「ちゃんとプロレスしようぜ」に対して私が思ったこと
2022.6.12、さいたまスーパーアリーナにて行われた『サイバーファイトフェス2022』を観戦してきました。
サイバーファイトグループの4団体が集う、2度目の合同興行。
今回のフェスで注目カードとして押されていた一つが、DDTプロレスリングとプロレスリング・ノアの対抗戦。
計3試合組まれた対抗戦の中でも、戦前から最も火花を散らしていたカードは、『樋口和貞&遠藤哲哉&秋山準vs稲村愛輝&小峠篤司&中嶋勝彦』の6人タッグマッチでした。
しかし、試合は思いもよらぬ結末に。
試合序盤、遠藤のエルボーを受けた中嶋が、強烈な張り手。
遠藤は立ち上がることが出来ず、レフェリーストップ負け…。
試合後、秋山はバックステージでこのようなコメントを残しました。
この言葉に対して、ヨカタの私が技術論云々にまで言及はできないです。
ただ、それでも、この言葉が私の中でどうしても引っかかったし、この件で色々違和感を覚えたのも事実。
この件で、私なりに感じたことを今回は吐きたいと思います。
半ば愚痴のような文章ではありますが…。
①噓と"権威"で事実が捻じ曲げられる怖さ
結論から言うと、秋山の発言は悪手でしかなかった、と私は思っています。
今回の件で、「中嶋が悪い」論と「(張り手で倒れた)遠藤がダメ」論を見かけるのですけれど、秋山の言葉を媒介として、そうした極論を支持しうるシチュエーションを作ってしまったから。
そして、試合を見ていない人達が、そうした極論に乗っている。
こめかみに当たってもいない張り手を、秋山が「テンプルが〜」と言ったことに対しても、です。
ハッキリ言って、当該選手のファンや団体のファンがキツい思いを感じている中で、雄弁なのは、秋山の発言を材料に「危険だ」と騒ぐ、試合を見てもいない人達だけ。
遠藤や御家族が(謝る必要のない)謝罪をしている一方、嘘を拡散している側は平常運転でツイート。
この状況が正常だなんて、私にはとても思えないのです。
嘘がまかり通り、見てもいない意見で事実が曲げられ、隠される。
そういう過程の一端を、今回の件で垣間見た気がしますし、私がハッキリ危険だと言える点かもしれないです。
今回の件を見ていて、(シチュエーションは全く異なりますが、)2019年に堀田祐美子が行った公開説教を思い出しました。
それなりに権威ある人間が言い切ってしまうことで、見ていない人に印象を植え付け、権威付けされてしまう見方。
そこにライドして作られる、対象者を批判する導線。
大谷晋二郎の件でも感じた事ですが、現況を見てない人ほど声が大きい現状が、私は一番怖いです。
(ついでに言うと、倒れてる遠藤を上から撮影しに来たカメラマンもヤバいな、と思いました。どういう神経してるん…?)
②当該試合の評価は難しいけれど…
期待されていた対抗戦で、今回こういう結果になった…。
私としては、「評価をつけるのは酷」な試合だったと感じています。
それはもう単純に、試合時間が短いなど、圧倒的に判断材料が乏しかったから。
なので、「中嶋が酷い」とか「張り手に耐えられなかった遠藤が酷い」とか、そういう方向に評価がされるのも違うのかな、と。
個人的に、あの試合で唯一評価できると感じた点は、小峠篤司が秋山とマッチアップした後で、中嶋が笑みを見せながら小峠の肩を叩いた事。
会見で小峠にキツく叱咤した中嶋が、どこかで小峠を認めたように私には感じられたんですよね。
今回の対抗戦を通じて、秋山とのマッチアップでも引かない小峠の姿に、私は胸を打たれました。
今後、注目して見ていきたいです。
③今こそ見てほしい、『中嶋勝彦のYES or NO』
上述の発言で、「中嶋はちゃんとプロレスしてない」と思われるのが一番癪だし、遠藤が中傷されるのも間違っている。
対抗戦後にモヤモヤしていた時、ふと思い出した事がありました。
それは、2020年にWRESTLE UNIVERSEで配信された、『中嶋勝彦のYES or NO』…。
当時、NOAH本隊に属していた中嶋の練習風景を追ったドキュメンタリー番組です。
You Tubeでもさわりは視聴できるのですが、今でも忘れられないのは、終盤の練習シーン。
若手である岡田欣也との合同練習で、岡田に息をつかせる間もなく課される、受け身の嵐。
練習後、中嶋は岡田に受け身の重要性を伝えます。
ちゃんとプロレスしている人だからこその言葉ではないでしょうか?
だからこそ、今一度再評価されてほしいし、見てほしいドキュメンタリー番組です。
まとめ〜「ちゃんとプロレスしようぜ」ならば…~
最後に、これは私個人の勝手な意見になりますが…。
「ちゃんとプロレスしようぜ」という流れに沿うなら、極端な話、「遠藤が中嶋にリベンジする」道だって立派なプロレスだと思うんですよね。
選手の生き様や行動から、点を繋げて線を創り出す事が如何様にも出来る。
これは、私がプロレスに感じている魅力の一つでもあります。
今回の件で、(グループ内だけど)DDTとNOAHの交流の道筋が絶える事もあるかもしれないし、ここから生まれるストーリーだってあるかもしれない。
例えどんな行方になろうとも、「ちゃんとプロレスしようぜ」という言葉で線に繋がる可能性を否定されそうなのは、何だか惜しいと私は感じてしまうのです。
私自身、対抗戦の敗戦をバネに、強さを増した選手は数多く見てきました。
今回の件で、私は遠藤哲哉が描いていくストーリーの行方が気になっています。
KO-D無差別級王座を敢えて返上し、0から這い上がる道を選んだからこそ、その気持ちは私の中で強くなっているから…。
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