【雑記】周囲からは「いじられ」だろうけど、当の本人からすると「いじめ」の場合もある件について
みなさん、こんにちは。リマークスです。今回は人によっては重い話かもしりません。つらつらと書いたのでいつものように見出しはありません、ご了承くださいね。
私は中学生の時、いじめられていました。特定の相手から執拗に「いじられ」、陰鬱とした気持ちがヘドロのように蓄積した結果、ダムが決壊したように両親の前でギャンギャン大泣きした記憶があります。あの時、どうしたかは後述します。
関西では「いじめ」と「いじられる」は紙一重で、特定の相手をからかうことで周囲がウケる、笑いが起きると本人もおいしい思いをしていると思い込むのが「いじられる」の意味合いになります。厄介ですよね。たぶん他の地方ではいじっているの代わりにからかう等に置き換わると思われます。
いじっている本人達はいじめている罪の意識が薄いもしくは皆無なんですよ。むしろ俺たちのおかけで笑いをとれてるんだから、楽しいだろ?おまえ(被害者)も笑えよ。ってね。
身体的な特徴、声真似、運動能力、学力等、自分と他人を相対的に比較できてしまう材料がたんまりあり、いじっている側はネタにこと尽きないんです。
子どもは残酷なもので、相手に対する共感する能力が乏しいから思春期真っ只中で、多感な子に対しても躊躇なく「いじる」んですよね。それが言葉のナイフとなって突き刺さっているとは微塵も感じていません
大人であれば「だから何?」と言えますし、そもそも昨今のパワハラに対する厳罰化が進む中、迂闊な発言は身を滅ぼすことを大抵の大人はわかっています。だからって大人のいじめがなくなるかというとゼロにはならないんですけどね。
じゃあ「いじられているのか」「いじめられているのか」の判断基準はどこか?周囲でも加害者でもありません。被害者がどう感じるているかどうかになります。
例えばいきなり背後からダッシュ+ドロップキックをされ、背後からの衝撃によりつんのめる姿勢になり、周囲は大爆笑していました。
これって加害者や周囲からするとテレビで見るようなお笑い番組のような演出でネタとして最高に面白かったでしょう。ただドロップキックされているほうは痛いし、笑われて惨めったらありゃしないんですよね。これは私の体験談になります。
「男だったらやり返せよ、情けないな」
多様性の時代に「男だったら云々」とは?とは思いますが、いったん置いときまして。おっさんになった今の私だったらナニクソと殴りに行ったと思います。ただ当時の私は背も低く、体も細かったから喧嘩になったら負けるイメージしかありませんでした。何より報復でさらに過激ないじめに発展するのが怖かったんです。
そんないじられキャラの立場を確立してしまうとよっぽどの一発逆転を狙わないとずーっと、いじられた状態もしくはいじめられた状態が続きます。私の場合、同じ部活だったので否が応でも出くわすんです。
「じゃあ部活を辞めたらいいじゃん」
当時、卓球部に所属していて、卓球自体はすごい楽しくて好きだったんです。それに途中で辞めるのもなんだか負けた気がして辞める選択肢は考えていませんでした。
上司からパワハラ受けたり、人間関係が嫌になって転職したりしてるんで当時の私が今の私を見ても説得力ねーじゃん!と笑われそうです。
さてらようやくの冒頭の話に戻ってきます。
加害者からすると「いじられる」おもちゃ。
私からすると「いじめれている」被害者。
起床しないと遅刻してしまう時間帯なのに布団の中で包まっていました。起きてこない息子を起こすため母親がお越しにきましたが、私はただただ呪文のように繰り返すだけです。
「もう学校には行きたくない」
「どうして?」
「もう学校には行きたくない」
「起きないと遅刻するよ」
「もう学校には行きたくない」
何を言われても「行きたくない」の一点張りに埒が開かないことは中学生の私でもわかりました。側から見るとおもちゃを買ってもらえずぐずる子どもと変わらないかもしれません。
お手上げ状態になった母親は出勤前の父親を呼び父親に代わりました。
「おまえいじめられてるんか」
第一声で察していたのは父親が教員だったのかもしれません。登校したくない理由をズバリ言い当てられた私は声をあげて泣くしかありませんでした。涙が溢れ出して止まらなかったのは、この時と愛犬が亡くなった時、東野圭吾の「容疑者Xの献身」、有川浩の「レインツリーの国」を読んだ時ぐらいです。(意外と多いなw)
ひとしきり泣いて嗚咽に変わった頃、待っていたかのように父親は「誰にやられた?」と聞いてきました。私はさらなる報復を恐れていましたが、もう学校なんてどうでも良いとさえ思っていたのでフルネームで名前を挙げました。
そこから私に対する「いじめ」はピタリと終わりました。父親が何をしたのか、フィードバックを受けていないので詳細は分かりません。おそらく学校に事実確認をして、もしかすると学校に乗り込んで説教したのかも知れません。なんにせよ登校拒否になるかどうかの分岐点だったので、登校拒否にならなくなったのは感謝しています。
「いじめ」がなくなったってからは平和な学校生活が戻ってきました。ただ「いじめ」を受けたことにより、いわゆる隠キャの性格から反転、陽キャのような性格に矯正して高校デビューしたのはまた別の話で。
大人からすると数年なんてあっという間に過ぎ去る時間感覚ですが、子どもからすると永遠のような時間感覚なんですよね。だからこそ最悪の結末を想定した方が苦しみから解放されるんじゃないかと選択してしまうんだと思います。
「じゃあ現在(now)でいじめられている子はどうしたら良いのか?」
いちばん近い血縁者に相談、報告しましょう。いちばん良いのは両親、言いにくければ兄弟、それも難しいならおじいちゃん、おばあちゃんでもOKです。
担任の先生に相談するのも1つの手ですが、中には面倒ごとに関わりたくない、クラスの問題は黙認しときたいような人間が一定数いるのも事実です。信頼できるなら...ってところです。
間違ってもSNSで赤の他人には情報を公開しないようにしましょう。赤の他人からすると最悪の結末を冗長したり、別の犯罪に巻き込んだりといった事件にもなりかねませんから。
誰にも相談できないのなら、この記事のコメントに個人情報を伏せて書いてもらえれば私がコメントで返信します。
さて私の昔話はこんなところです。長文読んでいただきありがとうございました。
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