
完璧主義な私とエフィカシー(自己肯定感)を下げる声
今回は私がドロ沼期にあった話をさせていただきます。
私は現在働いていた病院をやめて派遣看護師として活動しています。さらに脳トレ®︎のナビゲーター見習いとしても活動させていただいています。
脳トレ®︎オンラインはこちら
https://noutore-love.com/
脳トレ®︎に出会う前の私と出会ってからの私、長々と書いてありますがどうぞお付き合いお願いします。
私は数か月前まで某病院の病棟看護師をしていました。
とある病院で新卒として入って、病棟には同期が3人いて
看護師の国家試験に受かったことに浮かれ、夢だった看護師という仕事に・これから起こることに期待を膨らませながら仕事をスタートさせました。
たくさんの先輩や上司、患者さん家族さんに支えられながら今ではあの時の私本当に頑張ったな、ありがたいなと思えるのですが
当時はそう思えませんでした。
新人看護師時代
私の配属された病棟では、新人はプリセプターという教育係がつきます。そして一生懸命色んな疾患や看護についての勉強をしながらその日行った業務について振り返りを毎日していました。
毎日その日にあったことをA4の記録用紙に振り返り手書きで記入(プリセプターに見てもらう用)して、病棟での連絡ノート(病棟の他スタッフへの連絡ノートでその日やった業務についてスタッフがそれぞれコメントする)というのがありました。
その振り返り用連絡ノートで私は先輩からミスや出来ていなかったことばかりを指摘されるようになりました。
新人なのだから出来ないことがあって当たり前なんですが、点滴の交換ができていなかったとか看護記録に不備があったとか内服薬の整理整頓ができていなかったとか。
細かいことも重要なことも全部指摘されているコメントが多数ありました。
今でもそのノートは持っていますが、ほとんど褒められているコメントはありません。
先輩たちも私を批判しようと思ったわけではなく、失敗やミスから振り返って次どうしたら上手くいくのがフィードバックして欲しかったためのコメントだったとわかっていましたが、書かれている内容に毎日毎日とにかくショックを受けていました。
そんな日々を過ごすうちに、私は「きちんとやらなくちゃいけないんだ」「ミスなくやれるようにしなきゃ」
こんな想いを持ちながら何かに追われるみたいに仕事するようになりました。
こう書くと「仕事なんだから当たり前」とか「患者さんの命を預かっているんだからきちんとやるのは普通」とか言われることがありますが、当時は必要以上に自分でそう思うようになっていました。(そういった意見はもちろん分かります)
そしてだんだんと思い詰めるようになり、更に日々ミスを指摘されては
「昨日よりもっと完璧にやらなくちゃ」
「今日は1つのミスもないようにするのが目標」
「確認もれがないように二重三重にチェックして確認しよう」
と考えながら仕事をするようになりました。
完璧主義な私、完成
3年目になってから部署異動し、そこで同じ部署になった同僚に
「完璧主義すぎるよ」
という言葉をいただいたんですが、その時は
「いやみんなはもっと完璧にやってるし、私プライベートではすっごい適当だからな~」
なんて思って自分の中で完璧主義という言葉を認めませんでした。
そしていつしか直接ミスを指摘されなくなっても
「もっと要領よく動けばいいのに」
「もう先輩なんだから後輩をカバーしないといけないよ」
自分の声じゃなく、先輩や上司に言われているような声で自分を責めるようになってしまいました。
実際に言われていなくても、妄想で説教をしていたんです。自分のことを。
今はどんだけ自分ドMだったんだ笑 と思えますが、これでも当時は真面目にそれを受け入れていました。
そしてその思考回路はだんだんとプライベートでも発揮されていきます。
親と喧嘩しては
「自分がこう言ったから親を怒らせてしまった」
飲み会とかで少しでも微妙な空気になれば
「私の発言が空気を読めていなかったのではないか」
大好きな彼とお別れしてしまったときも
「自分に悪いところがあったからお別れという結果になってしまった」
自分の悪いところを探してばかりいました。そしてその思考回路に慣れきってしまっていてむしろ自分が悪いという風にすれば楽、なんて思考まで出てきていました。
自分の中でもう無意識に受け入れてしまっていたんです。
そして無意識だから気付けずに、その思考回路がプログラムされているみたいに自然と浮かび上がります。
これではエフィカシーなんて上がるどころか下がっていくばかり。
なんですが当時は気付けず。
何をしていてもどん底、ちっとも明るい未来なんて見えない。そんなふうに思っていました。
脳トレ®︎に出会ってようやくエフィカシーを下げる声に気付けた
脳トレ®︎を始めてそろそろ半年が経とうか、という時期でした。オーダーをいくつも出すけれど、どうでもいいものは叶うのに本命オーダーとか重要なオーダーは叶ってないな。
やっぱり本命オーダーとかを通す人は限られていて、出来る人は出来るけど私には難しいのかな…なんて思っていました。エフィカシーを上げようとしても、まったく上がっている気がしない。
たまたまそういう時期に職場での飲み会があり、数人で談笑しているとその時の上司から
「みんないつも本当に頑張ってくれてるよね~助かってます。ありがとう」
なんて優しく言われたんですが、その時の私の心の中では
「いや、みんなは頑張ってるけど私はそんなに頑張ってなかったな。やろうと思えばまだやれた気がするし」
といつもの地獄の思考回路が形成されたんですが、そこまで思ってその時私は
「あ、私自分のこと頑張ってないって思ってたんだ」と初めて気付くことになります。
そこからどんどんと思い出される今までの自分責めの日々。これがエフィカシーを下げていた原因なんだとようやく思い当たりました。
エフィカシーを下げる声と戦い
自分のエフィカシーが上がらない原因にようやく気付き、それをいけないものと認識して。打ち消そうと思考を作り変えて動くことを思いつきました。
が、無意識の思考回路で自然に出てくる私を責める声がすぐに止まるわけでもなく。
自分を否定する声を否定するという無駄にエネルギーを消費することをしていきました。
なんとか反抗しようとするも無意識の声に勝てるはずもなく。だんだん疲れてきた私はまたあることを思いつきます。
「そうだ、戦うのやめよう」と。
自分責めの声に反抗するのでなく、「あ、ドМモードが始まったな」と存在を認識するだけに方向性をシフトチェンジしました。
するとどうなったか。
だんだん声が聞こえないようになったんです。
心が軽くなっていき、気付けば今まで出していたオーダーがスルスルと動くようになっていました。
親との関係が解消され。
毎月ギリギリだったのがお金に余裕が少し出てくる生活になり。
悩んでいた同僚との関係も解消されていきました。
そしてどんどん現実が変わっていくことで自分に自信が持てるようになり、自分が出したオーダーにも確信が持てるようになりました。
今でもたまに自分責めが始まるときがありますが、もう「あ、また出てきたな~おかえり~」くらいでスルーしています。そして思考をひっくり返してオーダーに変えています。
”否定しようとすればするほどたくさん現実で教えようとしてくる”
前に脳トレ®︎提唱者のえとうゆきさん(@namakemono_yuki)が言っていたことがようやく腑に落ちました。
今回は私の過去の体験談から、同じようにエフィカシー(自己肯定感)が低いことで悩んでいる人に少しでも何か届けられたらいいなと思って書かせていただきました。
ここまでお読みいただいた方がいらっしゃいましたら嬉しいです。
ありがとうございました。