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海が怖いけど、海が好き。

海は、アウェーだ。

ここは自分の場所じゃない、そう感じる場所を「アウェー」と言う。もとはサッカーの用語で、対戦する相手チームの地元で試合することをこう呼ぶ。

これを言うとけっこう笑われるのだけれど、海は魚類のホームであって、水中で息もできず自由に動けない人間にとってはアウェーな場所なんだ。
わたしたち人間のホームは陸地だ。

だから、わたしは海が怖い。
せいぜい、波打ち際でばちゃばちゃ水とたわむれるのが限度。足のつかない深いところまで行ったら、もうそこは魚たちの陣地だから。
海で泳いでいて巨大な魚(たぶん体長50cmくらいからそう感じる)に出会ってしまったらと想像するだけで、怖くなってしまう。

イルカと一緒に泳ぐとか、ダイビングで深ーいところに潜っていくとか、わたしにとっては恐怖でしかない。
海の底が見える浅瀬でシュノーケリングをするくらいがちょうどいい。

なんでだろう。
わたしの想像がたくましすぎるのかもしれないし、海のない県で育ったから海に慣れていないだけかもしれない。
(そういえば両親は北海道出身で泳げないから、家族で海に行ったのは片手で数えるくらいだ。幼い頃のレジャーは、もっぱら雪山だった。)

それでも、わたしは海が好きだ。

厳密にいうと、「海が見える場所が好き」なんだと思う。

車窓にキラキラした海が見えるだけでテンションが上がるし、海辺でやることはどんな些細なことでも特別感が出るように思う。
散歩とか、コーヒーを飲むとか、ぼーっとするとか。

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夏休みに入って少したったころ、家族でお昼ご飯を食べながら「なにか夏らしいことをしたい。」という話になった。

夫に「夏といえば?」と聞いたところ、悩みながらも「スイカ割り。」と答えが返ってきた。
スイカなら、本当にたまたまだけど、冷蔵庫にある。

「スイカあるよ。海に行ってスイカ割りやろうか?」と提案すると、ちょっと戸惑いながらも「やろう!」と家族が団結した。

そう。
生まれも育ちも海なし県だけれど、今は夫の転勤で、海のある街に住んでいるのだ。
海まで車で30分くらいの街。思い立ったらすぐに海にいけるところに住んでみたいな、という幼いころの願いが叶ったみたい。

割るのにちょうどよい棒なんかないよねって言いながらネットを検索し、家にあった突っ張り棒を新聞紙で補強したものを作った。
小ぶりなスイカひとつと、手作り感あふれる棒。
すごく地味な生活の一コマだけど、「海に行ってスイカ割りをする」となった瞬間、ものすごく特別なイベントになるから不思議だ。

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わたしも夫も娘も、みんなはしゃいで海に行った。
砂浜で裸足になり、波を感じながらわーわー駆け回る。ひとしきり波で遊んだあと、砂浜のはじっこで、いざスイカ割り。

いびつに割れたスイカも、細かく砕こうとして砂に落ちたかけらも、ベタベタの手も、食べ終わったころに雨が降ってきたことさえも、楽しい。

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海を見ながら過ごす時間は、いつだってキラキラしている。
波に反射する光のように。

海の中には未知の世界が、アウェーな世界が広がっている。
海はどこまでも続いていて、まだ行ったことのない陸地につながっている。
ホームである陸地にいながら海に触れることのできる「海の見える場所」は、安心できるけれど冒険心も満たされる。

その絶妙なバランスが、「特別感」を演出しているのかもしれないな、と思う。海の中にもぐったり、海原に出て行くのは完全なる冒険だ。
海の見える場所は、ホームにいながらアウェーを感じられる場所。だからこそ、日常の些細なできごとが輝きを放つのかもしれない。

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れみふく | 書く元転妻
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