの政敵スティーブン・ダグラスは瀬戸かずや、花組で将来を嘱望される若手スター柚香光が黒人の奴隷解放運動家フレデリック・ダグラスを演じる。

 花組トップコンビ明日海りおと花乃まりあ、二番手男役の芹香斗亜は大阪・名古屋で「アーネスト・イン・ラブ」に出演中で、この公演には参加していない。

★オープニングは黒人たちのダンスから

 「For the people」では、リンカーンの弁護士時代から政界への進出、共和党の設立と大統領選挙、南北戦争、そして凶弾に倒れるまでを、彼の政治的信念である奴隷制廃止を軸に描かれていく。

 プロローグはまず、暗い舞台上に鞭の音が響き、両手首を鎖で繋がれた大勢の男女が呻くように踊る姿で始まる。見る方も眼がまだ暗さに慣れていないので、誰が何をしているのかはっきりとは見えない。一連のダンスシーンが終わると舞台上手側から光が当たり、向かって右側の階段の中央に立つリンカーンの姿がクローズアップになる。

 宝塚の主役は、通常舞台中央から正面を向いて登場してスポットライトを浴びる。が、今回は上手寄り、やや斜めを向いた立ち位置での登場。ライトも舞台上を斜めに照らしている。が、轟が登場し、主題歌を歌い始めるとその存在の圧倒するパワーに劇場が包まれるのがわかる。かつての轟ほど声にツヤはなくかすれているのだが、それを瑕ではなく味に変えてしまうのが轟という人のすごいところだ。

★エイブを取り巻く人々

 物語はイリノイ州スプリングフィールドの巡回裁判の法廷から始まる。主人を殺害したとして起訴された黒人の男を、若き弁護士エイブラハム・リンカーン(エイブ)は明快で理論的な答弁で「証拠不十分で釈放」という判決を引き出す。「司法の下では公正に判断すべきであり、被告が黒人であろうと無実の者に罪を着せるのは許されない」という彼の法律家としての信念が語られる。

 続く場面はパーティー会場。エイブの勤める法律事務所のボスであるジョン・スチュアート(高翔みずき)、同僚のウィリアム・ハーンドン(鳳真由)、助手のエルマー(水美舞斗)らが、エイブの到着を待っている。そこへ華やかなドレスを身にまとった若い女性が登場すしてスチュアートに挨拶する。メアリー・トッド(仙名彩世)はスチュアートの従妹で社交界の華。

 ここでちょっとした事件が起きる。

 黒人のメイド(菜那くらら)がつまづいて運んできた飲み物をこぼしてしまうのだ。人々はメイドを非難する。そこへ現れたエイブはメイドに駆け寄り、彼女の服を拭いてやるのだ。「黒人女にそんなことをして」と非難する男にエイブは「君は濡れた服を着ていても平気なのか」と言い返す。

 騒ぎが収まると、上流階級の紳士スティーブン・ダグラスを始め大勢の男性がメアリーにダンスを申し込む。が、メアリーは「この中で一番の紳士と踊りたい」とダンスの相手にエイブを指名する。

 若き日のエイブは初々しく爽やかで、メイドの服を吹いてやる姿には気負いもなければわざとらしさもない。エイブの信念と優しさ、メアリーの美しさと気の強さ、エイブを取り巻く事務所の仲間たち、そして政敵となるスティーブン、パーティーでのちょっとした事件を軸に恋の発端と主人公を取り巻く人々を一気に見せていく脚本。出だしは上々である。

★若い二人の恋のはじまり

 マサチューセッツでは一人の黒人青年が、アフリカから連れてこられた女の身の上とそれが自分の母だったと歌い、黒人奴隷の解放を訴えるが、彼はやってきた警察官たちに無届けの集会を開いた罪で逮捕されてしまう。青年の名はフレデリック・ダグラス(柚香光)。

 花組の新進気鋭男役の柚香は、この場面で朗々と歌い上げる。もともと歌は決してうまい人ではないと思っていたが、なかなか堂々たる歌いっぷりだった。技術的にはまだ難もあるのだろうが、しっかりと声が腹から出ていているのがいい。地味な役だが、これを柚香に当てているのは、その舞台人としての成長を促すためだろう。一段大人の役に果敢にチャレンジしようという貪欲さと気概が見てとれる。

 エイブは法律事務所で同僚のウィリアムに、奴隷解放を訴えて議員としてホイッグ党から国政に出たいという意思を表明する。ボスのジョンも「君がそういうのを待っていた」とこれを歓迎する。事務所にやってきたメアリーの姿を見て、ウィリアムが気を利かせてジョンとエルマーを連れ出して、エイブとメアリーを二人きりにする。ウィリアム役の鳳はこういう「気のいい同僚」の役をやらせると本当に上手い。

 エイブは貧しい開拓農民の一家に生まれて、学校にも3年しか通っていないが、常に聖書を愛読していたこと、奴隷解放こそ未来のアメリカに必要なことだと語る。メアリーの父は南部に農場を持ち、多くの奴隷を使役していたが、メアリー自身は奴隷所有に疑問を持っていると語り、黒人のメイドを助けたエイブの態度を心から尊敬していると語る。二人がお互いの愛を確かめ合う場面で、その立場の違いがわかる。この見せ方も上手い。

 自分の出自を恥じることなく語り、未来への希望と夢を語るまっすぐな轟エイブ、自分の考えを持ち、エイブ正面から見つめる仙名メアリー。若い二人の瑞々しい恋の始まりだ。

 が、そこへメアリーの乳母コレッタ(鞠花ゆめ)が迎えに来る。彼女はスティーブン・ダグラスが屋敷に来る日であることを告げ、エイブに聞かせるように、彼がすでにメアリーにプロポーズしていること、返事をするために早く屋敷に戻るようにとメアリーを促す。

 屋敷に戻ったメアリーは、父(冴華りおな)からスティーブンが民主党から議員として国政に出ることを聞かされる。が、彼女ははっきりとプロポーズを断る。「あなたの心の中にいる人の名前を聞かせて欲しい」というスティーブンにエイブラハム・リンカーンの名を告げるメアリー。その名を聞いて、スティーブンの心に闘志が燃え上がる。

★挫折と再起、そしてホワイトハウスへ

 聖書は人間が人間を所有することを認めない。奴隷制度は誤りだと主張するホイッグ党のエイブと、奴隷制はアメリカの国力増強には必要であり、奴隷制を存続するかどうかはその州の住民が決めるべきだという政策を訴える民主党のスティーブンは、議会を舞台に戦っていた。折しもメキシコとの間に領土紛争が勃発する。戦争反対の立場を取るホイッグ党から出馬していたエイブは非国民とののしられ、国政を追われ失意のうちにスプリングフィールドに戻る。

 スティーブンら民主党が訴える「奴隷制度を認めるか否かは、その州の住民の投票で決める」というカンザス・ネブラスカ法が成立し、ホイッグ党からは次々と党員が離脱する。スプリングフィールドでの弁護の仕事も大幅に減っていた。そんな中、彼は黒人解放運動家フレデリックの著書「数奇なる奴隷の半生」を手にし、貪るように読みふける。

 エイブ一家は日々の生活費にも事欠くようになる。が、妻メアリーから、メアリーの父でさえも内心では奴隷制度がずっと続けられるとは思っていないのだと聞かされ、エイブは再び奴隷解放のため、政治家を目指そうと決意する。

 アメリカの未来を築くには、議員ではなく大統領に。エイブは新たな政党である共和党を設立し、その主張を訴えて、勢力的に活動を進めた。聖書の教えを根拠に奴隷制はアメリカにふさわしくないと訴える彼の主張は多くの人々の心を動かし始める。

 その一方、政治に身を捧げるエイブとメアリーの姿に、息子のボビー(聖乃あすか)は寂しさを隠せない。両親にそばにいて欲しいと訴える彼の面倒を見るのは、エイブの助手エルマーの役目だった。

 民主党の大統領候補はあのスティーブン・ダグラスだ。エイブとスティーブンによる公開討論が開かれる。カンザス・ネブラスカ法により国内のバランスをとると主張するスティーブンに対し、奴隷制度は自由の国アメリカの理想に反する、黒人もまたアメリカ国民であり、一国を二つの制度で分離すべきではないとするエイブの主張が勝り、彼はついに大統領の座を手に入れる。

と、ここまでが第一幕である。

★政治モノの舞台と現実と

 失意の夫とともにワシントンを去ろうとするメアリーに、スティーブンは「あなたは夫にする男を間違えた」という言葉を浴びせる。うーん、妻だったらこんなこと言われたらたまらないだろうなぁ。地元に帰り、生活も苦境に陥って、メアリーは実家に借金をしに行って追い返される。娘時代から気の強さとはっきりした意見のある女性として描かれているが、仙名はこの女性を凛とした強い心のある女性として演じていて、大変好ましい。

 乳母のコレットが、こっそり実家からの援助のお金を持ってエイブの家を訪ねてきて「昨日は使用人の手前追い返したけれど、本当は心から心配している」という両親のメッセージを伝える。コレット役の鞠花も、乳母らしい温かみがあっていい。そして、挫折した夫を励ますメアリーの言葉が再び夫エイブを奮い立たせるきっかけになるという展開も歌劇らしい。

 だが、共和党設立の場面で「Republican Party 共和党 !」と舞台上のタカラジェンヌたちが嬉しそうに歌っているのを見ると、ちょっと頭がいたい。何しろこの舞台が上演されているちょうど今、現実のアメリカでは大統領予備選挙、地方の党大会の真っ最中であり、共和党の大統領候補筆頭は例の不動産王トランプなのだから。

 大統領予備選の時期にこの舞台をぶつけてきたのは偶然ではあるまい。世間の話題がアメリカ大統領選挙に及べば、この演目も話題に上るだろう、その意図はわかる。が、現実の共和党の姿があまりにもリンカーンの掲げる理想とはかけ離れているのは何とも皮肉だ。

 スティーブンとエイブのディベート場面は迫真の演技で見ごたえがあった。轟エイブのスピーチには人を惹きつける力がある。ああ、だからこそ我が国でも元トップスターが国会議員になったりしているのかと妙なところで納得してしまった。

★南北戦争の勃発

 第二幕の冒頭はエイブの大統領就任パーティーから始まる。パーティーの席には、メキシコとの戦争で英雄となったリー大佐(英真なおき)や、黒人解放運動家フレデリックも駆けつけ、それぞれがエイブの奴隷解放政策への支持を表明する。が、そこへサムター要塞から、救援を求める知らせが届く。エイブはリー将軍に救援を急ぐよう命じる。

 パーティーの席には息子ボビー(ロバート)の姿がない。彼は部屋から出てこようとはしなかった。エイブとメアリーはボビーに親らしいことをしてこなかったことを悔やむのだった。

 サムター要塞では対岸のサウスカロライナ州民兵とのにらみ合いが続いていた。食料も底をつき、兵士の意気も上がらない。ロバート・アンダーソン少佐(矢吹世奈)は大統領に手紙を送ったと兵士たちを励ます。ようやく救援物資が届くが、同時に対岸からの激しい砲撃も始まった。

 奴隷制度に反対するリンカーンが大統領になったことで、経済を奴隷制に依拠していた南部6州が合衆国からの離脱とアメリカ連合国設立を宣言する。エイブはリー大佐に合衆国陸軍を率いることを要請するが、大佐は故郷バージニアが連合国側に加わったことを理由に固辞する。エイブの助手エルマーも志願兵を募り、合衆国軍に加わる道を選ぶ。

★ユニークな舞台装置、史実に基づく脚本

 第一幕では左右に分かれていた階段が、舞台の左右いっぱいに広がる大きな階段として登場し、第二幕はそこでの正装した紳士・淑女のダンスシーンから始まる。

 第一幕ではセットはほぼ一貫して、上手と下手に幅の広い階段が置かれ、二つの階段の中央に置かれた縦長の構造物の上がディベートの司会者の席になったり、下半分がエイブの執務室になったりしていたのだが、第二幕になると、実はこの中央の構造物の裏側が階段上になっていたことがわかる。第二幕ではこの3つの階段から成るセットが自在に形を変えて舞台を構成していくという凝った仕掛けになっているのが面白い。

 装置は誰だろうと思ってプログラムを見ると、最近宝塚のプログラムでよくお目にかかる松井るみ氏だった。

 華やかなパーティー会場で始まった第二幕の舞台が、サムター要塞からの救援要請を皮切りに「戦争モノ」としての色合いが濃くなっていく。奴隷制度に反対の立場を取っていたリー将軍が、リンカーンの合衆国陸軍総司令官への就任依頼を断っというのは史実である。

 リンカーンの助手だったエルマー・エルワースがニューヨークで志願兵を募って連隊を組織し、戦闘に赴いたのもまた史実だそうだ。「僕も未来のアメリカを築くあなたの夢に協力したい」と、エイブをまっすぐに見つめるエルマー。嫌な予感がする。

★エルマー、スティーブンの死を超えて

(この先ストーリーのネタバレがあります。ご注意ください。)

 ポトマック川の戦いに加わったエルマーは、南郡を退け、掲げられたアメリカ連合国(南部軍)の旗を引きずり下ろすが、その直後、銃弾に倒れる。彼の死はホワイトハウスにも暗い影を落とす。ボビー(亜蓮冬馬)はエルマーの死はエイブの責任だと父を責め、自分も北軍に志願するという。必死で止めるメアリー。だが、エイブは「私は父親である前に大統領だ」とボビーの入隊を止めようとはしなかった。

 リー将軍率いるアメリカ連合国軍と合衆国軍はゲティスバーグで衝突する。エイブの息子ボビーは、戦闘の激しさに驚き怯えながらもこの戦いに参戦していた。

 エイブは一刻も早く戦争を終結させるため、奴隷解放を議会で議決しようとする。が、議案を可決するには共和党の議員だけでは人数が足りない。そこへスティーブンが協力を申し出る。奴隷制維持には国を二分して戦うだけの価値はない。戦争終結のため、民主党員の何人かを説得するというのだ。彼の協力が功を奏し、議会は奴隷解放を決議する。そのニュースが伝わると、合衆国軍には続々と黒人の志願兵が集まっていった。

 ワシントンでは、メアリーがボビーの無事を祈っていた。フレデリックの妻アンナも戦いのために亡くなった人々を憂えて祈る。スティーブンはメアリーに、ゲティスバーグでの北軍の勝利とボビーの無事を告げ「あなたは素晴らしい男を夫にした」と彼女に語りかける。が、彼女を見送った彼は突然の発作に倒れ命を落とす。

 ゲティスバーグの戦場跡にエイブと人々が集まる。スピーチを促されたエイブは「国民の、国民による、国民のための政治」を行うと宣言する。戦場から戻ったボビーも「大統領閣下のために働く」と父に敬礼する。

 戦争は合衆国側の勝利に終わる。エイブはこれからもアメリカの未来のために働こうと決意を新たにするが、突然の凶弾に倒れる。終戦のわずか6日後のことだった。

★それぞれのキャストに見せ場あり

 主人公のリンカーンは軍人ではないから戦闘場面には出られない。それを補うかのように戦闘に加わったエルマーはあっけなく戦死する。エルマー役の水美舞斗は若者らしい勢いと華のある容貌が、この美味しい役にぴったりだった。撃たれた後、階段の途中で頭を下に、仰向けに倒れた姿勢でピタリと止まったのはお見事。

 エルマーの死後、畳み掛けるようにしてボビーが志願兵として入隊してゲティスバーグの戦いに加わる。ボビー役の亜蓮冬馬は2013年入団というから間もなく研4、父への反抗心をむき出しにするお坊ちゃん育ちの青年を体当たりで演じている。轟エイブに思い切りぶつかっていこうとする姿がボビーという役によく合っていた。

 舞台で戦闘場面を描くのは難しい。ゲティスバーグの戦いのシーンで一番感心したのは、実は兵士の数の多さだった。出演者は約30名程度のはずだが、戦闘場面で兵士に扮していた人数は20名ほど。終演後にプログラムで確認するとそのほとんどが他にも別の役で出演しているキャストで娘役さんもふくまれていた。階段を使ったセットをうまく利用し、立体的に舞台を使っているのも面白い。

 ボビーを案じる仙名メアリーの歌声は透明感が合って素晴らしい。歌の途中で桜咲アンナが加わって二重唱になるのだが、彼女もぐっと歌唱力がついたのではないか。

 瀬戸スティーブンも良かった。あきらがこれほど重要な役を得て、しかも最後にかっこいいセリフと、突然の死(心筋梗塞?)の場面まで用意されていたことに驚く。が、その抜擢に応える熱演だったことには拍手を贈りたい。

★美しく、そして見応えのある舞台

 二幕での轟の見せ場と言えるのはゲティスバーグ演説の場面のみだが、エルマーの死、スティーブンの死を乗り越えた後のこのスピーチと歌でしっかりと舞台を締めた。有名なGovernment of the people, by the people, for the peopleという言葉がこのまま歌詞となり、コーラスで歌われていたのにはちょっと驚いた。また、これが大変覚えやすいメロディーで、頭に残る。戦場から戻ったボビーとの和解ともいうべき場面では、思わず私も涙腺が緩んでしまった。

 ラストシーンは舞台の幅いっぱいの大階段の壇上に赤く長い布がいくつも横に広げられて、階段に赤白の縞模様を描き出す。下手の布がない部分は何だろうと思っていると、気がつけば目の前の舞台いっぱいに巨大な星条旗が広がっていて、印象的だった。

 「For the people」は宝塚らしからぬテーマの作品だが、しっかりと練られたストーリーとモダンで美しい舞台装置、そしてその中心に立つ轟リンカーンの確かな存在感、そんな轟に一人ひとりが挑むかのように真剣に取り組んでいた花組メンバーによって、実に見応えのある作品に仕上がっていた。

★さいごに

 ただ、それでも私は言いたい。なぜ、リンカーンの一生を宝塚歌劇で上演しなければならなかったのか、と。確かにそれらしい味付けは施されていたけれど、これは宝塚歌劇ではない。

 宝塚歌劇の本質は、主人公をカッコよく見せることにある。その点では「For the people」は成功している。だが、この作品には「愛」の絶対量が圧倒的に不足している。エイブとメアリーのロマンスめいた出会いこそあったけれど、第二幕は典型的な「戦争モノ」ドラマ。メアリーは銃後の母でしかなかった。

 実在のメアリーは奇行で知られる悪妻と言われており、リンカーンとの間は4人の子があったが無事成人したのはロバート(ボビー)ただ一人だったそうだ。二人の間にはこの作品には描かれなかった様々なドラマがあったのではないか。フレデリックとアン、農場から逃げ出して解放活動家となった黒人の夫婦の絆も本来なら描かれるべきものだったと思う。

 轟悠のあごひげを蓄えたリンカーンの姿がどれほど見事であろうとも、男女の愛の形とその変遷を丹念に描かなければ宝塚歌劇たりえない。私はそう思うのだけれど。

【作品データ】専科の轟優主演による花組公演、ミュージカル「For the people −リンカーン 自由を求めた男−」は作・演出原田諒。2016年2月13日〜 2月23日に梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ、3月4日〜 3月10日にKAAT神奈川芸術劇場で上演された。

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