岸惠子(新連載)パリのおばあさんの物語

『パリのおばあさんの物語』は、並製カヴァー装の薄い絵本。書棚のなかで、本と本の間にこっそり姿を隠してしまうような小さな本だ。

パリで小さなアパルトマンに独り暮らしをする老いた女性。食材を買うために市場を歩くのも、財布を出すのも、帰宅して玄関の鍵を開けるのも簡単ではない。ずいぶんたくさんの書物を読んだが、今はもう目が疲れてできない。大好きだった海水浴も山歩きももはやできない。「やりたいこと全部ができないのなら、できることだけでもやっていくことだわ」と彼女は呟く。

鏡を覗いた彼女は、風雪に耐えてきた自分の顔を見て、この顔が好きだと思う。彼女は思い出と向き合って独りの食事をとる。故国を離れフランスに来たとき、言葉は全然わからなかった。婚約者はもっとフランス語ができなかった。ヴィシー時代、子どもたちは山奥の修道院のシスターに預けた。夫はユダヤ人捕虜収容所から逃げ帰ったところをゲシュタポに捉えられ、戦争が終わるまで行方知れずだった。自分もまた隠れ家から隠れ家へと転々としたのだった。そして戦争が終わり、夫も子どもたちも戻って来た。

過越祭で、子どもたちが孫たちを連れてやってくる。クロワッサンと花束を持って。トランプで遊び、テレビを見て、彼らはキスをして帰っていく。「わたしにも若いときがあったのよ。わたしの分はもうもらったの。今は年をとるのがわたしの番」。「わたしに用意された道は、今通ってきたこの道ひとつなのよ」。……


翻訳はやらないという原則を曲げて、岸惠子がニース在住作家のフランス語絵本を日本語にしたのはなぜだろうか。この絵本の主人公は、七〇代半ばという設定である。自身がその年齢に達した岸が、自らの姿をこの絵本の主人公に重ね合わせていることは明らかだろう。あとがきのなかで、「老いをどう生きるかという大事なテーマのなかで人はその人となりを完成していくのだと思います」と岸は語る。どのような老人になるのかが「人間としての勝負どころです」。

俳優が脚本を通して他人の人生の中に潜り込むように、翻訳家は原作者を通して自分を表現すると考えると、俳優と翻訳家は似ている。女優岸惠子の背後には、ささやかな暮らしを愛するひとりの老いた女性がいる。しばしば語る「女の見栄とはったり」を、この絵本のなかで彼女はそっと脇に置いている。「一張羅の日本語」で豪奢な人生絵巻を何冊もの本に書いてきた岸にとって、『パリのおばあさんの物語』は、いわば《仮面の告白》なのである。岸惠子のパリは、写真映りがいいエッフェル塔の前でもセーヌ川のほとりでもなく、おそらくここにある。彼女の横浜が、ホテルニューグランドのラウンジでも山下公園に係留された氷川丸の前でもないように。

この絵本の主人公がユダヤ人であることに岸は読者の注意を促し、日本にいてはわからないさまざまな人たちの生き方があることをたくさんの人に知って欲しいと記している。絵本の主人公がユダヤ人のおばあさんだったのは、偶然なのだろうか。わたしは横浜で独り暮らしをする、ひとりの女性の人生を考えている。(続く)

*次回は「メロドラマ女優」

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