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自由と狂気~2025.2.15『雪妃真矢10周年記念自主興行』観戦記~


はじめに

「雪妃真矢って、結構ブッ飛んでる人なんだな」

満員の後楽園ホールで行われた興行を見て、私はそんなことを思った。


コロナ禍前に上野公園野外音楽堂ステージで行われたアイスリボンの大会でも、観客席に向かって笑顔で放水したり、相手が投げた水風船をバットでジャストミートしてきたり、彼女の狂気の一端は垣間見えた。


でも、自主興行のような規模感でも、自らの狂気を展開してしまう人だったなんて、正直思ってもみなかった。


でも、それ以上に私は思った。

「本当に素晴らしい興行だったな、今日は」


自主興行の個性が最大限に爆発した『雪妃デビュー10周年興行』

「人が創り出すものには、必ず人それぞれの癖が出る」

これは私の一方的かつ偏見に満ちた持論になるのだけれども、ポテトサラダ、プロレス、弾き語り、文章etc、人が創ったものには人それぞれの個性や癖を私は感じずにいられない。

その癖は、歳を重ねれば中々直りにくい面もあるけれど、発想や視点を変えれば自らの個性にも繋がり、強みにも変えられる。


では、プロレスラーが主催する自主興行における個性や癖とは、一体どんなものになるのか?

それは、主催である選手が組んだカードや呼んだ選手、そこに関わる歴史や経緯になっていくのかもしれないと私は考えている。

それらの要素が繋がり、絡み合い、化学反応を起こすことで、自主興行の個性や癖は形作られていくと思うのだ。


自主興行の個性には、「主催が実現させたかったカード」であったり、「主催の夢を叶えるカード」だったり、「この自主興行でしか見れない組み合わせ」だったり、「各団体の垣根を超えて人を集めた」ことだったりも大いに関係してくると思う。


しかし、今回の雪妃真矢デビュー10周年興行は、それらの要因では単純に語りきれないくらい素晴らしい化学反応が生まれた大会だった。


今回の興行について書くにあたり、突出していたポイントが2つあると私は感じた。


1つ目は、【狂気すら感じさせる興行の自由度】。

2つ目は、【一つの作品としての高い完成度】だ。


①狂気すら感じられた【自由度の高さ】

今回の自主興行で突出していたのが、興行における自由度の高さである。

数多くの団体から協力を仰ぎ著名な選手を多数招聘する豪華な大会だったが、その豪華さでは生み出せない、既存の常識に囚われない自由な雰囲気がカードにも現れていた。


まず、私が目を見張ったのは男女混合によるミックスドマッチの比率である。

全8試合中、(バトルロイヤル含む)実に4試合がミックスドマッチで、そのうち更に2試合は【男子レスラーvs女子レスラー】と、男女を完全に分ける形でカードが組まれた。

約半分がミックスドマッチというカード構成は、女子プロレスラー主催の興行はおろか、男子団体でも中々見られない。


象徴的だったのは、第5試合の『松本浩代vs石川修司』だ。
過去に別のプロモーションがタッグマッチを実現させている組み合わせだったけれど、シングルでやってのけたのは自主興行ならではだったと思う。


誤解を恐れずに言ってしまうと、ミックスドマッチに対する観客の反応には、少なからず否定的なものが見られる。
(特に女子団体だと顕著な印象)

それでも、このシングルマッチを組んできた所に、ミックスドマッチという形式に偏見なく、「単純にこのカードが見たい」という主催の強い意気を感じずにはいられなかった。


また、バトルロイヤルでも、雪妃興行ならではの自由な空間が形成されていた。


主催選手の歴代コスチュームを身に纏い、選手達が登場するバトルロイヤル形式の試合は、自主興行やプロデュース興行では最早お馴染みの光景となりつつある。

ただ、今回の興行では、コスチュームの着用の仕方が各人に任されていたり、バトルロイヤルが終わらないまま第4試合終了後や休憩時間中にも試合が継続していた。

着こなしが過去に類を見なかった佐藤光留…
誕生日を祝われながら退場していく石黒敦士レフェリー
シャイニングウィザードの躍動感がハンパない弥武芳郎リングアナウンサー


気がつけば、第4試合を終えた選手の一部もバトルロイヤルに参加していたし、安納サオリは計3回登場したバトルロイヤル全てで雪妃のコスチュームを衣替えするなど、選手に与えられた自由の裁量はあまりにも大きかったのである。


休憩時間中でさえも観客を楽しませてくるスタイルに、私は最早狂気すら感じたほどだ(笑)。


あと、ファンが何気なく求めていたカードを、スッと組んできた所にも、本興行の自由度の高さを窺うことが出来た。
ある意味で選手視点だけではない、ファンの視点も雪妃は大事にしていたんだろうな、と。

今現在、選手の立ち位置や所属団体のカラーを考えると、中々実現しにくい所にも手を伸ばしてきた。
その点で、セミファイナルで組まれた『彰人vsディック東郷』は実に秀逸だった。


このカードが組まれたのは大会前半~中盤ではなく、休憩明けで比較的尺にも余裕を持たせられそうなセミファイナルだった為、約15分間にわたる匠同士の攻防を観客は堪能できた。


当然ながら、この一戦を実現させた時点で十分スゴいのだけれども、豪華メンバーが集う興行で、いぶし銀の試合を主催の雪妃が出場するメイン前に持ってくることもスゴいと私は思った。

この辺りの配置にも、主催の狂気に近い拘りが見えた気がする。
This is 自主興行!


②丁寧に紡がれた、【一つの作品としての完成度の高さ】

今回の雪妃興行は、【一つの作品としての完成度の高さ】においても特筆すべきものがあったと私は感じている。


興行主にとって歴史や繋がりの深い選手達を集めて行われた自主興行は、これまでにも数多くあった。

でも、それらの歴史が短編小説集ないし映画のような一つの作品として出来上がり、見た人が思わず語りたくなってしまうようなテーマ性に溢れる自主興行って、実はあまり無かったように私自身感じている。

そういう領域に達した興行が生み出された点でも、私は今回の雪妃興行を忘れることが出来ないのだ。


個人的には、2024年に行われたバンビによるデビュー20周年自主興行を見た時と同じような感動があった。

確固たるコンセプトとテーマが設定され、それらが短編小説のように連なっていく。
雪妃真矢というプロレスラーが歩んできた道程の全てを知らない人にも、それらがしっかり伝わってくる。これはまさしくドラマではないか。


そのドラマ性を感じることが出来たのは、メインイベントで行われた『志田光&中澤マイケルvs雪妃真矢&飯伏幸太』のタッグマッチである。


14年前に観に行ったDDTで、一番最初に好きになった選手が中澤マイケルだったこと。

マイケルは真性の変態でした…


そこから、中澤マイケル、飯伏幸太、ケニー・オメガの『ゴールデンラヴァーズ』が好きになったこと。


初めて観に行った女子プロレスの大会(アイスリボン)で、前説の際に志田光から「女の子が来てる!プロレスやらない?」と言われ、その後アイスリボンのプロレスサークルで志田から指導してもらったこと。


オフィシャルのリングサイドカメラマンを、元DDTの柿本大地に依頼したこと。


これらのエピソードは全てメイン後に雪妃がマイクで明かした話になるのだけれども、そんなエピソード抜きでも豪華カードだったメインイベントが、エピソードも含めて見ると2度美味しい仕組みへと必然的に仕上がっていた。


何より、自主興行で自身が出場したカードと組んだ経緯について、一つの線としてスラスラ語れるところまで、観客の前で思い入れを伝えることが出来る。
個人的に、本当に好きな気持ちが無いと、自分の好きなキッカケを高い解像度で語るのは難しいと思っていて、それをスラスラ言えるのは良い意味でのファン目線を今でも持っているからこそなのだろうと感じた次第だ。


何より、「ファンだった私が夢を叶えた!」という光景も、単なる雪妃自身の夢の結実だけではなく、迷っている人の背中を押してくれる力強さみたいなエールに満ち溢れていた。

だから、単純にめちゃくちゃカッコいい人だなって。
掛け値無しでそう思ったんだ。


③逆境を跳ね除ける人望と結束力

雪妃真矢デビュー10周年興行を形成した、【狂気すら感じさせる自由度】と【一つの作品としての完成度の高さ】。

しかし、その2つを書いていく中で、付随して言える第3の要素があったことに私は気付かされた。

それは、雪妃真矢という人の持つ、逆境を跳ね除ける力だ。


今回の自主興行開催を発表した後、雪妃は負傷により長期欠場を余儀なくされた。
当初は1日4試合出場を予定していたものの、全試合の出場白紙&雪妃プロデュース興行として開催という形に変更…。


ただ、最終的にはメインイベントのみ限定復帰する形で出場することになった。


今回、私が雪妃興行を観に行こうと決めたのは、実は彼女の負傷欠場が発表された後のことだった。
白状すると、行こうとは思っていたけど、チケットを買うアクションは当日ギリギリまで実行していなかったのだ…。

でも、ここ最近プロレス会場に足を運んでいる方なら見かけた方もいるかもしれないけれど、この欠場期間中、雪妃は他団体の後楽園ホール大会などで自ら入口付近に立ち、自主興行のチラシを観客に向けて配っていた。

そういう姿を見てたらね、「行くしかねえだろ」って。
人の気持ちを突き動かすのは、そういう何気ない姿なんじゃないかと私は考えている。


一時は主役が出られない可能性もあった興行でありながら、北側の雛壇席を潰して入場ゲートを設けたステージプランで1,000人超えの観客数を記録したことは、雪妃の人望と周囲の結束力なくして有り得なかったように思う。


長年プロレスを追っているベテランのライターからも「女子選手の引退興行以外で、後楽園ホールが満員になったのは何時以来か?」なんて言葉が出た。これが全てなんじゃないかな。


幾つか訪れた今大会の忘れられないシーンの中で、私が最後に書き残したいことがある。

私の座っていた席の隣はメインイベントまで空席が幾つかあったのだけれども、メインが終わる3~4分程前に、漸くその席の観客が会場に到着した。

短時間ではあったものの、この観客達は終盤に2回程訪れたカウント2.99の攻防を見て、「おおおお!!!!」と歓声を上げて楽しんでいた。


その様子を見て、私はスゴいと思ったんだよ。

どういう事情だったかは分からないけど、残り数分でメインが終わるタイミングでも今回の興行に駆けつけたいと思う人達が、雪妃真矢には付いているという事実に…。


そう思わせる選手や興行って、中々無い気がするもの。
ましてや、時間が経てばチケット代が割引になるサービスなんて今大会では全くやってないんだよ?スゴくないですか?

こういうところにも、彼女の人望のスゴさが窺えたのである。


まとめ

フリーランスという後ろ楯の無い立場から、観衆1,000人超えを達成した今回の雪妃真矢デビュー10周年記念興行は、2025年における文句無しの神興行の一つと言えよう。


このような素晴らしい内容を誇る神興行は、毎年どこかで必ず生み出される。

でも、提供する側が見せたい景色だったり、やりたいことだったりが、見てる側にもここまで高い解像度で可視化・具現化される興行には中々巡り合えないという実感が、私の中にはある。

そういうのは、あっても年に1回生まれるかどうかレベルだろう。そんな奇跡的な瞬間に客席から立ち会えたことにも、私は感動を禁じ得ない。


そして、ここからは完全に個人的な余談になる…。

今回noteでこの記事を書いた時、内容の出来・不出来は別にして、私の中で「感想をめちゃめちゃ気持ち良く書けた」という爽快感があった。


普段の私はnoteを書く時、書きたいポイントを何章か並べ立てて書いた後、そこから文章の繋がりに応じて、前後関係がベストだと思ったものを組み替えたり、自分で添削したりしながら書いている。

「どうしたら切れ目や違和感なく文章が繋がるか?」

「今の題材に対してベストな選択肢は何か?」


例えるなら、野球などのスポーツでスターティングメンバーを決める感覚に近いし、ジグソーパズルを組み合わせていく作業にも似ている。


このやり方だと、記事を書き終えた時に達成感がある&内容も幾分か筋立てて書ける。
その反面、記事を書き終えるまでに苦労して「書くのがキツい」という状態に陥ることもしばしばだ。

直近約3~4ヶ月のうちに私が書いた記事の中で、【最初から抱いた感想を、そのまま勢い良く書けたパターン】は一つとして存在しない。謂わば、難産の連続だ。


でも、今回の観戦記を書く時、そんな工程を考える必要は全くと言って良いほど無かった。

それはもう、今大会が素晴らしすぎて、SNSには書き切れないくらい感想が自然と溢れ出てきたからというのもあるし、そんなことをしなくても書きたい方向性が明確に見出だせたことも大きい。


「思ったことを特段考えずに吐き出そう」という心持ちが今回の記事になったし、文章の推進力とか意識しなくても長文がスラスラ書けた。

実際、今回書いた約5,500字に及ぶ記事は、私が書こうと思ってから、構成も含め文章を完成させるまでに僅か1日しかかからなかった。
普段なら1週間は余裕でかかってしまうものなのに…。

だから、noteを書く上で「こういう気持ちを大事にした方が良いんだ」というスタンスを教えてもらったという点でも、私は今大会のことを忘れることが出来ないのである。


本当に最高の興行でした!


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