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腑に落ちるってこと。

今朝聞いていたオーディブルで、吉本隆明さんがとある詩を例にあげて、詩は知識の披露じゃなくてそうそうと腑に落ちるものがある、というような話を聞いて(わりとはしょってしまっててすんません)、とても良かった。

6年前に、子どもが生まれた時に「自分の言葉を持つ子になって欲しい」という想いをこめて名前をつけて、そのときは「これだ!」と6年の月日を一緒に過ごしてきたんだけど、自分の言葉を持つことって「腑に落ちている言葉を持つこと」なんじゃないかなぁって思った。

経験とか知識とか、持っている肩書を振りかざして出てくる言葉じゃなくて、自分の尺度でぽろぽろでてくる言葉を持つ母でいたいな。
6年前に自分が投げた球を、今日また受け取って新しい球を投げたような気持ちになった朝でした。

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