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作品|そにゃちね(Sonyachine)

そにゃちね(Sonyachine)
Produced by kentaro fujita
ALL WORDS WRITTEN BY kentaro fujita
Released 2024/12/08

Sonyachine 2024


OPEN THE DOOR

Words Written by kentaro fujita

君を見つけたのは、年末近い冬のこと
やっと見つけた、たからもの
名前も分からない君のことを
僕は、行くあてもなく
再会できないかと探した

それから何時も過ぎ、いつの間にか
コンビニの駐車場で、君がくるのを待っていた
何を話していたっけ、仕事の愚痴とか噂話とか
ずっと君が聴き役じゃなかった
恋だったのかな、僕は最低でも、
ずっとできたら抱きしめたいと思っている

君は自分に価値がないって、
ふさぎ込んでしまっていた頃もある
そんなときは、となりに僕がいて
自然な君でいられるようになればいいな

OPEN THE DOOR
まだ、僕たちが何者でもなかった頃、
君の自信を見つけることができる日が来るのかな
ふたりが見た未来は、遠回りだったよね
君の手に触れたとき、始まりへの気持ち揺らぎ
でも、ただひとつ言えることは、
僕と君は、お互いに頼っていたんだよ



そにゃちね(Sonyachine)

Words Written by kentaro fujita

例えば君を救いたいと申し上げた僕は
実は救われてるとか
過去を否定してるような思考が奏して
苦しみを植え付けていることとか
気づかぬうちに嫌われていたのではないだろうか

毎日連絡できなくても許してくれる女神
そんな優しさに甘えで痛々しくならぬよう
感謝を込めてまた言葉を贈るのだ
自信がない現実をもて遊ぶ余裕もなくて
なんだ大人になっても楽になんないじゃん
目を閉じて意識なくなるまで演じなきゃ

早く君のあたたかい腕ににゃーってされたい🐈‍⬛

  好きだと 言えない
  恋する 気持ちは そにゃちね
  ちゅっちゅっちゅらりらーだって
  ちゅっちゅっちゅりりりーだった
  ちゅっちゅっちゅるらりーになって
  ちょっちょっちょっれぎーサラだぁ?!

突然の逢瀬は土砂降りな秋
やっと会えたねって待たせてごめんね
奪われた君に感情のすべて
また会いたい次は早く会いたい
もう離さない気持ち溢れて止まらない

目の前の現実が変わんないとき
僕は君のヒーローになるって変身ポーズしてもね
行動に移さねば運命は変わらない
そう少し踏み込むと僕たちみたいに
かけがえのない存在になったりとか
君からの連絡を待ちながら空を見あげようか

憂鬱な繰り返し君に会えるからがんばれるにゃあ🐈‍⬛

  今夜は 夢みた
  三日月 見上げる そにゃちね
  ちゅっちゅっちゅらりらーだって
  ちゅっちゅっちゅりりりーだった
  ちゅっちゅっちゅるらりーになって
  ちょっちょっちょっれぎーサラだぁ?!

露が山から降りてきた
まだ冬だから明るくない
いちにちなんて始まればすぐ終わってしまうから
誰の声も聴こえない朝の贅沢
求められることも与えることもない
忘れていた自分のための時間
ポーチのためのポーチのように
私は私でしか護れないことを知った

言葉で妄想する人間が不要な時代になっても
必要なひとのために描き続けることをやめない
寝落ちするまで言葉を届けたいんだ

雪降ったり土砂降りだったり忙しいにゃあ 🐈‍⬛

  今年も ありがとう
  (ここに)戻って こられた
  愛しい 気持ちは そにゃちね
  ちゅっちゅっちゅらりらーだって
  ちゅっちゅっちゅりりりーだった
  ちゅっちゅっちゅるらりーになって
  ちょっちょっちょっれぎーサラだぁ?!

きっとイメージしている女性(ひと)とすれ違い
そのそにゃちねはコウじゃない

そうです
私が
そにゃちねです🐈‍⬛


空を見たかい

Words Written by kentaro fujita

いつも二番手として生きてきた
一応、一番になれた時期もあるが、大抵の場合、
二番手として生きざるを得なかった
愛されなかった理由(わけ)じゃない
だけどいつもひとりで、または優先されることない
人生を送ってきたのだ

だいたいの物は手に入れてきた
一応、狭い世間だが、名声も手に入れた
苦しい日々ばかりが続くのは、
自分で掲げたハードルに立ち向かうことでしか
存在意義を感じないのだ

ある日、いつか無責任な男が、
それは覚悟を決めるだけだと、一言を放ち、責任を押し付けた
その場にいた何人が、その言葉を叶えようと思考を変えたかは知らないが、
社交辞令を間に受けてみようと思った
覚悟を持てば、何か変わるのかな
手段を選ばず突き進んで、干されたりしないかな
さすれば、承認欲求や欲しかった一番や、
何のために生きるべきか
誰の欲求を叶えれば、我はモチベーションを保てるのか
なんて諸々の事情を勘案して
何もかも、得てきた生活や、思考や、発想力も、
捧げて無責任をすべて受け取ることがまた
二番手であり主体的ではなくて、
使われるだけ使われることが、不本意な生き方

1ミリも肯定する意味ではないが、
自由をくれ、生き甲斐をくれ、時間と健康な身体をくれ
老いて朽ちるだけの下り坂の人生は、
いつ終えても良いのだよ
諦めではなく、やれることはやれた
それなりに生きる感覚も得ることができた
薬で生き延びられる日々に
なにが楽しみだと言えるのか
どこに慈しみを持てば、悟ることができるのか

悦ばせることができなくなった身体は、
朽ちてゆくだけ
もういいんだと、何時になれば飽きられる
何処で終わりだと、それこそが惰性だ
でもまだ終わるなと願うのは、我の身体だから
血を吐いて、治せない病でも
仕方ない、死ねばすべてが終わる

何か欲しいわけじゃない、聞いてほしいわけでもない
自分の生きる道は自分で決める
過去の選択の積み上げが
それを惨めにしてるだけなんだと
だから人は現在を恨み、過去に果てるのだ
言い訳する気もないから
ありのままに受け取ってくれればいい

暑かった夏を忘れてしまうほどの
鬱蒼とした冷たい風が吹きつける今夜は
銃弾が身を引き裂いて痛むだろう



解説

新作のリリースは、2021年10月の作品集『TRiPLE CROSS』以来となる。同年12月に、2024年までの活動休止を発表し、執筆からは遠ざかっていた。
活動再開の狼煙となる、キャリア30年のベスト作品集でたる『GROUND』(2024年3月9日発表)の制作や、本noteでは、散文的な作品やコラムの発表はあったが目立った作品リリースはなかった。

本作の制作告知は、2024年7月3日にタイトルと2024年秋から冬に発表されることを告げた。まだ、本格的な夏が始まる前のコメントでは、おそらく9月か10月を想定していた。しかし、新作を書く余裕もないまま日々が過ぎる。制作が動き始めたのは、11月中旬を過ぎた頃のことであり、本作発表の直前である。
制作告知の期限が迫る中で、自伝と名付けたメモを書くようになる。記憶があるうちに、言葉として残しておきたいと、執筆を始めた頃のことを振り返っている。先のことを書くと後悔しか生まれないが、2025年からは継続したコラムの発表はしたいと考えている。期待せずに待ってほしい。

さて、ここからは、本作について語りたい。本作は、もっと収録作品を増やしたかったが、自分なりに出せる駒を出した感覚はある。これもまた先のことの後悔に繋がるが、最新作である『TRiPLE CROSS』の早期廃盤に伴い、やはりオリジナル作品集は意識している。次の10年に向け、『GROUND』の先は強く考えている。それが詩なのか自伝なのかはあれど、何かを世に残したいと願い、まず作品をということで本作の発表に至った。

「OPEN THE DOOR」や「そにゃちね(Sonyachine)」は、2024年3月頃から書き溜めてきた作品である。『GROUND』では、90作品のほとんどに手を入れたため、新作を作るほどの時間も発想力もかけた。特に、最初の10年を振り返る「X」では、2024年の技術を持てたから発表できるほどのレベルに引き上げることができた。これまでの歴史の中で、各年代の作品は交わることのない世界観の違いがあった。地続きで並べることを意識したとき、その先にあるのは本作であることは前提条件の1つであった。Amazon Kindleで販売しており、執筆を始めた頃のアルバムの値段と高めに設定しているが、実は今でも売り上げがある状況である。

『GROUND』の中でも大きなトピックは、作品「淡空(あわぞら)」(2010年)の存在である。同作を含む、いわゆるパネル作品は長年アレンジされることがなかったが、大胆にもアレンジを加えた。
「OPEN THE DOOR」では、その痕跡をオマージュした作風とした。仮題として「OPEN THE DOOR」と掲げたまま、完成品として世に出すことになった。これまでに、前菜の役割を担う作品は無数にあり、題名のダブりをしないよう考えてきたが、しっくりこなかったので、そのまま収録となった。作品集『GROUND』からメインテーマである「そにゃちね(Sonyachine)」への繋ぎ込む役割がある。

そして、「そにゃちね(Sonyachine)」である。「にゃるダッシュ」「Wonderful Love」(ニャンだふる・ラブ)に続く、待望のにゃんシリーズ第3弾である。声に出して読める作品が美しいとされる価値観から進み、2024年の音楽シーンに合わせた言葉を意識した。もはや歌うのは人じゃなくても成立する時代を、詩に置き換えると、AIでできないことを作品にすること、複数の文体であることを意志を持って表現することだと思う。これは、1991年に執筆を始めた頃から続けている譲れない作風のひとつである。

ラストナンバー「空を見たかい」は、今のところ一番新しい詩である。ちょうど、本作より発表日である12月8日は、ジョンレノンの命日である。この日を発表日と選び、何か書けないかと、彼に向けたレクイエムを書いていたが、世界中で歌われてきた日のことを、よく知らない者が描くのはと思い悩み苦しんでいた。「空を見たかい」という検索ワードは限りなくゼロであったこともあり、このフレーズをnoteのタイトルにして、主題歌的な作品に仕上げた。「black ball」や「握濁」「虚空」のような、今は直視できないほどのヒリヒリした感情を乗せた。もっと時間が経ちもっと感情を乗せたアレンジになれば、時代のひとつを見つけるのができるかな。

本作の執筆において、kentaro fujitaはジョンレノンのアルバム『ジョンの魂(John Lennon/Plastic Ono Band)』を聴き込んだ。これまでビートルズや、その影響を受けた、サザンオールスターズ、オアシスなどを聴いてきたが、はじめてジョンレノンのソロアルバムを聴き、執筆へ影響をいただいたことを追記しておきたい。

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