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教育について思う事

2022年4月から成人年齢が18歳に引き下げられた。これからは殆どの未成年者が高校在学中に成人を迎える事になる。

教育の現場において、これが善い事、悪い事という判断は人それぞれであると思う。しかし、より複雑で繊細な判断が求められるようになる事案が増える事は間違いないだろう。

特に昨今はコンプライアンス(法令遵守)が厳しく叫ばれようになった。これに伴い、教育現場でも、平等、公平が強く求められるようになったと感じる。それは生徒間のみならず教員と生徒の間においても厳しく精査されている印象だ。それに伴い、今までできていた事、黙認されていた事がそうできなくなってきている。

確かに倫理に反する暴力や体罰を厳しく取り締まる事は必須であると思う。ただ、厳しく取り締まるあまり教育される側が、倫理的問題を起こした時、教育する側ができる対処の選択肢が狭まっているという現実はあると思う。それにより未成年者が、倫理的、道徳的感覚を踏み外したまま成人してしまう可能性は少なからず高くなっているのではないだろうか?

基本的人権の尊重は全ての人において守られるべきものであろう。ただ、平等、公平、自由においては誰にどこまで保障するかはもっと慎重に精査されるべき事であると思う。それはそれらが義務ではなく権利だからだ。権利は義務を果たしているものに与えられている特権であると私は思っている。義務を果たしてない者、又義務を果たす責任がない者にそれらと同等の特権を与えるのは、平等ではないし、公平でもない。

加えて自由は、秩序が保たれなければ、成立しないものである。秩序を保てない者、保とうとしない者に与えられた自由は自由ではなく、無秩序であると私は思う。

人間はたとえ成人していても未熟なのである。だからこそルール、規範、法律を創り自分たちの倫理的、道徳的感覚を守り、秩序を保とうとしている。であるなら更に未熟な未成年者においては、尚更厳しく取り締まられるべきではないだろうか。

ただでさえ教員と生徒の関係において教員は不利であると思う。少数対多数の状況の中で、秩序を保つ能力の低い者たちと秩序を保ちながら、それらをより正しい方向に導いていかなければならないのだから。何の武器も特権も与えられ無いまま、そこに放り込まれるのは、丸腰で戦場を闊歩するようなものだと思う。

複雑化する現代社会において、教育とは何なのか、何の為にあるのかを今一度見つめ直す必要がありそうだ。



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