閑話休題ー夜中に携帯電話を鳴らされる恐怖

しばらく間が空いてしまった。連休明けから仕事環境が激変してしまい、多忙な中で過去を振り返る余裕もなかった。

14年前も似たような状況だったようで、当時書いていたmixiの日記を見ていると、「自分の中での風化」を嘆き、一生懸命に抗おうとしている様子がわかる。

テーマライターは、ニュースとの戦いを強いられるのが宿命だ。脱線事故の刑事処分や原因究明、そして遺族や負傷者の苦しみは依然として現在進行形で進んでいるとはいえ、徐々に脱線事故の記事は減り、記者の数に限りもあるのでその他の仕事も増えてくる。

その中でどうやって、自分の時間を作るか。作れないなら、どうやって自分の仕事をテーマに寄せていくか。

そういう意味で私に取って福知山線脱線事故は、誰かに背中を押されて突き動かされるように追ってきたテーマだった。だから、3月、4月のシーズンが巡ってきて、メディアの関連報道が増えてくると、自分もその見えない声に突き動かされて考え始めるのだけど、4月25日が終わると、特に今の時期はそうした話が最も少ないので、頭を脱線事故モードに切り替えるのは非常に苦しい。

ただ、少しでもそういう時間を作っていかないと、あっという間に来年4月がきてしまう。ぼちぼち書かないことに自責の念を持ちながらやっていこうと思う。

さて私は、深夜に携帯電話が鳴るのが恐ろしく苦手だ。仕事柄、時間を問わずかかってくることも多いが、中堅・ベテラン層と言われる年齢になったので、奴隷状態だった若い頃のようにはのべつまくなしにかかってくることはなくなったし、メールやメッセンジャーアプリなどの発達で、連絡手段が電話一辺倒でもなくなったことも影響しているだろう。

だから先日、後輩から夜中に仕事の相談の電話がかかってきたときは悲鳴をあげてしまった。所属している媒体の前編集長から夜中の4時に原稿の催促がメッセンジャーで来た時は、頭にきてそのまま朝まで眠れず、それ以来、その人には一切の返答をしないことにしてしまった(しかも新聞記者出身でこんな真似をするという神経に理解がいかない)。

理由は、とにかく怖いのだ。トラウマなのだ。

社会部時代には月2〜3回の泊まり勤務があった。発生警戒もさることながら、重要な仕事は午前3時の交換紙チェック。大阪はなぜか今に至るまで、各新聞社の印刷所を出たトラックが、刷り上がったばかりの最終版の束を交換する慣習があり、それを各社に持ち帰って、スクープはないかチェックし、抜かれていたら追いかけるよう担当記者に電話をかけるのが、泊まり勤務の仕事だった。

なんでそんな時間に叩き起こすかと言えば、翌日の夕刊に間に合わせるため。夕刊のメニューは突発の発生以外は午前9時の打ち合わせでほぼ固まるので、それまでに真偽を見極め、少なくとも出す、出さないぐらいは決めておかないといけない。

夜中の3時に電話とFAXが鳴るのは、記者にとっては本当に恐怖でしかなかった。特に私は、1面スクープも「1面特オチ」(1面級の記事を自社だけ載せていない)も福知山線脱線事故の関係でやったことがある。午前3時に同僚からの連絡で1面特オチを知った時の心境は、本当に惨めだ。朝一番で取材をかける常識的な時間まで待つとはいえ、神経が高ぶって眠れない。

「そんなに嫌ならマナーモードにすればいいじゃないか」と思うかもしれない。だが、神経が過敏になっているので、バイブの振動音でも目が覚めてしまう。そんな連絡が減った今も、電源を切ることもできない。何か緊急の連絡を取り逃がしたらどうしよう。明日、電源を入れ忘れたらどうしよう…

漫画「ナニワ金融道」で、電話営業を怖がる同僚に、主人公が「受話器が人を殴りますか」と言って励ます場面があるが、私にとっては電話が鳴るというのは、精神的に殴られるに等しい。

ああ、書いているうちに吐き気がしてきた。もう寝よう。

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