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選んで、生きていく
こんばんは。
突然ですが、今日1日過ごしてみて、みなさんはどんな選択をして今を迎えましたか。
今日した数多くの選択の中で、最も大きい選択は何でしたか。
え、僕ですか?
そうですねえ……。彼女と話したいって思って、夕方に1時間ほど、通話をしたことでしょうか。
僕は、通話をするって選択をしました。かなり有意義な選択でした。
ここ最近はずっと家で過ごしているのもあって、人生を左右するような大きな選択は、あまりしてないように思います。
今日は「選択」をテーマに、僕の思いを綴ります。
「ピアノが弾けない」を選んだ
みなさんに自我が芽生えたのはいつでしょうか。
僕にはぼんやりと、5歳の時くらいから記憶があります。
幼稚園は年中さんから通ったので、月曜がパンの給食(美味しい)、水曜が弁当箱の給食(美味しくない)、残りの曜日が持参の弁当だったこととか、男の子だけど外遊びがあまり好きじゃなくて、教室で女の子たちとおままごとしている時間が長かったこととか、他愛もないことをぼんやり覚えています。
僕が6歳半のときに弟が生まれたので、お兄ちゃんになるということが楽しみでもあり、不安でもあり、っていう感情を抱いていたことをよく覚えています。
ところで僕が、自分の意志で大きな選択をした最初の出来事だと思うのは、7歳の頃の選択です。
実家には、グランドピアノとアップライトピアノが1台ずつあります。
母親がピアノとともに生きてきて、今もある意味それを仕事にしているので、僕の身近なところにも音楽が常にありました。
毎週1回ずつ、ピアノのレッスンを幼稚園で受けていて、小学校に進学し、ピアノの先生が母親に変わりました。
すぐさま、ハノンに飽きました(笑)
先生が母親であったこともあって、甘えや逃げが通用したんですね。母親も無理に僕にピアノをさせることもありませんでした。結果、ピアノはあっという間に僕から遠ざかっていきました。
しかし、ピアノを断念した7歳の選択は、後の僕の人生に大きな影響を与えることになります。
僕には音楽が今でも常に側にあるのに、曲を作ることだってあるのに、ピアノを思い通りに弾けないもどかしさ……(中3で作ったピアノ曲、今でも弾くことができません)。
でも、それが自分です。自分で選んだ結果です。
悔いはいっぱいあるけれど、なんなら、今からピアノの練習を始めることだってできるわけで、でもそれを「しない」選択をし続けているのも自分なのです。
だから、僕はピアノを弾けないなりに、できることを考えて、行動します。
例えば曲をいっぱい聴いたり、逆に弾けないからこそ、人間が弾くことのできない音の並びをコンピュータで作ることさえできるわけです。
生きることを選び続けている
僕らは自由です。たくさんの選択の自由があります。
究極的には、生きること、すなわち死なないことを選び続けているから、今こうして僕らは生きています。
コウペンちゃん、ってキャラいますよね。
コウペンちゃんは、イラストレーターるるてあが創作した、赤ちゃんペンギンのキャラクターである(中略)。イラストには日常のささいな行動を全力で褒めてくれる台詞も多いため、「肯定」ペンギンの意があると評される。
(Wikipediaより)
「出勤してえらい!」とか、毎日の「当たり前」の努力を、褒めて肯定してくれる、あの優しいペンギンです。
正直、コウペンちゃん、僕は苦手なのです……。
本当は、その優しい言葉に包まれて、毎日優しい気持ちになって頑張るぞ!って素直に思いたいんです。
でも、どこまでもどこまでも、自分ではなく他者に全てを肯定されちゃったら、本当の本当に最低限しか自分は努力しなくなってしまう……って危機感がどこかにあるのです(少なくとも僕がそう感じてしまうってだけで、コウペンちゃんに救われてる人がいっぱいいるってこと、よく分かってるつもりです)。
自分は弱いから、甘えてしまうから、あえてコウペンちゃんを遠ざけています。本当は好きです(笑)
そんな僕ですが、「生きててえらい!」はかなり心に響きました。
生きることを選び続けている僕たちに、そっと、乾杯です。
選ぶ自由は責任が伴う
自我が芽生えて以降、僕はたくさんの選択をしてきました。
中には、大間違いの選択や、それによって誰かをひどく傷付けた選択も少なからずあったなあ、と思います。
かなり自分を追い込むことになった選択もありました。
自分のした選択の結果に苦しむ時、よく思い出すのが次の言葉です。
自分のためだけに生きてれば、何もかも自分のせいだ。誰を恨むこともないし、後悔なんてあるわけがない。そう思えば大抵のことは背負えるもんさ。
(魔法少女まどか☆マギカ 第7話 佐倉杏子)
まどマギ、好きなんですよ(笑)
そっか、今、自分が苦しいのは、自分がした選択の責任をとってるからなんだ。
誰かのせいじゃない、自らの意志で選んだ結果を、自由に謳歌できるから、こんなに苦しいんだ。
僕は、そう自分に言い聞かせて、乗り越えて生きてきました。
コレサワの曲に、「死ぬこと以外かすり傷」って応援ソングがありますが、まさにそう思って生きてきました。
「死ぬこと」は、最後の最後に残された究極の選択肢で、選ばずとも誰にも等しくそれが訪れるのならば、それ以外の選択肢も経験してから選んでも遅くないでしょ?って。
今、岐路に立っている自分
良くも悪くも、自分を人生の主人公に据えて、大事な選択だけは誰にも流されずに、自分で選びとっているつもりです。もちろん、生きることも。
それは同時に、日々恐怖と向き合うことでもあります。
多分、一人じゃ不安に押しつぶされちゃう。
そんな自分を勇気付けてくれる友達や、恋人と出会い、彼ら彼女らとお付き合いしていくことを自分で選び、なんとか二本足で立っています。
なにより、僕自身、たった今、大きな人生の岐路に再び立たされていると感じています。
その選択如何によっては、人生が180度変わってしまうことだってあり得ます。
「リゼロ」みたいに、何度も元に戻ることはできません、一回きりですから、かなり慎重に、臆病になっています。
弱虫ですけど、それでも寄り添って見守ってくれている友達や家族、何より恋人に感謝、感謝の毎日です。
本当に、ありがとう。
あなたが大事な何かを選ぶとき、必要な勇気の一部分になれる僕でいたいです。
今日の一曲
杏沙子の「こっちがいい」です。
もう、本当に最高です。最近これを聴きながらジョギングしています(梅雨入りしましたが、早く梅雨が明けて、元気に夏空の下を走りたいな)。
彼女と一緒にベッドでこのMVを観て、思わず泣いてしまった夜が、少しだけ遠くなりました。思い出とか、懐かしさとかっていうやつになったって意味です。
ねえ 2人は出会うまでに
たくさんの選択をしてきた
ねえ 2人は自分の手で
君とわたしと出会うことを
きっと選んだんでしょ
(杏沙子「こっちがいい」)
きっと選んだんでしょ。