【初愛】~君に捧ぐいのちの物語~⑦
安田公春は、仙台市でひまわり関連の種の交渉と支払いをお店にして
今回分の種を仕入れて、仙台東部道路に入ると、牧野石方面に向かっていた。松島海岸インターチェンジで一般道におりた後、鳴瀬川にかかった橋を渡って、牧野石市に向かった。
一日運転して疲れていたこともあったが、今日は「街合わせ」にこれから行く気分になれなかった。何となく、本当に何となく気分がすぐれなかった。
公春にとって、疲れたから今日は予定を変更するということは、負けという意識が常にあった。変更イコール逃げ、という想いが常にあった。
だから、これからみやくみたちがいるであろう「街合わせ」に戻ることが、たとえ疲れていようが当然だと思っていた。しかしながら、高速道路を下りた時点で、何とも言えない悲しみが、心を滲ませてくるのが分かった。
震災があった年は、その悲しみの気持ちは毎日のように公春の心に寄せては返す波のように訪れていた。
しかし震災から4年経った3月、そうした心の揺れはもうほとんどなくなっていたのだが、今日はなぜか公春の心に久しぶりの波が心を濡らしていた。
その心のままで、みんなのところに行くのがなぜかしんどくなって、このまま仮設住宅の自宅にいったん向かうことにした。
午後1時を回っていた。携帯にいくつかのメールが来ているのは知っていたが、読む気になれなかった。電話も留守電にしたままだった。
コンビニで弁当を買って、自宅に着いたのは、もうすぐ午後3時になるころだった。
ひまわりプロジェクトの準備も一段落ついたので、少し心を休めてからみんなのところへ行こうと思った。
自宅に着くと、午後3時を回っていた。公春の部屋は六畳と四畳半の二部屋があった。ベットのある四畳半の畳に座って、テーブルの上のノートパソコンを開くと、お気に入りに保存しているサイモン&ガーファンクルのベストアルバムを聴き始めた。そしてベットに寝転びながら目をつむった。サイモン&ガーファンクル、通称S&Gの歌は、父が好きだった。公春は小さいころから車や自宅で彼らの歌をいつも聴かされていたので、いくつかの歌は自分で歌うこともできた。高校時代はギターのコード進行も何曲か暗譜していた。
~~⑧に続く~~