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子どもは自分で動く。親は動くまでも動いてからも見守れる心の土台を作ればいい

日曜の午前中は「大好きな先生、大好きな仲間との学びの時間」、午後は「久しぶりの再会+新しい出会いの時間」という、超中身の濃い一日でした。帰るときには頭がクラクラでした。

久しぶりに会った方とは、私が悩みのどん底にいた時に出会った女性です。
当時は彼女もまた、悩みの渦の中にいました。
なぜか、初めて会った時からお互いにどこか通じるものを感じ、別れ際に声をかけて連絡先を交換しました。

それから数か月ぶりの再会。
彼女のスッと芯の通った立ち振る舞いと表情に清々しさを感じました。
彼女もまた「心の在り方」に注目し、さらに行動に移したことでずっしりとした心の土台の安定感を感じました。

そもそも私たちは「自由」なんだよね。
何を選択してもいい。
制限しているのは自分の「思考」。
島国の狭い日本は「レールや集団から外れる」ことは“恐怖”そのもの。
でも本当の恐怖は自分のタイミングじゃない時や、自分が選んだ道じゃないほうへひっぱりあげられること。
一人ひとり動くタイミングも考えるタイミングも伸びるタイミングも違う。

子ども自身が自分から動いたときに、それを見守れる心の土台を作っていようね、と確認し別れました。

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