放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(15)修士論文の公刊
前回は、博士論文を、関西学院大学出版会から公刊したことについて書きました。今回は、修士論文を公刊したときのことについて記します。
博士論文の口頭試問の際、遠藤周作とフランツ・ファノンとの思想的関係に関する疑問が投げかけられました。両者を結び付ける主張は、日本では私が初めて修士論文で行い(2014年)、そのほかでは、アメリカ合衆国のミシガン大学准教授が主張しているだけだったので(2014年)、ほとんど知られていない見解だったからです。(現在でもその状況は大きく変わってはおりません。)
私の博士論文は、この修士論文の基礎の上に構築されていましたから、修士論文と切り離して扱うことはできません。しかるに、修士論文は、ダイジェスト版が放送大学の紀要に掲載されているだけだったので(2015年)、関心をそそられた研究者が参照しようとしても、読むことがままならない状況だったのです。
大学院修士課程を修了して、博士後期課程に入学するまでの期間に、修士論文を公刊しようと試みたことは、以前に少し書きました。企画書を作り、関心を持ってくれそうな出版社に持ち込んだのです。同時に複数の出版社に持ち込むのは道義的に良くありませんから、ある出版社に持ち込み、引き受けてもらえなかったら、次の出版社に持ち込むわけです。時間がかかります。
マーティン・バナールの訳書を出していた出版社の編集部が興味を持ってくださり、企画会議にあげてくれましたが、広告費を含めた営業的側面から、期待に添えないとの回答がありました。この出版社の対応は、最初から最後まで実に誠実でした。最終的には断られたわけですが、未知の著者に対して丁寧な対応をしてくれたこの出版社には、今でも感謝しています。
そういえば、マーティン・バナール自身も、1年待って、ようやく不採用の紙一枚が送られてきた出版社があったと、どこかで書いていました。その次に興味を示してくれた出版社は、しばらくして連絡が途絶えたので、私はこのプロジェクトにエネルギーを注ぐのを一時中断して、博士論文執筆に気持ちを切り替えたのでした。(その出版社からは、結局、1年後に断られました。)
その後、博士論文を関西学院大学出版会から公刊した経験は、オンデマンド出版という新しい出版形態の可能性について、私を開眼させました。前回も記したように、博士論文も、放送大学の機関リポジトリにフルテクストが公開されてはいるのです。しかし、索引が付いた書籍とインターネット上のテクストとは違います。現在でもそうですが、書籍というメディアに、私は強いこだわりを持っていました。
大阪にある、デザインエッグという会社を知ったのは、やはりTwitterでフォローしていた方から流れてきた情報でした。この会社は、それまでになかった初めてのサービスを提供することにコミットしていました。そして、オンデマンド出版サービスを数年前から始めていたのです。
デザインエッグが提供するオンデマンド出版サービスの最大の特徴は、ISBN(国際標準図書番号)が付くことです。版下は著者側が制作してPDFで入稿する点は関西学院大学出版会と同じです。登録費用が4980円で、著者印税は定価の10%です。情報関係など、教科書の内容を常にアップデイトしなければならない大学教員が、すでにこのサービスを活用していることもわかりました。
私はこの出版サービスを利用して修士論文を公刊することにしました。編集作業には、大学院時代の友人が協力してくれました。英文目次と索引を付けました。日本国内で出版される書籍には、索引が付いていないものがあります。英文のサマリーは、付いていないものがほとんどです。書籍に索引を付けることは、篠田一士教授から学びました。また、英文の目次やサマリーを付けることは、ハンガリー事件について著した歴史学教授から学びました。(おふたりとも未知の方です。)
見本本がないので、できあがるまで仕上がりがわからないという不安はありました。実際に手にしてみて、次にはこうしようと考えた点はいくつかありますが、書籍にしたことによって、研究がパブリックなものになったことは事実で、このサービスを利用して良かったと思います。
関西学院大学出版会の博士論文出版助成事業は、残念なことに、ISBNが付きません。そして、同出版会のサイトからの販売のみなのです。海外からの注文もすることができません。デザインエッグのオンデマンド出版サービスは、Amazonを使って、世界のどこからでも注文することができます。
高等学校の教員である私が、日々の仕事のかたわら、勤務時間外で資料を読み、論文を書き、それを投稿して活字にすることは、簡単なことではありません。まして、出版社を開拓して、論文を単行本化することは、さらに容易ではありません。従来の出版形態にこだわり、オンデマンド出版という新しいサービスを目を向けることがなければ、私は博士論文も、修士論文も、永遠に公刊できなかったはずです。
私のささやかな研究は、ほとんどの先達がそうであったように、遅かれ早かれ、いずれは歴史のなかに消えていくことでしょう。しかし、研究成果をパブリックなものにする人間的努力は惜しむべきではない。そうでなければ、批判を受けることすらできず、真理を明らかにするという研究者としての誓いを生きることにならないからです。
(続く)
*写真は、修士論文『遠藤周作とフランツ・ファノン』(デザインエッグ、2018年)の英文奥付です。
【追記】
出版社に企画書を送る前に、三重大学出版会が主催する日本修士論文賞に応募することを考えていたことを忘れていました。優秀作は同大学出版会から単行本として刊行されることになっていました。ところが、照会したところ、前年度をもって同賞を終了するということで、チャンスは消えてしまったのでした。(2019年5月15日)
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