希望

【いつか来る春のために】㉛加奈子の想い出編⓫  黒田 勇吾

 震災の翌日、私のお父さんが日和ヶ山に行こうとしたけど、どこも津波の冠水で水嵩が高くて山に近づけなかった。結局三月十四日にようやく日和ヶ山に登ることができて、お父さんが山の上の牧野石中学校に避難していた先生方に隆ちゃんの安否を確認することができたの。でもその答えは連絡がまだ取れないということだけだった。生徒も他の先生も無事なのにどうして隆ちゃんだけ連絡取れないのか事情を聞いたら、ある先生の目撃証言から津波の前に生徒の家に車で行ったということだけが分かった。そしてお父さんはその時に中学校の避難所で隆ちゃんのお母さんと偶然再会できたのよ。
 お母さんは三月十一日、古川から実家の北岬町に戻ろうとしたけど、飯山川の町から北岬町への道はすでに通行止めになっていた。津波が来ているところがあるので全面的に通行止めになったらしかった。それで引き返して飯山川のビッググランドという施設に避難して情報を集めたら、どうやら牧野石の街中も津波にのまれたらしいということで動くことができなかったの。ようやく十四日に柳井方面から街の中心部に入れて、途中から車を置いて歩いて日和ヶ山に行ったそうなの。そこらじゅうががれきの山で道路を塞いでて車が通れなかったそうだった。そして山に登ってからの私の父との再会。その時に隆ちゃんのことを父から聞いて、抱き合って泣いたそうよ。お母さんにとっても複雑な思いだったでしょうね。我が家の家族の無事確認はできたけど、肝心の一人息子と自分の両親の安否はまだ不明。
 あぁ、そんな状況の何千、何万という家族たちがどれほどの不安と焦燥と一縷の希望にすがってあの数日間を生きたのでしょう。飲食もほとんどできない中で必死に情報を集め歩き、彷徨い、絶望と希望のはざまの夜を過ごしていたのでしょう。
 隆ちゃん、私もその中の一人だった。あなたの行方がどうなったかわからず、さらにお母さんとも連絡が取れなかった病院での三日間は永遠に続くような悲しみと不安の時だった。お父さんやお兄さんから外での状況を聞くたびに、不安は時に絶望の思いに変わって落ちていったわ。そして次々に運ばれてくる負傷者の姿を一階で見たり、ひっきりなしに着陸してはまた離陸していくヘリコプターの姿を窓越しに見るたびに、あの中から隆ちゃんが運ばれてくるんじゃないかと思う期待と不安と悲しみの心の揺れ。体調が回復したのと逆に精神的影響を心配した両親によって、三日後に私はお兄さん夫婦と一緒に内陸の東南町の叔父さんの家で安静にすることになった。本当は私も隆ちゃんを捜しに行きたかった。そしてあなたに抱きついて抱擁されたかった。あなたのお母さんが無事だったと聞いた時は、もしかしたら隆ちゃんもどこかで避難してて、絶対に大丈夫だと信じて希望が膨らんだわ。でもやがて、お母さんのご両親が北岬町で亡くなっていたと聞いて、お母さんや隆ちゃんの気持ちを思ってそれからは毎日泣いていた。

             ~~㉜つづく~~