元木大輔さんとの対話イベント「設計事務所のサーキュラー・エコノミー」に向けて(3/14 19時オンライン開催)
直前なのですが、3/14の19時から、元木大輔さんと、オンラインベントでトークをさせて頂くことになりました。
https://dskmtg.com/work/hackability_of_the_stool_kyoto.html
元木さんの京都市京セラ美術館での展覧会「Hackability of the Stool」(3/15-20の期間開催)に合わせて企画されたものです。京都の方は是非、展覧会も見に行ってください!
定番的なスツールをハックして機能を付け足すアイデアをフラットに展示するものです。アイデアの多彩さと切れ味は元木さんの真骨頂ですね。
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さて、今日は、そのオンラインイベントを前に控え、少し当日にどんなお話が出来るのかを整理したく、PCに向かいました。ぼくは文章に書いていくことで、色々とぼんやりしていたものが整理されるのですね。(ということで乱文申し訳ございません)
頂いた、テーマは「設計事務所のサーキュラー・エコノミー」。サーキュラー・エコノミーとはなんぞやと、まずは改めて調べてみました。
ネットで調べると以下のような解説が、
「サーキュラーエコノミー(Circular Economy)とは、日本語訳で「循環型経済」。 これまで経済活動のなかで廃棄されていた製品や原材料などを「資源」と考え、リサイクル・再利用などで活用し、資源を循環させる、新しい経済システムです。」
https://www.kokuyo-furniture.co.jp/solution/mana-biz/2021/12/post-625.php
なるほど。そして、元木さんからは、以前、インスタのメッセージでやり取りした内容が、このテーマの下地にあると説明を貰いました。
その内容を簡単に、説明すると、元木さんのデザインにおける参照への考え方、を単刀直入に聞きまくるというものでした。笑
たまたま、僕も元木さんも時間があり、そのやり取りが盛り上がった記憶があります(確か、元木さんが電車移動中だったような)。
元木さんの中で、建築やデザインにおける「参照」という行為が「サーキュラーエコノミー」という概念に繋がり、建築家が、この行為を今後意識的にパブリッシュしていくことの可能性にも元木さんが感じたのではないかと、(勝手に)推測しています。
例えば、建築的アイデアを、無限に生み出す思考システムを構築できるのか?とか。
当日、どんなお話に話が展開するのかは、僕も楽しみなのですが、まずは、色々と夢想してみたことを書き綴ってみようと思います。
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そして、まず何故この話が盛り上がったのかというと、元木さんと僕が、参照するということに関して、お互い興味関心が高かったからだと思います。
一番最初に書いたインスタでのやり取りも、元木さんから、ポンポンと、自身がインスピレーションを受けた作品が出てきて、それを見ると、なるほどめちゃくちゃ面白い。建築家の頭の中をのぞかせてもらう感覚がありました。
そして、重要なのは、参照という概念が、模倣とは違うということだと思います。ここは、僕も当日元木さんに色々と聞いてみたいと思うのですが、どうすれば、自身が見たものを模倣ではなく、参照とすることができるのか?また、その線引きはどこにあるのか?など、聞きたいことが多々あります。
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ぼく自身の考え方の形成を振り返ると、学部時代に所属していたエルウィン・ビライ先生のゼミでの影響がめちゃくちゃ大きかったと振り返ります。
ビライ先生は皆さんご存知の通り、a+uのズントー特集や、ヘルツォーグ特集を手掛け、日本でのスイス建築のムーブメントやミニマリズムのムーブメントを起こした人物ですね。
今でも覚えているビライ先生の言葉で印象的なものの一つに、「天才の作ったものを見ると、天才になれるんですよ!」というものがあります。これは僕の中でもすごく印象深くて、僕自身の「見る」という行為や価値観に決定的な影響を与えているような気がしています。
つまり、つくる事は、見ることから始まるんだと、教えてもらったのだと思っています。そして、良いものを見ることで、自身の作るレベルを引き上げてくれる、ということを伝えたかったんだと思います。
ぼくは、ビライ研に入る前は、才能とかセンスみたいなものをめちゃくちゃ信じていたような気がします。素晴らしい建築は才能があるからできるのだ。みたいな。
でも、ビライ先生が伝えたかったのは、見る事、つまり参照することによって、自身がその作品から構造や仕組みやエッセンスを引き出すことが出来れば、それにより自身の作品をアップデートでき、僕らが天才と思っている建築家たちに近づくことができるんだ、という思考法なのではと思っています。
今僕は、建築作品のみならず、世界中の物事をそのような目で見ていて、参照している感覚があり、それが日々の活動を押し上げてくれている気もしているんですよね。
話が大きくなってしまいました。
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でも、ビライ先生のことを書きながら、色々な事を思い出していたのですが、ビライ先生も当時、40歳前後で、懇意にしていた建築家達との対話の中でそのような価値観を育んだのではないかと思います。
ビライ先生は、当時、ヘルツォーグ&ド・ムーロンと頻繁に連絡を取り合っていて、行動も共にしていました。ぼくは、ゼミ生としてそのエピソードを幾度となく、聞いていたのです。
僕らが天才建築家だと思っていた、ヘルツォーグも、ビライ先生と行動を共にする中で、体験した空間を写真に撮ったりインスピレーションを受けて、その後の作品に昇華していった話を、何度もしてくれました。
そういう中で、建築をつくるということが、何か再現可能なものというか、方法論の確立によって、より良いものをつくる事が出来るものとして、僕も考えられるようになったのだと思います。
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ビライ先生の教育スタイルは、建築家の教授陣のそれとは違っていたと回顧します。生徒がこういう建築をつくりたいと、アイデアを持っていくと、膨大な蔵書の中から、こういう建築あるよ~と参考になりそうな作品集を集めて貸してくれるというスタイル。そして短い言葉で、それらの建築のエッセンスを説明して去っていく。笑
編集者だからこその教育スタイルだと思いますし、見ることが創作にはまず必要だと教えたかったのだと思います。
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また、当時のビライ先生が推していたスイスの建築家たちも、参照という行為を当然のように行っていました。
ぼくは、その中でもピーターメルクリのスタンスに惹かれ、色々と調べていたのですが、彼の建築概念やプランニングも、ゼロから生み出されたものではなく、古典建築のシステムや作り方を参照してできています。
その参照という行為によって、彼の建築は、西洋建築の歴史に接続し評価を得るようになったとも見ることができます。
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ここまで、僕が参照という概念に触れるようになった、学生時代を回顧したのですが、現代社会を見ると、参照という概念の難しさも感じる事例をよく見ます。
これはちょっと本題とはずれるのですが、元木さんに聞いてみたい話題だと思っていました。
例えば、バレンシアガが、イケアのブルーバックを模したようなレザーバッグを発売したこと。これは、世界中で賛否を巻き起こしましたよね。
ファッション分野では、自然発生的に生まれたトレンドを取り込むこんだり、ワークウエアのディテールや民族的なディテールを取り入れることで発展してきた歴史がありますが、今は、文化の盗用という概念もあり、デザインを参照したと思っても、その歴史まで背負ってしまうという問題もある。
これは、参照という視点でどうなのかとか。
ネットによって、誰もが発信できる時代になった結果、似ている、模倣性を誰もが検証しやすくなった。それにより、参照という概念はどう扱われるべきかとか。
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あと、建築と他分野との参照の考え方の違いも、元木さんと語りたいトピックです。ぼくが建築メディアを運営する中で、また実際にバッグを製造販売する中で、色々な価値観と出会いました。
簡単に言うと、建築における参照という考え方が、他分野に行った時に模倣と判断されることがあるということです。建築という一回性のものと、量産品分野ではとらえられ方が違うんですね。
意匠登録などの知財は、そういう量産品を対象とするために運用されてきました。
建築とプロダクト両者を手掛ける元木さんにとって、どんな実感があるのか?
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長くなってしまい、また、話が色々な方向に飛んでしまいましたが、僕は、創造という分野において参照するということが重要だと思い続けてきて、現代の、建築でもその設計プロセスを開示していく流れが出来ている状況で、参照という概念や手法を、どのように取り扱って、世に出していくかという思考に、非常に興味があります。
そんな色々を、当日元木さんとお話しできることが、楽しみでなりません。
今のところ、視聴方法が出ていないのですが、是非チェックしてみてください!!
元木さんのtwitterアカを張っておきます!
https://twitter.com/daisuke_motogi
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