晴海埠頭
秋も深まった頃、環境の大きな変化が少しずつ眼の前に迫り、そのストレスからか保ちきれなくて手放したり、手放しかけた人間関係がいくつかあった。
その中には5年間自分なりに必死で抱えてきた恋愛もあった。
休日はどうしても自分も向き合うが、心は重たかった。そんな気持ちのまま、高校の頃から見てみたかった晴海埠頭公園に出かけることにした。住んでいる家からほど近く、ここに住んでいるうちに見に行こうと思った。ネットでは閉鎖中とのことだったがとりあえず見に行った。バスで揺られて晴海埠頭に着いたが、そこには何もなかった。東京オリンピックの選手村設営のために取り壊されたんだとか。
なぜか7年前に強く憧れていた場所はなくなり、こんなに悩んでいてわざわざ足を運んでも公園すら見られないなんて理不尽だと思った。その頃の私は(今もだが)先の見えない不安で押しつぶされそうであり、埠頭ぐらい普通に見られてもいいじゃないかと思ったものである。
埠頭を諦めて、豊洲のららぽーとに行くことにした。年末には高校の同窓会がある。大して思い入れがあるわけでもないが、ここで参加しておかなかったら二度と合わない同級生ばかりと思うと参加したほうがいいだろうと思って出席を決めた。普段スウェットなどの楽な服装ばかりしている私は同窓会に着ていける服がないため、ららぽーとで何か入れられればと考えたのだ。
とはいえ晴海埠頭からららぽーとまでは少し距離がある。海沿いを歩いて移動する途中、突然暴力的なまでの空腹感に襲われた。手が震え、全身から冷や汗が出ているようでこれ以上歩くこともできないほどだった。海沿いの道を離れてタワマンの立ち並ぶ街に移動し、コンビニでかまぼこスティックやうまい棒を購入し、貪るように食べた。食べながらまた海沿いの道に移動し、ベンチで食べた。それでも震えは収まらない。ひとりでファミレスに行く事にした。晴海のサイゼリヤに入り、イカスミパスタとティラミスを食べた。一人でサイゼリヤに入るのは初めての経験だった。だがこれはとても特別で最高の経験となった。ひとりで2人席に座り、何でも頼んでいいという高揚感、YouTubeを見ながら好きなペースで食べられる安心感を感じ、ときどき周りの家族の話や雑音に耳を傾けると、自分が透明になったかのようだった。心が満たされ、低血糖症も収まりららぽーとに向かった。ららぽーとでは特に買いたいものは見つからず、欲しい服も見つからなかった。ららぽーとに来るといつもそうなのだ。ほしいけどいらないものばかりで、大体の場合において、私はそういうものは買わない人間なのだ。
晴海埠頭もなくなっていたし、同窓会に着ていく服も見つからなかった。
それでもその日から4ヶ月ほどたった今日、当時恐れた環境の変化は更に目前に迫った。今は鹿児島の祖母宅に滞在中だが、ふとその日を思い出して、細かく記録している。
ひとりでふらふらと行動をしたり、何も得られなかったり、そんな日があってもよい
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