我慢せず、工夫した子育てを
という自分の見解です。
昔から、困難や忍耐の壁に当たった時、なぜそれが必要なのだろうと考えていた。
めんどくさがりと言えばそれまでだけど。
ただ、繰り返しが必要な習い事(楽器の習得や習字そろばんなど)、そして日々の積み重ねが必要な運動系(筋トレなど)等は、目的があるので忍耐をもってこなしてきた。
その上で、出来るだけ「我慢しない生活」「みんなで工夫して考えれば解決する事はアイデアを出し合う」事をして笑って生きたいなぁと思っている。
だって、何をしなくても大変な事は山程やってくるし、突如今ある幸せが奪われる事もある。
それをただ我慢するだけではいずれ心身共に病んでいく。
工夫して乗り越えねば笑って過ごす日々は訪れない、と思う次第で。
意外と、笑って過ごすというと、「そんな楽な道はないよ」とか「人生辛抱でしょ」とか言われるけど、
え!?辛抱より笑って過ごす回数が多い方が断然よくない!?と思うのは私だけではないはず。
それは子育てにも通じていて。
子育てって子どもが小さければ小さいほど、だいたい大変な事が多く、周囲からの圧もあって中々楽しめない。
だからこそ、楽しめるように工夫しませんか?と思うのだが、苦労してなんぼでしょという返答は多い。
楽しいを作るのは案外大変で、むしろ我慢するより大変な部分はある。
楽をしたところで後々にしわ寄せが来るので、現状の仕事をこなしながら尚且自分も楽しめるようにメンタルや時間や体力や諸々調整しなければならないから。
これ以上の苦労はしたくない、という気持ちも分かるけど、そこを乗り越えて生活に笑いを手に入れたいという欲は捨てきれない。
工夫は、「自分の価値観や常識の箱」を出たところにある。
出るにはこれまた一苦労で、敬遠する人もいる。
自分の価値観や常識の箱を出るにはどうすればいいか、
一番簡単なのは、今自分が考えている価値観や常識と反対を考えればいいのだと思う。
例えばどうしても箸を使うのが苦手な5才児の子がいたとする。
それが苦手でどうしても時間内に食べられないし、こぼして満足に食事が出来ない。
ならば、もういっそスプーンとフォークでしばらく過ごしたら良いんではないか。
箸を使う事が一生の目的ではなく、ご飯を食べ健康に過ごす事が食事の目的である。
もっと大きくなって自分に余裕が出来たらその内箸の使い方も習得する気になるかもしれない。
アジア人以外は箸を使えなくとも生きているし。
練習したい時に、習得したい時にすればよし、で良いものも世の中にはたくさんある。
それでなんやかんや言う人もいるけど、むしろなんやかんや言う人の方がおおよそメンタルには問題がある事の方が多い。
他人に物申したい人は往々にしてコンプレックスや問題を抱えている人が多い。
それをずっと放おっておくのではなく、その子の習得するタイミングが来た時に一緒に向き合えばいい。
そういう成長の個性も認められる世の中になればいいし、今の保育界教育界もそう変化していけばいいし、その変化には携わりたい。
「我慢せず、工夫して、成長を支える子育てを、一緒に考えませんか」
という仕事をこれからやっていきたい。
想像力をフルに働かせて、個人個人に合った子育てを!
水野 優美
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