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吉村昭と私

大層なタイトルをつけてしまったが、私はとても吉村昭が好きだ。
言い方を変えれば「最推し」で、人生を変えたと言ってもいいくらい。

「高熱隧道」から入り、「戦艦武蔵」で緻密な描写に飲み込まれ、その後は手に取る本をどんどん読んできた。手に入らないものは通販で買った。

なるべく初版に近いものを選んでいる。
手直しが入ってるほうがいいんじゃない?と思う人もいるんだろうが、私は発行された当初のものが読みたいのでそれはどちらでもよい。
それに、最近になって新版で何冊か売られているのは、どれも文字が大きくなっていて、イメージがなんだか違うのだ。

私は一生かけて吉村昭の本を全部集めたいという、なんとも無謀な、でもやればできなくもない、ということを考えている。
まだ全然集まっていない。本棚の一列はすべて埋め尽くしたいのに。

「戦艦武蔵」

好きなのはやはり「戦艦武蔵」。
棕櫚という素材から始まる、多くの人がひっそりと関わっていく一隻の戦艦。これを読んだ人と話をした時「てっきり戦艦武蔵が戦う話かと思ったら、作る過程の本でびっくりした」と言っていた。
緻密さで知られる吉村昭の書く物語は多くの資料と取材から成っており「戦艦武蔵ノート」という取材のメモ(文庫化した)もあるくらいだ。
そこで起きた身も凍るような事件。戦後に残された傷跡。
まるで自分自身もそっとドックを覗いているような気になる。

2015年に、シブヤン海域の海底に沈んでいる戦艦武蔵が見つかった。
その道の詳しい人から「戦艦武蔵ってのは不沈艦なんだ。だから、海に沈んだとしても、太平洋をぐるっと回って未だに航行してるんだ」なんて言われたことがある。
もちろん、ジョークなのだが本音はそうあってほしかった。

戦艦武蔵は、そこにいた。
なんだか涙が止まらなかった。
あんなに大きくて、立派で、桁外れの装備で、沈むまでにかなりの時間を要した程の船体が、砂にめり込むようにして静かに傾いていた。
菊の御紋がそれだと教えてくれた。

そのとき思ったのは、どうか引き上げないで欲しいということだった。
結論から言うと、コスパが悪いので引き上げはしない方向になったはず。
本当にほっとした。
もう、武蔵はあのままそこで眠っていてほしかった。
乗員も、なにもかも皆そこで静かに眠らせてほしかった。

奇しくも最近になって赤城も沈んでいる姿を見せた。

大艦巨砲主義という終りが見えていた、最後の戦艦が武蔵だった。

「海も暮れきる」

おすすめの本にあげるのは珍しい部類かもしれない。
尾崎放哉という自由律俳句の先駆けとも言われる俳人の話なのだが、この人物は非常に評判が悪い。どれくらい悪いのかと言うと、取材に行った吉村昭に「なんであんな人の本を書くのか」と言われるくらい評判が悪かった。

ただこの本は読む度に感情が変わり、呆れもするし一緒に悲しみもするようになった。尾崎放哉の晩年をここまでしっかりと書けたのは、自身も同じ肺の病を患っていた吉村昭が、病床で尾崎放哉の句を読んでいたからだ。

人とはなにか。
人とのつながりというものはどこで決まるのか。
疲れた時、私は行き着くところまで行き着いた尾崎放哉に自分を重ねながら本を読む。

「冷い夏、熱い夏」

これは詳細を書いてしまうわけにはいかないのだが、私小説であるためより身近に感じる作品だ。
死が近づいている者へ私なら何を語るだろうか。

「桜田門外ノ変」

有名な話である。
関鉄之介を主人公に据えて、事件に至った各々の背景や感情を、よりリアルに、しかし不自然にならないように書き記す吉村昭のスタイルが好きだ。
戦史物を書く上で必要だった証言者が、年々没していったからとも言われるが、吉村昭は歴史小説も多く残している。

時系列的に、このあとに天狗騒乱、生麦事件と続くので合わせて読もうとすると結構時間がかかってしまうが、時代というのはこんなに変わるのかと思うくらい、長い時代の終わりの話だ。

これは愚痴だが、何年も前に「水戸藩開藩四百年記念」としてこの吉村昭の「桜田門外ノ変」を原作とした映画が制作されたのだが、これは正直なところ微妙すぎた。
常日頃から思うが、文庫で上下巻あるものを映画の時間に取り込むのはかなり無理がある。映画は原作者が吉村昭だから、と思って珍しく腰を上げて映画館まで行ったのだけど、結局水戸藩の記念映画だったんだな、と思った。
(水戸の人、気分を害されたら申し訳ありません)
パンフレットに、申し訳程度の「吉村昭」と名があるだけで、なんだかとても虚しかった。

「破船」

嵐の夜に浜で火を炊くことで、近づく船を座礁させて積荷を奪う。
そんな習慣があった貧しい集落に流れ着いた一艘の船。
結末にただ呆然とするしかなかった。
「海も暮れきる」もそうだが、この2冊は私の中では感情が動かされづらいのか、疲れたりするときに読むことが多い。常に一定の気持ちのまま、淡々と読めると言ったら怒られるだろうか。

「総員起シ」

短編であるが、事故で沈没してしまった潜水艦を引き上げた折の話である。このイメージが強かったので、私は戦艦武蔵を引き上げたくなかったのかもしれない。
タイトルの通り、各自の寝床に横たわる青年たちは眠っているようで、もしも「総員起シ!」と号令がかかったら目を開けて動き出しそうだったという。
この話については「戦史の証言者たち」という本にもまとめられている。

「闇を裂く道」

少しだけタイムリーな話である。
これは丹那トンネルを掘る話であるが、同じトンネルの話でも高熱隧道とは全く様相が異なる。丹那トンネルの掘削は断層をまたぐため、困難な工事であったことは類似している。
けれど、掘れば掘るほど水が湧いてくる。そして、その水の一部はトンネルの上にあったワサビ畑とつながる。
最初は好意的だった人々が、何故視線の色を変えたのか。
工事の完遂はありがたいことだが、その代わりに何を失ったのだろうか。

「紅梅」

これは吉村昭の著書ではなく、妻の津村節子によって書かれたものだ。
病床の吉村昭がどのように息を引き取ったのか、それを克明に記している。
私はWikipediaで読んでしまったのだが、改めて読みたいと思っていた。
そんなとき、とある事情で図書館の閉架書庫に入るきっかけがあった。いくつもの棚の角にダンボールが積んであるので、何かと聞いたら「もう貸し出さない本だから、最後にフェアをやって市民の方に持っていってもらうの」ということだった。
そして、私の目の前にあった箱の真上にあったのが、文藝春秋の文學界、2011年5月号であった。見出しには津村節子「紅梅」と書いてある。

喉から手が出るほど欲しかったが、そのような用事できたわけでもないし、親しい人でもないので、もうこれは一般の人に持っていってもらうフェアに行ってなんとか手に入れるしかないと思った。
けれど、閉架書庫から出される本はたくさんあって、部屋にはこれでもかと本が詰まっていた。もうこれは見つからないかもしれないな、と思ったときにみつけた。

ああ、私を待っててくれた。

らしくもないことを考えて、私はそれを大切に持ち帰った。
しばらくは読めなくて、数年経ってようやくそれを読んだ。

「死顔」

最後の作品である。
ただし、私はこれを帯付きで本棚にしまったまま、未だに読んでいない。

今までの話は、いくつもの繋がりがあった。この本の執筆のときに、別の人からこんな話を聞かされたとか、これを書き終わったあと、取材にでかけたのかなとか、本と本の間にある吉村昭を追っていた。

けれど「死顔」には続きがない。
これ以上新しい本はもう出版されることはない。
まだ未読の本、未入手の本がある以上、私はこれを読むことができない。

現実の吉村昭

新潟の越後湯沢に吉村昭の墓がある。
私はそこへ手を合わせに行ったことがある。天気がよく、気持ちの良い日であった。高い位置にある墓石に手を合わせ、振り返るとそこはとても見晴らしの良い展望席のようだった。
吉村昭は確か生前に墓を立てていたような記憶があるが、もしそうだとしたら私は吉村昭と同じ光景を見ているのかもしれない。

そして、このお墓参りで私はようやく吉村昭がこの世にはいないと理解した。

この度、吉村昭の書斎を含めた資料館が新たにオープンする。
私もほんの少しの寄付をした。
本当はもっと早く書斎を見に行けたのに、行かなかった。
泣き崩れてしまいそうな気がした。写真では何度も見たことのある、整然と並べられた資料の棚。大きな窓辺にどっしり置かれた書斎机。
ここで彼が万年筆を取り、原稿用紙に一字ずつ記録していったのだと思うと、書いてる今もなんだか泣きそうになる。

遺族の意向を踏まえての書斎の公開だから、後ろめたい気持ちにならなくてもいいのだけど、反面では書斎という空間が私にはまぶしすぎて、入ってもよいのか、見てもよいのかと迷っている。
同じ時代にほんの少しとは言え交差していたのに、私が吉村昭を知ったのは彼の没後だった。だから生前の吉村昭は、残されたエッセイや会談の文字を起こしたものから思い起こすことしかできない。

彼は書斎を移転して、公開することに何を言うだろうか。


ずらりと思いの丈を書いた。
私にとって吉村昭は特別な存在であり、本当に彼の作品で人生が変わった。
旅先に吉村昭が立ち寄った場所があれば出来る限りそこへ行きたいし、同じ景色を見たい。

もしも、だ。
もしも吉村昭に一度だけ、5分だけ会えたら何を言うだろう。
好きな作品を言うか、サインをもらうか、写真を撮るか。
尊敬しています、と言うかもしれない。
小説を書く姿勢、取材をする過程、繊細な小説の描写や構図、どれも同じ吉村昭の作品なのにどうしてこんなに受け止め方が変わるのか。

今は、なんとなくだけど文章を少し読めば、それが吉村昭の文体であることがわかるようになってきた。
道は長いけれど、本の収集は続けたい。
だんだんと入手が難しくなっていく一方だけど、なんとか集めて、そして読みたい。

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