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なぜ恋してしまうのか?展 (2025/1/18)




茨城県立歴史館でやっている、「なぜ恋してしまうのか?展」へ。歴史館でこんな都会っぽい展示やるんだ〜!という興味で向かうと、想像の数倍のお客さんが来ていた。時代を超えて恋愛をしてきている人間というものに思いを馳せた。過去の恋愛、現在の恋愛、そして100年後の恋愛…意外だったのは、明治時代に起こった文明開化によって、日本人の恋愛観が根本から揺るがされたこと。展示されていたキャプションを以下に引用する。


 文明開化を迎えた日本社会には、欧米社会から新しい恋愛観が流入した。かつて日本でいう「恋」には「浮ついた気持ち」くらいの意味合いしかなく、「愛」とは仏教用語で「強い執着」だった。しかし、欧米からもたらされた「love」の意味はそれらと本質的に異なっていたのである。
 2人の男女が、健やかなるときも病めるときも、死が2人を分かつ最後の日まで、恋に落ちた瞬間と同じ熱量で愛し合える関係を理想だと考える「ロマンティック・ラブ」の概念は、恋愛を「火遊び」や「気の迷い」程度にしか考えてこなかった多くの日本人には衝撃であった。
 (略)開国以前と、開国以降に欧米から輸入された恋のルールがせめぎ合ったのが、明治〜戦前にかけての恋愛・結婚観だった。

明治時代〜昭和時代(終戦まで)
なぜ恋してしまうのか?展 

過去の日本では、恋愛は結婚までの遊戯のようなものだったこと、だから現代よりも寧ろもっと垣根なく自由だったこと。そして恋愛感情とは別のところに結婚をする理由があり、その理由がお家を継いでいくことで安定した幸せが掴める、ということだったこと。そして、このようなこれまでの認識とは全く違うものが流入し、天皇陛下のテニスコートの恋愛結婚もその流れを後押しし、少しずつ恋愛結婚が主流になってきたこと。しかし現代はどうだろうか?結婚しなくても自分の幸せは掴むことができるのだ。こうしてまた、日本人の恋愛観は少しずつ変化していくのだと思う。というか、恋愛観は流動的なものなんだと、この展示を見て知ることができた。人類の長い歴史の中で、目の前の、自分が生きている今現在の時代のことにばかり頭がとらわれていた気がする。

そして100年後。未来の恋愛がどのように変化しているのか。それを題材に6人の著名人によるエッセイ展示されていた。その中で印象に残ったものを以下に引用する。


人工知能が引き起こした第4次世界大戦で減亡の淵に立たされた人類は、2124年、あらゆる半導体/ICチップの製造・利用を禁止する国際条約を締結した。高度に発達したAIとコミュニケーション・テクノロジーに依存してきた人びとは、どうやって他人と関係を築けばよいのか、どうすれば恋愛が可能になるのか、途方に暮れることになる。
22世紀初頭の人類は、どんな恋愛をするようになっていたのか。たとえば、ある人を好きになったとする。その人の公開プロファイルが検索され、視神経と接続された仮想ディスプレイにその詳細が表示される。希望すれば、AIが相手の性格や性的志向、希望条件などと照らし合わせて、マッチングが可能かを瞬時にスコア判定して表示してくれる。結果が良好なら、交際したい意向が相手に伝達され、あなたのプロファイルが相手の仮想ディスプレイに表示される。この個人プロファイルは、監査機関によって常時ファクトチェックを受けていて、詐称できない仕組みが構築されていた。
交際がはじまっても、自分の気持ちを言葉や贈り物などで伝える必要はなかった。装着デバイスで心理状態がモニタリングされ、交際相手と共有されていたからだ。自分が何を欲しているのか、相手がどういう感情をもっているのか、表情や仕草から想像したり、言葉で表現したりする必要もない。当然、誤解や思い込みの余地はきわめて小さくなる。相手の気持ちがわからず疑心暗鬼になることも、どうやって思いを伝えればよいのか逡巡することもなくなっていた。
だがこの自動化され、効率化された恋愛関係にも問題はあった。相手の気持ちが手にとるようにわかってしまうと、関係が長続きしなくなった。少しでも自分の意に沿わない感情が相手にあるとわかれば、すぐに関係解消のシグナルが相手に送される。他の相手を探すコストも、手間も最小限なので、別の恋愛候補はすぐに見つかる。自動翻訳機能が完璧に機能する時代だ。誰もが世界中の人を対象にAIが提案してくる高スコアの相手をそのつど試すようになった。

ところが、どんなにスコアの高い相手でも、交際後にはスコアが低下してしまう。
そこで、より高いスコアのマッチングがAlから提案されれば、多くの人は期待を込めて別の相手に切り替える。もっとよい恋愛相手が世界のどこかにいるに違いない。マッチングのプロセスに終わりが見いだせなくなった。むしろ、こうしてマッチングをくり返すこと自体が「恋愛」を意味するようになっていた。まだ二人のあいだに何もはじまっていないにもかかわらず・・・・。
さて、こうした技術や装置が使えなくなった2124年以降、恋愛はどう変化したのか?すべての高度なテクノロジーを手放した人類は、もう一度、恋愛とは何だったのか、他者とともに生きるとはどういうことなのか、考えなおすことを迫られた。
戦火を生き延びた歴史家たちは、焼失を免れたアーカイブ資料から、この日本列島で人びとがどう恋愛をしてきたのか、その歴史を復元しようと試みた。そこから見えてきたのは、手間がかかる手続きや面倒なことそのものが恋愛の本質なのではないか、という事実だ。相手探しを可能な限り効率化し、最少のコストで暖時に条件の合う相手とマッチングする。わきあがる感情や思いをすべて可視化して共有する。はたしてそれが恋愛と言えるのか、と。
どうやって自分の思いを伝えるべきか思い悩む。相手の気持ちがわからずに問々とする。恋愛をすることで生じる家族や周囲との人間関係の軋轢に葛藤する。そんな一筋縄ではいかない操作不可能な他者という存在に、苦しんだり、喜びを感じたりする。その感情の機微や苦悩が恋愛には欠かせない。テクノロジーで人間関係の構築と維持が効率化され、自動化されることが、いつの間にか恋愛そのものを失わせていた。2124年/2024年、恋愛の歴史を振り返るなかで、人類はそのことにあらためて気づかされたのだった。

テクノロジーを頼れなくなった世界で、恋はどうなるのか?
/松村圭一郎
なぜ恋してしまうのか?展

読みながらぼろぼろ泣いた。まさに今の私が探している答えがここにあった。相手の気持ちが分からず、自分の気持ちが伝わらず、悶々とする。二人で話し合うたびに、少なからず辛い気持ちになる。しかしこういう風に悩むことこそが恋愛なのだと力強く肩を叩かれた気分になった。そういうことにひとつひとつ丁寧に向き合っていこう。逃げないで向き合っていこう。そしてそれを真剣に一緒にやってくれる人こそが、私にとっての恋人だと確信した。


普段あまり考えなかった恋愛のこと。恋愛の歴史についても、多少の知識はありつつも体系的に捉えて考えてみようと思ったことはなかった気がする。恋愛の歴史について振り返ってみることで、自分の恋愛を見つめ直すことができた。相手と自分を丸ごと大事にしていこう。ずっとずっと、恋愛していたい。
恋人がいる人はぜひ恋人と、行ってほしいな。




※この展示は一部を除いてsns掲載可となっています。

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