あのラストシーンはただのハッピーエンドじゃない
人は孤独だ、なんて知りたくなかった。できるならそんな真実は知らぬまま、黒岩くんが言ったように「全部、夕陽と一緒に溶けてなくなって」しまいたかった。
中学聖日記は「禁断のラブストーリー」じゃなく「自分らしく生き直す」ためのヒューマンドラマだ、と先週書いた。
けれど「自分らしく生きる」ことが「孤独の上に成り立つ」ということまで想定できていなかった。
いや、そんな事あって欲しくない、という期待を捨てたくなかった。
それでも最終回、そんな期待は見事に打ち砕かれる。
ようやく「いい子」をやめた聖ちゃんは何もかもを手放し、ひとり海外へと飛び立つ。
黒岩くんはその想いを汲み、「もう連絡しない。聖ちゃん、頑張れ」と笑って叫んだ。
塩谷先生(前校の校長)は言う。
「間違っているのは末永先生(聖ちゃん)」
中学聖日記が「自分らしく生き直すためのヒューマンドラマ」ならば、自分の気持ちに嘘をつかなかった聖ちゃんは、何を「間違えた」のか?
「あなたが15歳だから」
「僕が15歳じゃなければ」
三年前、聖ちゃんと黒岩くんが引き離された時のこの言葉。二人はあれからずっと、心の奥にこの火種を燃やして生きてきた。
けれど、あのとき二人が引き離されたのは黒岩くんが15歳だったから、じゃない。
聖ちゃんが教師だったからでも、自分の気持ちに蓋をして生きる「いい子」だったから、でもない。
その証拠に、黒岩くんが18歳になっても、聖ちゃんが教師を辞め、いい子をやめ、嘘のない気持ちに真っ直ぐに向き合っても、周囲は二人を許さない。
二人は気付いていなかったのだ。
「聖ちゃんがいれば、他に何もいらない」
「教師をやめても、黒岩くんの隣にいたい」
二人の「それ」は、頑張る糧なんかじゃない。
夢を、未来を、可能性を、お互いのために捨て、そして捨てさせるということに。
黒岩くんのお母さんが言う「あなたたち二人は危うい」という言葉の本当の意味は、「気持ちはいつか変わる」なんて陳腐なことじゃない。
「自分らしく在ろうとする二人が、相手のために自分らしさを失う危うさ」のことだったのだ。
「正解なんかない。分かるわけもない。だから自分自身の正解を探すの。一人で立って進む先に、答えがあるって信じてる」
自分らしく生きること。
それは同時に、孤独であることを引き受けるということなんだ、と思う。
「迎えに行くから待ってて」と泣いていた15歳の黒岩くんは、18歳になり「聖ちゃんがずっと笑っていられますように」と笑った。
自分を幸せにできる存在など自分しかいない。ならば本当に人を好きになるということは、どうすることもできない自分と相手の孤独を引き受け、幸せを願うということなんだろう。
自分の足で立ち、違う場所から夕日を眺め、ずっと笑っていられるよう、祈り続けることなんだろう。
あるがままの自分を愛してくれる黒岩くんの存在があったからこそ、聖ちゃんはあるがままの自分を肯定し、自分らしく生きていく自信と信念を持てた。
そしてそんな聖ちゃんもまた、「好きとかよく分からない」「将来とか別に何でもいい」黒岩くんに、「誰のために、何ができるか」を考えさせ、「自分らしく生きること」を教えたのだ。
だから5年後のラストシーンはいらなかった、と言われるのかもしれない。あれだけの決意でさよならしたのに結局意味がない、と言われるのかもしれない。
それでも私は、夕陽をおさめるシャッター音が2つに重なったあの瞬間、唐突に溢れた涙を止めることができなかった。
だってあのラストシーンがなければ、「人は孤独だ」で終わってしまう。(と私は思う)
確かに人は孤独だ。自分らしさは孤独の上に成り立つ。ただ側にいるだけが優しさじゃないし、自分の欲望を満たすことよりも、相手の幸せを願って身を引くことが世間の言う「本当の愛」なのかもしれない。
それでも。
それでも私が幸せにしたい、一緒に幸せになりたい。その想いが互いに同じならば、あらゆる色を、音を、ゆらぎを、同じ夕日を隣で一緒に分かち合いたい。
だってその方が、世界は何倍も美しい。
その為に何ができるのか、考え、立ち上がり、日々を積み、決して替えのきかないその幸せを、全力で掴み取ること。
それこそが、かけがえのない「純愛」なんじゃないか。
ボロボロに打ち砕かれてもまだなお、そんな風に期待することをやめられない私を、台詞のない1分間のラストシーンは全力で肯定してくれた。
全てを引き受け、自分の足で立ち、その上で誰かを幸せにしたいと願うならば、一緒に幸せになるのだと決めたならば、きっとまだ、期待することをやめなくていい。
「誰かを好きになることは、素晴らしいことなんだって。」
かつて夕陽に溶けてなくなりたかった二人は、夕陽を背にしっかりと立ち、見たこともないほど幸せそうに笑っていた。
あのラストシーンはただのハッピーエンドじゃない。自分らしく生きるために孤独を引き受けようとする人へのこの上ないエールであり、泣けてしまうほどに、優しい希望だった。
自分の欲望だけに目を向けているうちは、「大切なもの」も「自分だけの正解」も、いつまでも見えてこないのだ、と思う。
私は誰のために、何ができるかなあ。
しばらくは夕陽を見るたびに、そんなことを考えそうです。